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ブックマーク / ichinics.hatenadiary.com (11)

  •  2014年の漫画!! まとめとベスト10 - イチニクス遊覧日記

    2014年まとめ 2014年も面白い漫画をたくさん読みました。が、こうやって振り返ろうとすると、あれもこれもまだ感想書いてない事に気づいて焦ります。でもせっかくの年の瀬なので、記憶と棚を頼りに今年の漫画を振り返りたいと思います! 昨年が、自分の楽しみにしていた長期連載作品が相次いで完結した年だったせいもあるのか、今年は自分が「新刊が出たら必ず買う」漫画家さんの新刊が少なめだったような気がします。でもそんな中、強烈なインパクトのある作品にいくつも出会えた年でした。 印象的だった出来事のひとつが、創刊当初から数年間愛読していたIKKIの休刊。この日記も最初の頃は毎月IKKIの感想とか書いてたなー。雑誌を読む時間がとれなくなって、漫画は単行で読むとほぼ割り切ってしまっている現在ですが、それでも愛着のあった雑誌の休刊はさびしいです。(新雑誌始動の告知もあったので楽しみにしています) ハマったと

     2014年の漫画!! まとめとベスト10 - イチニクス遊覧日記
  • 三島由紀夫のインタビュー映像をみて - イチニクス遊覧日記

    「思想とかは共感しないですけどね、でもね、そこまでして何かを伝えようとした、という事実が衝撃なんですよ、俺には。しかも伝わらなかったんだから、衝撃の二乗ですよ。別に俺は、あの事件に詳しいわけじゃないですけどね、きっと、後で、利口ぶった学者や文化人がね、あれは、演出された自決だった、とか、ナルシストの天才がおかしくなっただけ、とかね、言い捨てたに違いないんですよ。でもね、もっと驚かないといけないのはね、一人の人間が、気で伝えたいことも伝わらないっていうこの事実ですよ。三島由紀夫を、馬鹿、と一刀両断で切り捨てた奴らもね、心のどこかでは、自分が気を出せば、言いたいことが伝わるんだ、と思ってるはずですよ。絶対に。インターネットで意見を発信している人々もね、やろうと思えば、心が届くと過信しているんですよ。今は気を出していないだけだってね。でもね、三島由紀夫に無理だったのに、腹を切る覚悟でも声

    三島由紀夫のインタビュー映像をみて - イチニクス遊覧日記
  •  不自由な計算 - イチニクス遊覧日記

    自分が数字を見るときのイメージというか癖については、前にも書いたことがあるのだけど*1、せっかくお絵かきツールができたことだし(いまさらだけど)もう一度書いてみたいと思います。 → 癖、といっても単純なもので、ひとけたの数字を見る時には、5以下の数字が基単位のように見えるってだけです。これはどちらかというと不便な癖で、私がずっと数学も計算も苦手に感じてきたのはこの癖のせいでもあると思う。 5(以下)が基単位に見えるってのはこんな感じ。 これで足し算をするとこうなる。10はなんとなく5がふたつ入った袋にラベル貼ってあるようなイメージです。 引き算をするときはこう。 なんか図解してて心配になってきたけど、要するに計算を複数回してやっとたどり着く感じになる。 計算するということを覚えたときからずーっとこうやってきたんだけど、あるとき7は7に、8は8として捉える人もいるんだろうなぁってことに気

  •  東京タワー - イチニクス遊覧日記

    打ち合わせに通された部屋の窓は額縁みたいにちょうどその正面に東京タワーを据えていて、私は待ちぼうけをらっていた30分あまり、やっぱり東京タワーを見るなら昼間だよなぁということを考えていた。あの紅白が見えるだけで風景が昭和っぽいというか、特撮映画っぽいというか、いくら近代的な建物が立ち並びドトールのひとつも見つけられないような町並みの中にいても、ここは私が良く知っている東京だという気持ちになれる。 とはいえ、たぶん私は「東京」にそれほど思い入れがあるわけではなく、どこにいてもいつもどこかぼやけた気持ちになる。それは、きっと視力が悪いままずっと眼鏡もかけずにすごしてきたからで、だからこそ、私の目にもはっきりとわかる東京タワーの大きさが心強いのだろうと思う。 打ち合わせの帰り道は案の定道に迷い、東京タワーは右にあったり後ろにあったりした。それで昔、付き合っていた男の子と東京タワーの下にあるお店

     東京タワー - イチニクス遊覧日記
    kousyou
    kousyou 2009/01/21
    浜松町は良い町だなー。増上寺と東京タワーのミスマッチがまた良い感じだとおもう
  •  昔話/サンタクロース - イチニクス遊覧日記

    まだ私がなんとなくサンタさんの存在を信じてた頃、たぶん小学一年生のときだったと思うけれど、サンタさんからのプレゼントのコートに、手書きの手紙がついていたことがあった。 「サンタさんじゃよ。冬は寒いので外に行くときはこれを着なさい。お母さんのいうことをよく聞くんじゃぞ。サンタより」 手紙にはそんなことが書いてあった。右下にはコマのイラストが書いてあるおよそクリスマスらしくない和紙に書かれたサンタさんの字はガタガタで、たぶん手がかじかんでたんだな、ということに気づいたのは、それからずっと後、机の奥に入れていた紅茶の箱から、その手紙を改めて発見した時だった。 一年生になったのは、私に弟が生まれた年であり、私の一人っ子が終わった年でもある。 その年まで、クリスマスの夜は、ツリーのしたにサンタさんあての手紙とお菓子と、暖かい飲み物を用意しておくのが習慣で、プレゼントのリクエストはお母さんがサンタさん

     昔話/サンタクロース - イチニクス遊覧日記
  •  ドーナツの穴 - イチニクス遊覧日記

    ドーナツがべたい気分だった。でも朝から降り続いている雨はやむ気配もなく、ドーナツをべるためだけに出かけるには億劫だった。そこで、とりあえずドーナツのことを考えてみることにした。 いま私がべたいのは、ぎっしりした生地で、揚げたてで、サクッとしているあの手作りっぽいやつだ。もちろん真ん中に穴の空いている、ドーナツらしいドーナツ。そしてその穴のことを考えていたときに、久しぶりに思い出したのがこの文章のことだった。 しかしまあ,これはどうでもいいことだ。ドーナツの穴と同じことだ。ドーナツの穴を空白として捉えるか,あるいは存在として捉えるかはあくまで形而上的な問題であって,それでドーナツの味が少しなりとも変わるわけではないのだ。 「羊をめぐる冒険」/村上春樹 形而上ってのがどういう意味かは未だによくわからないけれど、つまりドーナツの穴はあるのかないのか、って考えることが形而上的な問題なのだろう

     ドーナツの穴 - イチニクス遊覧日記
  •  100年後の Google ストリートビュー - イチニクス遊覧日記

    グーグルは5日、無料の地図検索サービス「グーグルマップ」に、地上から見た写真が見られる機能を追加した。従来の航空写真に加え、360度のパノラマや空を見上げた角度の風景を表示でき、待ち合わせ場所の検索といった利用を見込む。 http://www.asahi.com/national/update/0805/TKY200808050406.html 先日、日でも公開された Google の新サービス「ストリートビュー」を見てみた。地名や住所から地図を検索すると、地図と一緒にその場所の風景まで表示されるというもの。 Googleの車が360度カメラを載せてこまごまと撮影してまわったらしく(というとなんだかアナログな気がするけども)、今はまだ都心部のみではあるものの、ずいぶんと細かい道まで撮影されていて驚いた。 そのストリートビューで私が最初に検索したのは、やっぱり地元だった。こういうときは、不

     100年後の Google ストリートビュー - イチニクス遊覧日記
  •  昔話/コンクリート - イチニクス遊覧日記

    あやちゃんと一緒だったから、あれは小学校にあがる前か1年生の頃のことだ。私たちの主な遊び場であった空き地に、家が建つことになった。 私とあやちゃんは隣同士の家に住む同級生の幼なじみで、その空き地はあやちゃんちの向かいにあった。春にはレンゲやクローバーの咲くいい感じの原っぱで、広くはなかったけれど、木の柵を越えれば菜の花畑が広がっていて、その奥には竹やぶまであった。夏にはショウリョウバッタやトノサマバッタを追いかけまわし、秋が近付く頃にはコオロギやら鈴虫も捕まえた。一度、偶然に虫取り網にスズメを捕まえてしまったことがあって、飼いたいといったら祖父に怒られなくなく放したことがある。あのときのスズメはさぞかしはらはらしたことだろう。悪いことをした。 そんなふうに、私とあやちゃんは晴れた日にはもっぱら、その空き地で遊んでいた。手先の器用だった(たしか映画の美術さんだった)あやちゃんのお父さんにベン

     昔話/コンクリート - イチニクス遊覧日記
  • それ言わなくてもいいのに日記 - イチニクス遊覧日記

    結婚できない男」というドラマを何回かテレビで見たことがある。わりと面白くて、人気もあったドラマだと思うんだけど、この主人公の言動は(顔ではなく)うちの父親にとてもよく似ていていた。 たとえば、建築家である主人公のところに依頼に来たカップルが、結婚後に奥さんは仕事を続けるのかどうかでもめている場面での台詞。 「まあ話を聞いたところでは、奥さんの思い過ごしと言うか…ご主人はあなたを必要としているわけだし、あなたに家にいて欲しいんですよ。 今の職場でこんなに求めてくれる人がいますか? 必要とされる所にいた方が良いでしょう、居ても居なくても同じような所にいるよりは…」*1 前半はいいとして、後半のこの、言わなくてもいいひと言が、もう…ものすごくうちの父さんぽい。あまりにも似ている。他人事とは思えない…!と兄弟で言いあった。(ただドラマを全部見たわけじゃないので、あくまでもこの場面の印象だけど)

    それ言わなくてもいいのに日記 - イチニクス遊覧日記
  • ユリちゃん - イチニクス遊覧日記

    昨日読み終わった短編集*1に、木のウロに住む恋人の話がでてきた。湿った土の上を、灌木をかきわけて進み…、というような表現があったかどうかは定かでないけれど、私がそのウロの話を読みながら思いだしていたのは、そのようにして通ったユリちゃんちのことだった。 ユリちゃんは私の家の裏に住んでいた女の子で、私より七つほど年上だった。黒くまっすぐな髪が顎のあたりで切りそろえられ、俯くたびに、その白い顔を覆った。日人形みたいねと、誰かが(たぶんうちの母親が)よく言っていたのを覚えている。 幼稚園に通っている頃、母さんは産まれたばかりの弟にかかりきりで、毎日ヒマだった私は、小学生だったユリちゃんが帰宅するころを見計らって、庭の奥にある木立をかきわけ、梅の木をぐるりと回るようにして向こう側へ遊びにいった。 ユリちゃんと遊ぶ時は、だいたいユリちゃんちの庭で遊んだ。オオバコ相撲をしたり、はこべ摘んでインコにあげ

    ユリちゃん - イチニクス遊覧日記
  • 「怒り」と期待 - イチニクス遊覧日記

    「東京の散歩と昼寝」さんの書かれていた仮想世界での怒りは存在するかどうか…というお話が面白かった。 我々が笑うとき、それが架空の話でも笑う。漫才とかジョークとか、むしろ空想のバカ話として笑うことが義かもしれない。ところが、怒りは違うのではないか。自分の日常であれテレビのニュースであれ、ムカっとくるときそこには必ず事実がある。怒りを向ける人物や状況が実在する。 「東京の散歩と昼寝 − …ってことは、この世がすべて幻だと思えたら、怒りは消えるのか?」 先日、夢で笑ったり怒ったりしたことは、起きてからも余韻として「あった」と感じられるのが面白い…ということを書いた(id:ichinics:20080107:p2)。しかし tokyocat さんが挙げられていた例のように、目が覚めてから思い返した時、確かに「笑い」は有効だとしても、「怒り」は無効になるかもしれない、と思った。 ただ、例えばフ

    「怒り」と期待 - イチニクス遊覧日記
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