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ブックマーク / lessor.hatenablog.com (19)

  • 次のステージへ - 泣きやむまで 泣くといい

    今さらだけれど、はてなブログに移行した。 もともと障害をもつ子どもや家族のことばかり書いてきて、もう書きたいことはそんなにないというか、同じようなことを何度も書くのは好きじゃない、と思っていた。 けれども、子どもたちと関わる施策の状況は変わっていくし、また新しい課題も生まれてくる。 最近は「障害福祉」の外側で仕事をすることが増えた。貧困、虐待、DV、離婚、死別、非行、不登校。人が生きていく上での課題とは、どんどん積み重なっていくもので、弱り目に祟り目とはよく言ったものだ、と思う。 ずっと「障害」や「家族」と関わってきたことが、ここに来て役立っている。「障害児」への支援環境はこの5年ほどで一変してしまい、虚しさを感じることも多かった。それでも、地域の中で地道に長くやってきた意義はあった。 そんな話も含めて、もっと世間に知られていいと思えることがあり、また書きたいと思ったとき、はてなダイアリー

    次のステージへ - 泣きやむまで 泣くといい
    koutaro2000
    koutaro2000 2017/10/05
    ちゃんと読んでます、の証として。
  • 別れの支援 - 泣きやむまで 泣くといい

    朝から12時間にわたる支援。 葬儀場でいつもと違う事をとり、何かを3回つまんではパラパラと石の上にかける儀式を模倣し、動かなくなった故人の側に花を飾り、最後には白くて大小さまざまな何かを拾って壺に入れるように言われ、帰宅するとあまり会ったことがない人々ばかりでの小さな宴がはじまる一日に、重度の知的障害かつ自閉症の彼が何を感じているのかはわからない。「きっと彼なりによくわかっている」と話す関係者への嫌味でもなく、謙遜でもなく、当にわからない。いつもの月曜日とはかけ離れたスケジュールにも思いのほか落ち着いている。「死」の意味が理解できているから穏やかに過ごせているのか、これから次第に失われたものの大きさを把握して苦悩するのか。それも今はわからない。 葬儀場には面識のある方が勤めていて、つきっきりでサポートをしてくださる。座る場所や待ち時間の過ごし方など相談に乗っていただき、運転手もしてくだ

    別れの支援 - 泣きやむまで 泣くといい
  • 「病気じゃなくて、障害です」に込められた意味は - 泣きやむまで 泣くといい

    なんとなくYahooのトップに障害関係の記事が出ると、何かしらのコメントをつけなければいけないような気がする(自意識過剰)。 「自閉症」表現でおわび=テレ朝「Qさま!!」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120516-00000097-jij-soci テレビ朝日のクイズバラエティー番組「Qさま!! 」で、自閉症の表現に問題があったとして同局は16日までに、番組ホームページでおわびと訂正を行った。 同局によると、14日の放送で、先天的な脳の機能障害と考えられている自閉症を、「ここ10年で患者数が増えている病気を選びなさい」という問題の正解の一つにした。同時に使ったイラストも誤ったイメージを与える表現だったという。 要するに「病気じゃないものを病気と言ってしまってごめんなさい」ということであるらしい。ところが、Yahooでこのニュースを取り上げた複数の

    「病気じゃなくて、障害です」に込められた意味は - 泣きやむまで 泣くといい
    koutaro2000
    koutaro2000 2012/05/21
    「病気じゃなくて、障害である」とは「社会の側が必要な配慮をすることによって、暮らしやすくなる(部分が大きい)」というメッセージだ。それは「あなたにもできる支援があるかもしれない」ということでもある。
  • あなたの子に「療育」が必要になったとして - 泣きやむまで 泣くといい

    あなたに幼稚園に通っている子どもがいるとしよう。その子が成長するにつれて、少しずつ発達に気がかりな点が見え始める、なんてことがあるかもしれない。他の子どもと比べてやけに言葉が少ないとか、お友達の気持ちがわからずにケンカばかりしているとか、そんな状況を想像してもらえればよい。 「障害」という言葉が頭をよぎりつつ、それを認めたくないという思いと子どもの幸せを願う気持ちが交錯して、いったい自分は何をどうすればよいのだろうかと悩むかもしれない。そんなときに、自治体による乳幼児健診などを通じて関わりのある保健師などから「療育」というものを勧められることがあるだろう。 なんだかすごい字面であるが、最近では「発達支援」なんて呼ばれることもある。その子どもの発達上の強みを活かせる方法や弱みをカバーする方法を考えていこう、とするものとしてひとまずは思ってもらえればいい。「療育機関」などと呼ばれる場所に通って

    あなたの子に「療育」が必要になったとして - 泣きやむまで 泣くといい
    koutaro2000
    koutaro2000 2012/03/30
    ちょっとした行動に問題がある場合、発達を促す活動を行っているうちに解消する事も多い。そのためにはできるだけ敷居を下げて親の抵抗感を減らすのが肝心だと思うが、これでは逆効果になりそう。
  • 知的障害児の支援者が『日本語教師』の仕事を知って - 泣きやむまで 泣くといい

    自分は同じ日人でありながら言葉が伝わりにくい子どもたちとよく接している。そこでは「短く話すことが大事」「やさしい言葉で話すことが大事」などとよく言われる。しかし、これらはけっこう曖昧な指示である。 具体的には何を意識して話しかけたら、わかりやすいのか。改めて考えることはなかった。きっと知的障害と関わる支援者の多くは、そんなもの当たり前のようにできていると思っている。あえて教わる機会もない。そんな中で、有名なマンガの3巻を読んだ。 日人の知らない日語3 祝! 卒業編 作者: 蛇蔵,海野凪子出版社/メーカー: メディアファクトリー発売日: 2012/03/08メディア: 単行購入: 10人 クリック: 317回この商品を含むブログ (53件) を見る 「外国人にわかりやすい日語」という話の中で、こんなエピソードが出てくる。 日語学校に通う外国人女性が倒れ、救急車で運ばれることになっ

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  • 「寛容さ」に救われないから「能力」に引き寄せられていく - 泣きやむまで 泣くといい

    最近、シノドスが「障害者」に言及した記事をよく掲載している。これまで「論壇」的なものの中であまり扱われなかったものに注目が寄せられる背景には、きっとこの記事のような時代診断があるのだろう。 生き延びるための「障害」――「できないこと」を許さない社会 荒井裕樹 http://synodos.livedoor.biz/archives/1902249.html これは「発達障害者」の現況や支援のあり方を示そうとして書かれたものではない。「障害」にまつわる言説が「発達障害」のような白黒のはっきりさせにくい「障害」の存在によって拡張されて、たとえば精神医学的には必ずしも正確ではない「俺は『コミュ障』だから」のような使われ方が日常的な場面でも広まりつつある事態に、社会の側にある「非寛容」からわが身を救おうとする人々の生存戦略を見出そうとするものだ。 障害の「社会モデル」的理解というのは何らかの意味で

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  • 奈良の2つの出来事 - 泣きやむまで 泣くといい

    少し前のニュース。新聞の地方版にも概要の掲載があったらしいが、こちらの記事のほうが詳しい。世間にはあまり知られないところで、事件はたくさん起きている。 自閉症児者の生きにくさをしめす奈良の2つの出来事 http://web1.kcn.jp/asn/h2311.pdf

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    koutaro2000
    koutaro2000 2012/02/09
    これは対岸の火事では無い。これ思春期に入る息子がこのような状況に陥らないようにするにはどのように育てていけばよいのか。。。頭が痛い。
  • その引力と傷つきやすさ - 泣きやむまで 泣くといい

    彼にとっていっしょに遊びやすい子どもがいる。その子と遊びたいが、ドッジビーに加わっていってしまった。その子と遊ぶ以外にこの公園で過ごす術を見つけられなので、仕方なしにドッジビーに加わって自軍のエリア内を走り回る。どうやら飛んでくるドッジビーを避けなければいけないことはわかっている。落ちているドッジビーを拾い上げて投げてよいこともわかっている。しかし、「当てられたら外野に出る」の意味がわかっていないのに加え、子どもどうしゆえに当たり判定のルールもはっきりしない。他児に「出ろ」と言われたらしく、激しく怒って遊びから離れていく。しかし、あっさりと10秒ほどで立ち直る。「誰か(みんな)といっしょに遊ぶこと」のもつ強い引力と傷つきやすさを実感できるガイドヘルプ。 学校が短縮授業になったため、開始時刻をいつもより1時間以上も早めた。遊んだ時間はいつもの倍。そのぶん終了時刻を30分早めたところ「今日は短

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  • やはりゼロだった - 泣きやむまで 泣くといい

    おととい書いた記事に少しブックマークがついたので、他地域のこととはいえ、府知事選挙と市長選挙における「維新」のマニフェストを確認してみた。 その結果、「障害児・障害者」についての言及は、 府知事選挙マニフェスト:ゼロ 市長選挙マニフェスト:ゼロ であった。まあ、腹は立つがこのぐらいは予想どおりである。対立候補のものと比較するエネルギーはないので、今さらでも気持ちのある方がいれば誰かやってほしい。 ただ、より重大に思えることとして、府知事選挙のマニフェストのほうにはそもそも「福祉」への言及自体が一行もなかった。さらに「子どもの笑顔」をマニフェストの表紙の一番に書きながら、「子ども」について触れているのは例の「教育改革」のみで、他の部分には「子ども」の3文字すら一度も登場なかった。率直に言って、びっくりした。 市長選マニフェストのほうは「市民サービス」の中に「子育て支援」や「福祉」があり、その

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  • 有権者は何を変えたかったのだろう - 泣きやむまで 泣くといい

    自分は大阪府民ではないし、政治について大したことを書ける力も持っていないけれど。 想像通りの結果に、有権者はいったい何を望んだのだろうかと。 きっと「変化」なんだろう。で、いったい何を変えてほしかったのか。 切実に変化を望んでいる人々というのは、今まさに生活困難を抱えている人たちで、率直に言って、そのような人にとって「維新」とやらがあたたかい政治姿勢だとは思えない。 そこそこの暮らしをしているか、あるいは「景気悪いな」ぐらいに感じている圧倒的大多数の府民や市民が「なんとなく」喝采を叫び、切実に政治による助けを必要とする少数派の府民や市民が「深刻に」落胆しているような気がしてならない。もちろん裏付けるデータがあるわけではなく、ほぼネットを通した印象のみだけれど。 選挙なんてしょせん多数派のためのものであり、ここから政治の力が問われるのであってほしいが、ブレーキを誰かきちんとかけてくれるという

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  • 「共に学ぶには12兆かかる」で何を言いたいのか - 泣きやむまで 泣くといい

    8月8日に行われた「障がい者制度改革推進会議」における資料「参議院内閣委員会会議録(7月28日)」 http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/k_34/pdf/s5-2.pdf リンク先の資料自体が議事録からの抜粋らしいが、そこからさらに抜粋。 ○岡崎トミ子君 次に、統合教育に向けた取組が大きな論点の一つになってきました。今回、衆議院の、改正案に第十六条で、可能な限り共に教育を受けられるよう配慮しつつ、教育の内容改善及び充実を図る必要な施策を講じなければならないというふうに盛り込まれました。(中略)とはいうものの、道はこれからだというふうに思うんですね。社会も、総論は賛成ですけれども、各論になると大変難しいというふうに感じております。 一つは、共生の理念が浸透されていないのではないか。(中略)もう一つは財源がございます。障が

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  • 7歳でも保育所に通う子どもたちがいる - 泣きやむまで 泣くといい

    いろいろ驚かされた。 共働き夫が障害児の入学断念 常時付き添い求められ http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011030101000878.html 埼玉県川越市の共働きの夫が、障害のある子ども(6)の県立特別支援学校への入学を希望し、県から保護者が常時付き添うことを求められたため、断念していたことが1日、夫への取材で分かった。父親の司法書士広田博志さん(40)は「障害のある子の親は仕事を辞めないといけないというのは差別に等しい」としている。 博志さんによると、先天性脳性まひで重い身体障害がある次男明理君は1日に4、5回、鼻からチューブを入れて水分や栄養を補給する必要がある。現在通う同市立保育園では、配置されている看護師が担当している。 明理君が就学年齢になり、両親は特別支援学校への入学を希望。県は「リスクが高い」として特別支援学校の看護師に緊急時以外

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  • 絞っちゃいけない雑巾もある - 泣きやむまで 泣くといい

    少し前の記事だが、いま読んだ。 税と社会保障の一体改革:社会福祉法人の1兆円の濡れ雑巾を絞れ! −SYNODOS JOURNAL− http://webronza.asahi.com/synodos/2011021600001.html 同じ社会福祉事業を営む者としては、複雑な思いを抱く。我々は社会福祉法人と比べ、税制面など特定の側面において不利な環境に置かれてはいる。正直、うらやましいと思うこともある。しかし、この記事の読者が「特権にまみれた社会福祉法人からもっと搾り取るべきだ」と叫び、隣近所にある福祉施設に対して悪いイメージをもつのだとしたら、あまり良い気分にはなれない。 当然のことながら、社会福祉法人はそれぞれどんな事業を実施していくのかを決める。社会福祉事業の報酬は事業ごとにばらばらで、率直に言って、稼ぎやすいものも稼ぎにくいものもある。稼ぎやすいものと人々の生活に必要なものがその

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  • 非「学力」を幼稚園に期待するならば - 泣きやむまで 泣くといい

    内容そのものというより、受けとめられ方が気になる、という記事もある。 幼児教育人生に与える影響:研究結果 http://wiredvision.jp/news/201102/2011022320.html この研究結果について報じる文章に、たくさんのブックマークがつく、というのは何を意味しているのだろうか。 ネットで少し調べてみると、アメリカの就園児はいま80%ぐらいのようだ。1980年頃には25%程度だったらしい。幼児教育の重要性が次第に理解されてきたということなのかもしれない。 日で保育所・幼稚園に通う子どもの割合は、4歳以上児で言うと、95%を超えている。3歳児だと80%ぐらいまで下がる。すなわち、ほとんどの人が「就学前に2年は幼児教育を受けさせたい」と考えているわけだ。 幼児教育そのものの大切さへの理解は日米いずれにも十分あるのだろう。「公共政策として幼稚園なんていらないんじゃ

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  • 「特別扱い」にはいろいろある - 泣きやむまで 泣くといい

    痛いニュース(ノ∀`) : 「障害を特別扱いしないで。脳性マヒの息子を普通学級に通わせたい」 両親の訴えが実現、介助看護師を小中学校に派遣…成田市 - ライブドアブログ http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1588507.html リンク先ははてなブックマークである。ブックマークコメントの多くが批判的なものだが、元記事(痛いニュース)のほうはもっと読むに堪えない。みんな言いたい放題。 彼の心身の状況も中途半端にしかわからないし、彼自身がどう思っているのかもこの記事からは読み取れないから、普通学級が望ましいのかどうかを自分は言えない。ただ、的外れな批判はたくさんある。 批判する人たちの反応の中に「保護者のやっていることこそ『特別扱い』」という声があるが、障害をもつ子どもたちへの教育に与えられた名前は「特別

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  • 「治るのか」という問いを問う - 泣きやむまで 泣くといい

    少し前に話題となり、既に叩かれまくっているようだけれど。 【解答乱麻】明星大教授・高橋史朗 豊かな言葉がけ見直そう http://sankei.jp.msn.com/life/education/100419/edc1004190041000-n1.htm もうどうしようもなく偏った内容で、これを読んだ子どもの保護者とか親類とかのたとえ1%でも全て鵜呑みにしてしまったらなどと考えると、ただ暗い気持ちになる。 こうした主張が繰り返されてしまうことを何が可能にしているのだろうか? ひっかかるのは「治る」ということの意味である。 「障害」と「病気」は違う、と言われる。 そして、病気は治るが、障害は治らない、と言われる。 この説明はよくわからない。治らない病気、があるのはよく知られている。 病気→障害の因果関係が言われることもある。 しかし、こうした単線的な理解は否定されてきたし、自分の関わるよう

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  • 「福祉」にとって都合のいい「教育」なんて必要ない - 泣きやむまで 泣くといい

    養護学校の評議員会に出席。 学校からいろいろな報告など受けた後、質問や意見など求められたので、この半年ぐらい思っていたことを話してみた。評議員会の終了後、管理職からこっそりと感謝の言葉をいただく。「元気が出る話をしてもらえた」と。 評議員会に出ると、立場上、「福祉と教育の連携」について話をしなければならない。 「連携の強化」は学校としてもひとつの目標としているし、個別の教育支援計画の中では福祉資源についての情報も含まれる。学校は子どもが長い時間を過ごしている場所であるのだから、子どもを放課後にケアしている「福祉」サイドにとっても連携は大事な課題である。ここ数年、学校と福祉関係者がいっしょにケース会議に参加することも増えた。 そんな中、福祉資源は絶対的に不足している。 卒業後の就労先、通所先も足らないし、放課後の支援も足らない。学校には、子どもの保護者からも不安や不満が語られる。「なんとかな

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  • 地域で生きねばならない理由は何処に - 泣きやむまで 泣くといい

    養護学校の先生たちを前に、地域生活で必要な力について話してくれと言われたのは数週間前。 レジュメを作りながら、困ってしまった。養護学校というのはまさにそのような力を身につけるために教員が日々努力している場所だと思っていたから。算国理社に力を入れているとも思えないし、体を動かしたり、手先を使ったりすることを通じて、生活のための力をつけていかせようということなのだろうと思っていた。そこに将来の「就労」を考え含めたとしても、そのための力をつけていく重要性は嫌というほど教員に理解されているはずである。一般就労にせよ福祉的就労にせよ、卒業後の進路選択は最重要課題だ。今さら「働く力をもっとつけないと」なんて、教員に話しても仕方がない。 「働く」以外に、「地域で生きていく」というために必要な力は何か。少し前に「地域」論をここでも書いたけれど、そもそもあるべき地域生活とはどんなものか、を確定させないことに

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  • [近況]障害程度区分 - 泣きやむまで 泣くといい

    事務所を同じくする某法人の施設部門で、判定ソフトを用いて利用者の障害程度区分を出したらしく、見せてもらう。 これはひどすぎる。 全く支援の必要度と比例していない。車イス利用者の判定が極端に高く、行動障害のきつい利用者の判定が極端に低い。これでは行動援護類型なんて、誰もあてはまらない。自分がガイドヘルプをしている人もいるが、1対1での対応にさえ限界を感じる彼がどうして区分3なのか、全く理解できない。 事が全介助でもべ物が自分の口に運ばれてくるのをおだやかに待つことのできる人と、事は自分でとれなくもないが、手づかみになったり、隣の人の事にちょっかいを出したり、飲み物で遊びだしたり、特定のメニューしかべなかったりする人のどちらに支援の必要度が高いか。 排泄が全介助でも介助者の手を借りて5分で用を足し終えられる人と、自分で排尿も排便もできるが、身障者トイレに入って中から鍵をかけて30分ほ

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