小田原城の天守閣を木造に建て替えよう。小田原の歴史をあらためて学びながら、小田原の市民から集めた資金で、小田原の職人を総動員して、小田原の森で伐採した木材を使って。小田原では今、そんな「地産地消型お城づくり」のようなスケールの大きいプロジェクトが動きはじめています。 鉄筋コンクリートの天守閣はもういらない。 みなさんは、小田原城をご存知ですか?ぼくら地元民にとっては、箱根の玄関口である小田原のランドマークであり、その周辺も含めた西湘エリアのシンボルでもあり、また東京駅を出発した東海道新幹線の乗客にとっては、車窓から最初に見える城でもあります。築城は、15世紀。戦国時代には、豊臣秀吉に敗れるまで約100年に渡って、北條早雲など北條五代の拠点として繁栄しました。 これから春の桜シーズンを迎えると、多くの花見客が訪れる小田原城。天守閣の展望台は高さ約60m。 かつて小田原城内の動物園には日本一高
戦国大名の北条氏のイメージを覆す遺構が小田原城(神奈川県小田原市)から出土し、16日に見学会が行われる。「小田原評定」の不名誉な故事から、北条氏は山城に籠もって堂々めぐりの議論を続けた印象が強く、世間一般の評価はいま一つ。しかし、今回の発見から、専門家は強大で先進的な大名だった可能性を指摘する。(寺田理恵) ■戦国の城と江戸の城 上杉謙信や武田信玄らそうそうたる戦国武将に比べ通好みの北条氏だが、ここ数年、「歴女」と呼ばれる歴史好きの女性に人気がある。「あの角を曲がると北条氏照(4代目の弟)が切腹させられた場所のある通りだと観光客の女性に伝えたら、すぐさま関心を示していました」と小田原市文化財課の担当者。 天守閣をバックに撮影する女性が絶えないものの、江戸末期の姿に復興された現在の城が北条氏の城と異なることは必ずしも知られていないという。 国指定史跡「小田原城跡」は中世の北条氏の城郭と江戸時
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