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金田正一に関するkowyoshiのブックマーク (5)

  • 金田正一氏 阪神や中日から誘いが来たが国鉄へ入団した理由

    の球史を振り返ると、弱くてもファンに愛された魅力あるプロ野球チームが少なくない。JR各社の前身、国鉄が設立したプロ野球チーム「国鉄スワローズ」は勝てないことで有名なチームだったが、通算400勝を達成した金田正一という大エースを抱えていた。 『国鉄スワローズ』がセ・リーグへの参入を発表したのは1950年1月、ペナントレースの開幕を3月に控えた土壇場だった。 もう他球団が有力なアマチュア選手を根こそぎ集めてしまった後で、選手確保に苦労する。各地の鉄道局から選手を集めたが、プロ経験者は1人だけ。窮地を救ったのが、8月に享栄高を中退して入団した金田正一だった。弱冠17歳の金田は2か月で8勝を挙げる活躍を見せ、チームはなんとか最下位を免れる(7位)。 しかし燕はなかなか空高く飛び立てず、Bクラスに沈み続けた。Aクラスは1961年の1度のみ(3位)。エース・金田も、65年に巨人に移籍してしまい、1

    金田正一氏 阪神や中日から誘いが来たが国鉄へ入団した理由
    kowyoshi
    kowyoshi 2014/02/23
    さすがに国鉄スワローズの時代はよう分からんわい
  • 「長嶋はデビュー時、正しくはワシに5連続三振」と金田正一

    国民栄誉賞を受賞した長嶋茂雄氏は、記録より記憶に残った選手だったとたびたび言われる。その長嶋氏のプロデビュー戦は1958年4月5日の開幕戦で、結果は4打席連続三振だった。その三振を奪った投手が、当時、国鉄スワローズで大エースとして活躍していた金田正一氏だった。金田氏が長嶋氏の第一印象について振り返る。 ──1958年に東京六大学のスター・長嶋茂雄氏がプロデビューしました。 金田正一(以下、金田):初めて会ったのはスポーツ紙の正月用の対談だ。長嶋の印象か? 詰め襟を着て初々しかったが、若い癖にやたらとヒゲの濃い野郎だと思ったね。 キャンプが始まると、マスコミは一斉にワシと長嶋のライバル関係を盛りたてるようになった。しかしそのすべてがワシより長嶋を格上に扱う。とんでもなく失礼な話だよ。プロ9年目で182勝もしているワシとしては、長嶋など眼中にない。8年も後に入った選手だから屁でもなかった。これ

    「長嶋はデビュー時、正しくはワシに5連続三振」と金田正一
    kowyoshi
    kowyoshi 2014/02/23
    まあ、カネやんもチョーさんにはずいぶんメシ食わせてもらったということですな(こういう談話含めて)
  • 金田正一 巨人新外国人に「マイネーム・イズ・カネダサン」

    恒例の巨人宮崎キャンプを訪れた金田正一氏。早速、原辰徳監督から「今年は巨人軍80年の歴史の中でも非常にバランスとれた布陣」との言葉を引き出した。その後は再び練習場へ移動。原監督がドラフト1位ルーキーの小林誠司を呼んで紹介した。 金田:頑張れよ(と握手)。レギュラーになったらもう1回握手しよう。 小林:(緊張でガチガチになりながら)ハイ! 金田:(自分を指さしながら)ワシを知っとるか? 小林:ハイ、もちろんです。 金田:長嶋さんだよ。 小林:えっ? あっ、ハイ(とギャグに困惑)。 “鉄板”のネタで新人選手をいじった後は、次々挨拶に訪れる選手たちに対応。新外国人左腕のセドンには、 「マイネーム・イズ・カネダさん」 と気さくに自己紹介。400勝投手と聞かされたセドンは驚き、 セドン:グレイト! フォーク? 金田:ノー、ストレートオンリー。三振は4500だ。 セドン:オー!!(とさらに驚く) イッ

    金田正一 巨人新外国人に「マイネーム・イズ・カネダサン」
    kowyoshi
    kowyoshi 2014/02/23
    微笑ましい(一度、サンユキに出ないかなあ、カネやん)
  • 金田正一氏 14歳で高校入学し正式な野球のルール初めて知る

    プロ野球界の生きる伝説、球界史上唯一の400投手である金田正一氏は、中学生の時に野球を始めた。そして1948年5月、金田氏は享栄商に入学。そこで恩師である芝茂夫・野球部監督に出会う。 ──あれ? 監督はこの時14歳ですよね。中学卒業は? 金田正一(以下、金田):そんなものワシに必要あるか。来なら中3になったばかりだが、高校に入学したんだ。 ──そんな馬鹿な! 金田:ワシという存在をお前らの常識で考えるな。それだけ金田さんは才能に溢れていたんだよ。入学の手順も踏まずに野球部へ入ったが、当時すでに『名古屋にすごいヤツがいる』というワシの名声は県内に轟いていたからか、芝先生も“黙っていたらバレない”と後押ししてくれた。でも高校入学当時は、野球のルールすら知らんかった。 ──ええっ? 金田:野球の正式なルールを知ったのは、高校で野球部に入ってからだ。硬球も野球部入部まで握ったことがなかった。当然

    金田正一氏 14歳で高校入学し正式な野球のルール初めて知る
    kowyoshi
    kowyoshi 2014/02/23
    ほら吹きカネやんの言うことだから……
  • 金田正一氏 現役時代の球速は時速180キロだったと振り返る

    400勝投手の金田正一氏は、文字通りプロ野球の歴史の生き字引でもある。現役時代の球威についてや、往年の名選手たちと麻雀卓を囲んだ思い出について、金田氏に聞いた。 ──現役時代の監督(誌記者は金田氏のことをこう呼ぶ)の球はどれぐらい速かったんですか? 金田正一(以下、金田):180キロは出ていたんじゃないか。 ──もう一度お願いします。 金田:やっぱりお前はワシをバカにしとるだろう。国鉄時代、ある地方球場での阪神戦でこんなことがあったんだ。ワシが投げる度に阪神の打者が首を傾げるのよ。それで金田正泰さんの打席でタイムがかかり、何やら主審に話しかけるとベンチから監督まで出てきた。するとマウンドに集まった審判が、メジャーを持ち出してバッテリー間の距離を測り始めたのよ。 ──試合中にですか? 金田:ワシの球があんまり速いからマウンドからホームベースまでの距離が足りないという疑いがかかったんだ。短い

    金田正一氏 現役時代の球速は時速180キロだったと振り返る
    kowyoshi
    kowyoshi 2014/02/23
    まあ、カネやんが言うことだからなあ
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