関西マット界を代表するレスラー、"ミスター大阪プロレス"ことタイガースマスク選手。高い実力もさることながら、独特の発想力は他者の追随を許しません。大阪プロレスの生え抜き1号としてデビューしてから13年間、団体を象徴する選手として活躍してきましたが、2014年2月8日、自身の公式ブログで、4月20日付で退団することを電撃発表しました。 大阪プロは本拠地・ナスキーホール梅田を4月いっぱいで閉鎖、活動を大幅に縮小することを発表したばかり。そんな中での主力選手の離脱は、団体の今後に大きな影響を及ぼすことは必至です。 今回は退団発表の翌日に、タイガース選手を直撃インタビュー。退団を決意した理由、退団後のこと、そして3月29日に開催する"最後の自主興行"での対戦相手も明らかにしました。 ◇ ◇ ――退団を決断することに至った理由は。 タイガース選手「退団を決めたのには色んな理由があるんですけど、
大阪プロレスが1月25日の特別興行後、今後の団体についての発表を行いました。本拠地会場の「ナスキーホール梅田」から4月いっぱいで撤退、巡業スタイルに変更するとのことです。今回の発表は、切迫している経営状態が表面化したといえます。 大阪プロレス本拠地から撤退...消滅も 大阪プロは団体初期から常設会場を保持。ナスキーホールは3カ所目の会場でした。長らく続けていた興行形態を大幅に変更することになります。今回は阪上雄司会長の発表の言葉の詳細、そして興行後に生え抜きの若手選手らに聞けた"生の声"をお届けします。 ◇ ◇ 特別興行の全試合終了後、阪上会長が単独でリングに上がりました。発言はなるべくそのまま書き起こしています。 阪上会長「皆さんこんにちは。楽しんでいただいた後に、少し流れが変わる話になるかもしれませんが、私のほうからご報告があります。少しだけお時間よろしくお願いします。 大阪プロ
プロレスのグッズ制作などを手掛ける壱張羅さんが2013年11月9日、道頓堀アリーナで「カレープロレス」を開催しました。カレーとプロレス?少し異色な感じもしますが、名古屋では定期的に行われているといいます。 大阪では恐らく初となるコンセプトの興行は、どんなものになったのでしょうか?今回は無類のカレー好きであるスタッフRが、90%カレー目当てで会場に潜入。とりあえずカレー食わせろ! ◇ ◇ 食欲そそるスパイス衆の香り漂う会場。2階のカウンターでは本日の主役!カレーを用意している最中でした。これはうまそう!カレーを担当したのは、道頓堀プロレスでリングアナを務めるマグナム北斗さん。現在は道頓堀アリーナ2階にあるカフェバー「A-TOYS」で不定期開催されているカレーコンペ「C1グランプリ」で2年連続優勝の実績もある実力者です。ちなみに名前は「立派なキノコは北斗カレー」。うむむ、何か特別な意味が
どんな名スポーツ選手にも、いつかは「引退」の時がやってきます。年齢による体力・気力の衰えや、大きな怪我、結婚などによる環境の変化など理由はさまざまですが、人間である限り、永久に現役選手でいることは不可能です。もちろん、屈強な肉体を持つプロレスラーも例外ではありません。 そして今、あるベテランレスラーが、リングを降りることを決断しました。平日マスク選手。2010年10月13日、当時「平日プロレス引退」を発表したタイガースマスク選手に代わり、さっそうと大阪プロレスに現れた謎のマスクマンです。ネパール出身、キャリア30年以上、試合をするのは平日のみ...という以外は、謎に包まれている"レジェンド"。その平日選手が、レスラー人生の終点に選んだのは日本だったのです。 今回は「平日マスク引退ロード」の第1弾が行われた2013年3月7日(バリバリの平日)に、平日選手に密着。引退への思い、知られざる経歴、
大阪のプロレス事情が大きく変わろうとしています。4月末で大阪プロレスを退団した空牙選手が、自主興行を開催し再始動。しかしその内容は、ファンにとって衝撃的なものでした。同時に退団したメンバーが参加していることもさることながら、自主興行としては異例の一挙4大会を開催、そして会場は...一度は閉鎖されたはずの、大阪プロレスの旧本拠地・道頓堀アリーナ(旧名・ミナミムーブオンアリーナ)でした。 決定した4大会のうち3日間は、見事なまでに大阪プロレスの週末興業とバッティング。また復活した道頓堀アリーナは早くも他団体からの使用オファーが舞い込み、早くも"大阪南北プロレス戦争"の様相を呈してきました。 果たして空牙選手の狙いは?そして今後はどのような動きを見せるのでしょうか?今回は今後の大阪のプロレス界に大きな影響を及ぼすであろう、6月15日・空牙自主興行の第一回目をレポート。大会後に空牙選手にお話を
松本都選手が立ち上げた異色団体「崖のふちプロレス」が2012年6月24日、初の名古屋大会を開催。チケット販売などで苦戦しながらも、大盛況で終えることができました。大会のリポートは、 <前編> <中編> を、どうぞ。 大会終了後、興奮の余韻が残る会場で松本選手にインタビューを行いました。今回の大会の手応えから、崖のふちプロレスの今後、そして独特なプロレス観についても聞くことができました。 ◇ ◇ ◆崖のふちプロレス、初の地方進出 ――今回の名古屋大会開催のきっかけは。 松本選手「松本選手「3月にアイスリボンの名古屋大会がありまして、そのあとのイベントをここ(スポルティーバアリーナ)でやらせて頂いたんですけど、そのトークショーで『崖のふちプロレスをスポルティーバでやりたいですね』という話が出て。そこでマンモス半田さんの名前を出したんです。 私がマンモスさんと試合をしたかったわけでも、ファ
松本都選手が旗揚げした異色団体「崖のふちプロレス」が2012年6月24日、初の地方進出となる名古屋大会を開催。今回はそのリポートの中編になります。まだ前半を読んでいない方は、 松本都、プロレス界の"崖のふち"を突っ走る!<前編> を、先にどうぞ。 ◇ ◇ いよいよ崖のふちvsスポルティーバ陣の5番勝負も佳境、1対2と崖のふち側がリードされた状況で残りは2試合です。 ◆4本目 松本都vs彰人 パラパラ対決 「より心のこもった、情熱がほとばしるパラパラを見せた方の勝ち」とのことです。前奏時の2人は、笑顔で周囲を指さす松本選手に対し、グッと集中する彰人選手。まさに対照的な『動と静』です。 笑顔で躍動感のあるダンスを披露する松本選手。対して彰人選手はキレのある動き。これは中々の熱戦になりました! 松本選手、ロープ渡りに失敗して転落するハプニングがあったものの、判定の結果、松本選手に軍配!しか
元アイスリボンの松本都選手が2011年6月に旗揚げした「崖のふちプロレス」。所属は代表を兼ねる松本選手ただ1人、しかもまともな試合がほとんどないという異色団体です。これまでアイスリボン本拠地であるレッスル武道館(埼玉県蕨市)を中心に活動していましたが、2012年6月24日、通算9回目の大会を、初の首都圏以外となる名古屋で開催しました。 チケット販売が大苦戦した中で迎えた大会当日。存在感を放つ松本選手、初めての試合形式に戸惑う選手たち、ファンの熱狂、笑顔、そして涙。今回は初の地方進出となった崖のふちプロレス名古屋大会を取材、そして最後には松本選手にインタビューを敢行しました。ジワジワと広がる崖のふちプロレスの人気の秘密、そして異端児・松本都選手の魅力とは?前・中・後編、全3回に分けてレポートします。 ◇ ◇ 会場となったのはJR鶴舞駅から徒歩3分にあるスポーツ&プロレスバー「スポルティ
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