(お気持ち表明的な文章なので、以下の記述に飛躍や暗黙の前提はたくさんあると思う) 功利主義は最大幸福だけを求める薄っぺらい思想であり、何かと合理主義や資本主義と結び付けられ、人格の別個性を無視する浅はかな思想であり、マイノリティに抑圧的である、などと言われる。功利主義に対して否定的な哲学者、思想家は、このような功利主義に対して対抗的な立場を打ち出す。それは、その思想の構成要素それ自体に、上記にような批判を回避するための要素が組み込まれている。だから自身の理論が功利主義に対する批判を回避できるのは自明である。その分、その思想は分厚く、理論的なコミットメントが多くなる。 私は、功利主義が理論的に薄っぺらいことを認めたいと思う。例えば行為功利主義によれば、ある行為の正しさは、その行為のもたらす帰結に含まれる幸福の総和、そしてそれだけによって決まる。これほど理論的に単純明快な主張はないと思う。この