――明治四十四年八月堺において述―― 夏目漱石 私はこの地方にいるものではありません、東京の方に平生住(すま)っております。今度大阪の社の方で講演会を諸所で開きますについて、助勢をしろという命令――だか通知だか依頼だかとにかく催しに参加しなければならないような相談を受けました。それでわざわざ出て参りました。もっともこの堺だけで御話をしてすぐ東京表(とうきょうおもて)へ立ち帰るという訳でもないので、現に明石(あかし)の方へ行きましたり、和歌山の方へ参りましたり、明日はまた大阪でやる手順になっております。無論話すことさえあれば、どこへ行って何をやっても差支(さしつかえ)ないはずですが、暑中の際そうそう身体(からだ)も続きませぬから、好い加減のところで断りたいと思っております。しかしこの堺は当初からの約束で是非何か講話をすべきはずになっておりましたから私の方もそれは覚悟の上で参りました。し