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プログラマに関するktakaのブックマーク (8)

  • ユメのチカラ: 取締役退任。生涯一プログラマ宣言。

    6月30日臨時株主総会において、ミラクル・リナックス株式会社の新取締役として、児玉崇、伊東達雄を選任し、それに続く、取締役会議により、新しい代表取締役として児玉崇を選任した。佐藤武前代表取締役社長は、取締役会長へ、わたしは取締役を退任した。 ここにご報告する。 さて、ここからが題(?)である。取締役を退任したからといってミラクル・リナックスを辞めるわけではない。今後は経営者という責任ある立場を退き一技術者としてミラクル・リナックスに貢献していく。 2000年6月にミラクル・リナックスを創業以来8年にわたって取締役CTOとしてミラクル・リナックスとともに歩んできたが、取締役というよりも、技術屋としてミラクル・リナックスのV1.0の開発、OSDL (Open Source Development Lab -- The Linux FOundationの前身)への参画、そしてAsianuxプロ

    ktaka
    ktaka 2008/07/01
    すばらしい。私も見習いたい。
  • 「真のゆとり教育」が生んだ18歳天才プログラマー ビジネス-最新ニュース:IT-PLUS

    電通、三菱UFJ信託銀行など大手企業が相次ぎ参入を表明する「情報銀行」。ここに挑むベンチャー企業がDataSign(東京・渋谷)だ。同社の太田祐一社長は情報銀行という言葉が生まれる…続き 中部電力が「情報銀行」参入へ 電力データを活用 [有料会員限定] 「情報銀行」説明会に200社 データ流通の枠組み始動

    「真のゆとり教育」が生んだ18歳天才プログラマー ビジネス-最新ニュース:IT-PLUS
  • 「あれは強烈なカルチャーショックだった」 UE清水社長が語った転機とは:CodeZine

    清水さんは元々ドワンゴに勤めていて、iモードの黎明期から携帯コンテンツ業界に関わっていたと聞きました。ですが、ドワンゴが急成長し始めたときにあえて独立されたのはなぜでしょうか? 僕は携帯コンテンツのゲームテクノロジー部分を作っていた人間なのですが、当時、ドワンゴは着メロ事業にシフトし始めていたんです。それは、ゲームを作っている僕のような人間にとっては方向性の違う事でした。そこで会社を離れ、別の道を探そうと思ったのです。

  • 仙石浩明の日記: プログラマ 35歳 定年説

    「プログラマ 35歳 定年説」、みなさんも一度は 聞いたことがあるのではないかと思います。 35歳ぐらいになったらプログラミングなんて仕事は若い人に譲って、 マネジメントをやりなさい、 という趣旨ですね。 その理由として、体力的な面だとか、 歳をとってくると新技術を覚えられないとかが、 あげられるようです。 実際、多くの企業でプログラミングは新人ないし外注の人 (最近はオフショアも増えてきました) の仕事とされ、 中堅社員はマネジメントや上流行程を担当することが多いようです。 そして、この定年説に真っ向から異を唱える主張が、 ここ 10年くらいずーっと続いています。 よくもまあ、こんなに長い間、 アンチ定年説が唱え続けられるものだと感心してしまいますが、 やはりこれは定年説に異を唱える人が多いにもかかわらず、 世間一般では 35歳を越えるあたりで、プログラマ人口が減るからなのでしょう。 寄

  • 「本物のプログラマ」もNEETになり得る御時世の処世術 - 雑種路線でいこう

    ぼくはIT業界の中で技術者からマーケティングに移った人間で、最初こそ張り切ってコトラーとか読んだけど、外資系企業で日法人にいて3Cとか分析しても4Pのどれも殆ど触れないことに気づいて、これじゃマーケティング戦略の勉強にはならないなぁと感じて途中から技術渉外っぽい仕事に路線変更した。*1技術渉外というのも一風変わった仕事で、似たような仕事があるといっても非常に限られているだろうし、日企業のそういった部署で中途は採ることは少ないだろうから、日々潰しが利かなくなっているのではないかという不安はある。けれどもまぁ、英語とか段取りとか、自分の苦手なところを鍛えつつ、少し突き放して業界の仕組みを眺める居場所としては面白い。 どこかでいざとなったら技術者に戻れるという気持ちもあって、Virtual PCLinuxとかの環境はつくっているし、手元の環境には一通りのコンパイラは入れているし、研究所でつ

    「本物のプログラマ」もNEETになり得る御時世の処世術 - 雑種路線でいこう
  • 未来のいつか/hyoshiokの日記: コードを書く人を尊敬するということと人材育成

    再三再四ここで記しているようにわたしはコードを書く人を尊敬している。理屈をこねる人ではなくコードを書く人を尊敬している。こういうことをわざわざ言わなくてはいけないのは世の中がコードを書く人をはじめとする現場の人を尊重しているように思えないからだ。 人材育成だ何だと言っても世の中がコードを書く人を尊重しなければ若い人は決してそのような職業を選ばないだろう。若い人を単に安い労働力としてしか見なかったら、若い人は決してそのような職業に魅力を感じないだろう。当たり前の話である。 しかし、世の中の偉い人でコードを書く人の重要性をちゃんとどれだけ認識しているのだろう?お寒い。ぶるぶるっである。日の寝ぼけた経営者は間違いなくそのような認識はない。あんただよあんた、と某社のお偉いさんに言いたい。 産学連携ということの産業界にとってのメリットは若い人をリクルーティングできることである。若い人にプログラムの

    未来のいつか/hyoshiokの日記: コードを書く人を尊敬するということと人材育成
  • プログラマ - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    多分、わたしの使っているプログラマという言葉が意味する職業と多くの人のイメージするプログラマという職業は微妙に異なっているのだろう。 お客さんの業務システムを受注してそれをおさめるという仕事があるが、SIとか言われていたりする、わたしの専門性はその分野にないので、そこでどのような仕事がされているかは実のところよく知らない。なのでSIの人とわたしのイメージするプログラマという職業とではやはり微妙に違うような気がする。 わたしは主にソフトウェア製品を作る人々についての議論になる。SIでお客さんのアプリケーションを開発している人々のことはここではふれない。常々記しているように日と言う地域には、国際競争力のあるソフトウェア製品というのがほとんどないので、上記の意味での職業的プログラマというのは日には残念ながらほとんどいない。ソフトウェア製品での勝負は90年代米国の一人勝ちだ。勝負あった。 そこ

    プログラマ - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    ktaka
    ktaka 2005/11/12
    私も自己紹介するときは敢えて「プログラマです」と言っています。
  • シニアプログラマ - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    毎週金曜日はコンソーシアムの定例進捗会議である。今日は別件があって早退した。その後暑気払いの宴会があったので、別件が終わってからまた合流することにした。宴会というと何はおいても参加しようとするそのエネルギーはいったいどこからでてくるのか?実は宴会でもっとも重要な事が議論されるという宴会の法則というのがあって、それがために会議は中座しても宴会だけはでなくてはいけないのである。 それはともかく適度にへべれけになりながらよた話をかわすわけだが、定年退職したシニアなプログラマを集めて老人ホームを作ったらどーだという話になる。日の大企業は35歳前後から偉くなるとコードを書かなくなる。書くことを許されなくなる。これからあぶらが乗り切ってバリバリ仕事をこなすという時期になって現役を引退させられるようなものである。40歳前後のPM的な仕事をしている優秀な人は内心自分もコードを追っかけてみたいと思っていて

    シニアプログラマ - 未来のいつか/hyoshiokの日記
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