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ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (14)

  • オシムジャパン全試合に出場した鈴木啓太。「自分の新たな扉が開いた」という代表ベストゲーム

    日本代表「私のベストゲーム」(11) 鈴木啓太編(前編) サッカーの神様も粋な演出をしたものである。 2004年3月18日、東京・国立競技場。U-23日本代表は、アテネ五輪アジア最終予選でUAEを3-0と下し、3大会連続となる大会出場を決めていた。 キャプテンとして歓喜の輪の中心にいた鈴木啓太は、しかし4カ月後、アテネ五輪番の登録メンバーに名を連ねることはなかった。 以来、鈴木は悔しさを抱え、成長を続け、アテネ五輪から2年、ついに次なる目標と定めてきたA代表デビューを飾ることになる。 晴れの舞台は、奇しくもアテネ五輪への出場権を勝ちとった時と同じ、国立だった。 「試合前に国歌を歌った時には、それまでのことが走馬灯のようによみがえってきました。死ぬわけじゃないんですけどね(笑)。 ひとつの夢であったオリンピック出場が叶わず、次はもう(年代別ではない)日本代表しかない。と同時に、日本代表

    オシムジャパン全試合に出場した鈴木啓太。「自分の新たな扉が開いた」という代表ベストゲーム
    kubodee
    kubodee 2022/07/26
  • プロの世界に「いる価値がない」――どん底の状態にあった鈴木啓太を救ったミシャの言葉

    日本代表「私のベストゲーム」(11) 鈴木啓太編(後編) 前編はこちら>>  中編はこちら>> 2010年6月11日に開幕したワールドカップアフリカ大会。日本代表がベスト16進出を果たす戦いを繰り広げていた時、鈴木啓太は遠く日テレビの前にいた。 「一緒にプレーしていた選手が多かったので、応援はしていました」 そう語る鈴木は、「自分もここに立てたかもしれない、とはまったく思えなかった」と、当時の心境を振り返る。 「選手として、というよりは、一ファンとして見ていたというか。悔しい気持ちは当然ゼロではないんですけど、アテネオリンピックの(メンバーから漏れた)時のほうが悔しさは大きかったですし、あの時当に悔しかったかというと、そこまでは思えない自分がいたんです」 2008年に入って病気を発症し、コンディションを崩して以降、自分の体がどんな状態にあるのか、一番わかっているのは誰より鈴木自身だ

    プロの世界に「いる価値がない」――どん底の状態にあった鈴木啓太を救ったミシャの言葉
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    kubodee 2022/07/26
  • 【国内バスケ】田臥勇太が語る「能代工時代の憂鬱な夏」

    7月特集 ああ、涙の夏合宿物語(2) 今年も夏がやってきた。3年連続3冠(高校総体/インターハイ、国体、全国高校選抜/ウィンターカップ)を成し遂げた能代工業高校を率いた田臥勇太は、この季節が来ると思い出す。「あの夏、もうコテンパンにやられましたね」。無敗を誇った『必勝不敗』の軍団が連戦連敗を喫した、あの夏の、夜の憂(ゆううつ)がよみがえる――。 能代工時代の練習を懐かしそうに振り返る田臥勇太 秋田県北部、海沿いの町――能代。能代工業バスケ部に入部直後、神奈川県横浜市からやって来た、まだ少しほほのふっくらした少年はつぶやいた。 「高校の練習って、こんなに厳しいのか」 繰り返されるフットワーク練習、いつ終わるやも知れぬシャトルラン。 「どんなにキツくてもやるしかない。この練習を代々、先輩たちもやってきたんだ」 もちろん当時の田臥勇太は、その練習の先に、史上初となる3年連続高校3冠を獲得するこ

    【国内バスケ】田臥勇太が語る「能代工時代の憂鬱な夏」
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    kubodee 2022/07/26
  • 07年我那覇和樹を襲った冤罪事件。「言わないと一生後悔する」

    木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko松岡健三郎/アフロ●写真 photo by Kenzaburo Matsuoka/AFLO ★日サッカーを救った男の現在地 前編 カマタマーレ讃岐が使用する高松市東部運動公園サッカー場には、2月の寒風がすさぶ中でも熱心なサポーターたちが練習を見学するためにやって来る。若い広報のスタッフはそんな顔が見える度、丁寧にあいさつをする。サポーターとチームスタッフとの距離の近さと信頼が垣間見える。彼がこのチームに来たのはまだ半年前である。サッカー仕事をしたいということで大阪から讃岐にやって来たのだ。選手との初めての顔合わせの際は緊張したが、その中で最も気さくに接してくれたのが、ベテランの我那覇和樹(38歳)だった。 世代的に言えば、代表戦をテレビで観ていた中学生時代、我那覇にはサウジアラビア戦でゴールを決めた男として強烈な印象が今でもあ

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    kubodee 2019/02/09
  • 中島翔哉が1年で激変した理由。社長直談判で実現したポルトガル移籍 |サッカー代表|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

    小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki 岸勉●写真 photo by Kishimoto Tsutomu ロシアW杯ベルギー戦の先発メンバーは11人中、10人の選手が欧州組だった。 もちろん、たとえ海を渡っても定位置をつかむことがなければ、力を見せることはできない。しかし、環境に順応し、外国人選手として活躍し続ける選手は、それだけ成熟している。長谷部誠のように、臨機応変の戦いをし、怯むことがない。乾貴士のように、身につけた剛直さで持ち前の技を出し切れる。戦い手として練達するのだ。 10月16日、日本代表は埼玉スタジアムで世界の強豪、ウルグアイを真っ向勝負で寄り切った。この夜も、欧州で格闘する日々を過ごす選手たちが違いを示した。 「(日の)選手たちが、ウルグアイの選手たちと同じ目線で戦っていた」 森保一監督が試合後に語っているように、若い選手たちは少しも臆すること

    中島翔哉が1年で激変した理由。社長直談判で実現したポルトガル移籍 |サッカー代表|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
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    kubodee 2018/10/20
  • 鹿島TD就任のジーコから熱いメッセージ。「第ニの故郷へ帰る理由」

    リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko 今、私は非常にあわただしい日を過ごしている。しかし、それはうれしい忙しさだ。なぜなら私は再び日に行くからだ。この8月から、私は愛する鹿島アントラーズのテクニカルディレクターに就任する。 鹿島に帰ることを決断した理由は、ごくシンプルなものだ。今が、第二の故郷へ帰るその"時"だと感じたからだ。 W杯が終わり、多くの国やクラブチームから、さまざまなオファーが寄せられたが、そのどれにも私はあまり興味がわかなかった。スポーツチャンネルで解説を務め、自分の番組を発信し、さまざまな講演会やイベント出演のリクエストも多い。ブラジルでの落ち着いた生活に、私は十分満足をしていた。 しかし、そこに鹿島からのサプライズともいえるオファーが届いた。この知らせを聞いた

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    kubodee 2018/08/05
  • オシムがセネガル戦を絶賛。「日本の強さはポーランドより上」

    ズドラフコ・レイチ●文 text by Zdravko Reic 利根川 晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko 日よ、見事だ。当に見事だ。このようなエネルギー溢れるサッカーを見たとき、チームスピリットに触れたとき、私は大きな幸福を感じる。 試合前は日がセネガルに対抗できるのか、私は懐疑的だった。セネガルの選手の身体能力は非常に高く、すこぶる強靭だ。野生動物のような鋭さを持っている。そんな彼らと互角の戦いをするのは、決して簡単なことではなかったろう。 それなのにデータを見ると、"デュエル"での勝利は日がセネガルを上回っている。日の選手が知能と工夫を駆使して競り勝つたびに、私は誇りのような喜びを感じ、思わず手を叩いていた。 中盤で屈強なセネガルの選手たちと渡り合った柴崎岳 photo by Sano Miki 1点のビハインドから同点にすることは、た

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    kubodee 2018/06/27
  • オシムが語るハリル解任「腐ったリンゴの排除か、監督交代しかない」

    ズドラフコ・レイチ●文 text by Zdravko Reic 利根川 晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko W杯を直前にしたハリルホジッチ解任劇を、ハリルにとって同郷(ボスニア・ヘルツェゴビナ)の先輩であり、日本代表監督の先輩でもある「彼」はどう見ているのか。イビツァ・オシムはオーストリア第2の都市グラーツにいた。その町の病院で半年に1回、検診を受けなければいけないのだという。「でも安心してほしい。現在の体調はいたって良好だ」というオシムを、旧知のクロアチア人ジャーナリストが直撃した。 2006年から、病に倒れる2007年11月まで、日本代表監督の座にあったイビツァ・オシム氏 photo by YUTAKA/AFLO SPORTS ハリルホジッチの解任以降、多くの人々が私の意見を求めてきた。私のことをよく知っている人であれば、私がこうした他人の問題に首

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    kubodee 2018/05/11
  • スペイン2部の鈴木大輔は信じている。「日本代表にはきっと入る」

    前編「3億円のオファーを断った理由」を読む>> 「日本代表には、しかるべきタイミングがあって、きっと入る。今はそう信じています」 リーガエスパニョーラ2部のヒムナスティック・タラゴナ(以下、ナスティック)で3シーズン目となるディフェンダーの鈴木大輔は、その胸中を明かしている。代表で最後にプレーしたのは、ハビエル・アギーレ前日本代表監督時代の2014年10月、ブラジル戦だった。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督からの招集は未だにない。今月の欧州遠征でもメンバー入りはしなかった。 「代表でプレーしたいというのは、もちろんあります。でも、それに執着したらいけない、とも思っていますね。自分はスペインに、"どれだけ成長できるか"というので来ていますから。そうすることで、代表の道も開けるはずって。ただ、ネットニュースとかで情報は伝わってくるので、それを見たりすると、焦りがないといえば、嘘ですよ。不安もある

    スペイン2部の鈴木大輔は信じている。「日本代表にはきっと入る」
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    kubodee 2017/11/29
  • スペインの知将がハリルに提言。「大迫、岡崎の2トップでいくべきだ」

    小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato ミケル・エチャリが語る「ハリルジャパンの課題」(後編) 前編・GKとDFについてを読む>> W杯アジア最終予選では先発出場の機会を減らしていた岡崎慎司「日ロシアW杯アジア最終予選そのものは、決して悪い流れではなかった。昨年のオーストラリア戦、サウジアラビア戦などは狙いが見えていた。戦術的な熟成の気配があった」 ハリルジャパンのW杯予選を全試合スカウティングしてきたミケル・エチャリは、一定の評価を与えてから、こう苦言も呈している。 「ところが、今年に入ってからのチームは進化が止まってしまった。スペースを支配するバランスが崩れ、相手につけ入られるようになっている。とりわけ中盤の選手が軽率にポジションを離れ、バランスを壊している。たとえばハイチ戦の3失点は、それがテス

    スペインの知将がハリルに提言。「大迫、岡崎の2トップでいくべきだ」
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    kubodee 2017/11/09
  • 【恩田社長の600日】特別寄稿「解任されたラモス監督の功罪」

    FC岐阜・恩田社長の600日 ~Jリーグ地域クラブへの伝言~ 番外編 ラモス監督解任! そして、誰もいなくなったFC岐阜で約2年半、指揮を執ったラモス瑠偉監督 前回の記事はこちら>> 7月22日、FC岐阜の監督であったラモス瑠偉氏との監督契約解除が、クラブよりリリースされました。 2014年シーズン開幕前、新生FC岐阜の象徴として招聘された、ラモス瑠偉監督・川口能活選手・三都主アレサンドロ選手の面々。誰もが知っている元日本代表の加入に、岐阜県中の人々が心躍らせました。 しかしながら、1年後に三都主アレサンドロ選手に戦力外通告、2年後には川口能活選手に戦力外通告、そして、今季のシーズン途中でのラモス瑠偉監督の解任となり、3人ともFC岐阜を去りました。まさに「そして、誰もいなくなった」のです。 「名選手、名監督にあらず」とは、よく言われることですが、ラモス氏はどうだったのでしょう。今回は番外編

    【恩田社長の600日】特別寄稿「解任されたラモス監督の功罪」
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    kubodee 2017/07/20
    いろいろあらーな。
  • 海堀あゆみが引退の理由を語る(後編)「どんなことにも意味がある、絶対に」

    現役中、引退後を含めて、かたくなに口を閉ざしてきた海堀があえて今回、斜視で物が二重に見える症状のことに触れたのにはある強い想いがあるからだった。(前編はこちら) 引退を発表していた澤穂希のために戦ったという皇后杯。見事優勝で有終の美を飾った「いろんなことが起きる可能性は誰にでもあると思うんです。でも、どんなに苦しい状況でも一度自分で受け入れないと何も始まらない。自分も受け入れてなかったらヒステリックにサッカーしていたかもしれないし、目の症状が出たせいでサッカーをやめることになったと言い訳にしていたかもしれない。受け入れた上で何をどうするかが大事。自分はいろんな人の助言やサポートがあったから現実を受け入れられた。だからすべての出会いに感謝しています」 さらには斜視の症状が出たこと自体は、大きな壁ではなかったと言い切った。 「そこはちゃんと立ち向かってクリアしてますから(笑)。要はそこから頑張

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    kubodee 2016/02/12
  • 戦力外から球宴へ。楽天・福山博之の奇想天外すぎる野球人生

    高森勇旗(元横浜ベイスターズ)●文 text by Takamori Yuki小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro サブ――楽天で「サブ」といえば、脇役のことではない。福山博之、通称サブ。中継ぎとして今季ここまで(7月16日現在)リーグ4位の38試合に登板し、防御率1.52と、最下位に沈む楽天の中で獅子奮迅の働きを見せ、今や楽天リリーフ陣の柱にもなっている存在だ。星野監督から「ウチで1番成長したピッチャー」と言わしめるほど絶大な信頼を受け、このたび監督推薦によるオールスターへの出場を勝ち取った。そんな福山がオールスター選出に対しての率直な思いを語ってくれた。 監督推薦でオールスターに選出された福山博之。 「プロ野球選手になることさえ『まさか』だったのに......。しかも、2年前に戦力外を受けたオレが、まさかオールスターにまで出られるなんて、当にあり得ないと思

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    kubodee 2014/07/17
  • 元巨人ドラフト1位・辻内崇伸「8年間の悔恨」を語る

    谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro日刊スポーツ●写真 photo by Nikkan sports プロ野球「行く人、来る人」2013 今年もドラフトで育成枠を含めると89人の選手がプロからの指名を受けた。その一方で、かつて「怪物」と呼ばれた男がひっそりユニフォームを脱いだ。8年前の今頃はマスコミの注目を一身に浴び、将来の巨人のエースと嘱望されていた辻内崇伸だ。大阪桐蔭高校時代の3年夏の甲子園で、左腕最速となる156キロを記録。2回戦の藤代(茨城)戦では当時大会タイ記録となる19奪三振をマークした。しかし、高校野球史にその名を刻んだ剛腕のプロ生活は度重なる故障との戦いだった。結局、1度も公式戦の一軍マウンドに上がることなく26歳を前にした今秋、8年間の現役生活にピリオドが打たれた。 一度も一軍のマウンドを経験することなく、8年間のプロ野球生活に別れを告げた辻内崇伸。

    元巨人ドラフト1位・辻内崇伸「8年間の悔恨」を語る
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    kubodee 2013/11/25
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