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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/mit_sloan (3)

  • 新しいことを始めようとするとケチつける人は世界中にいます - My Life After MIT Sloan

    研究でも、起業でも、社内での新しいプロジェクトでも、新規サービスでも、 何か新しいことを始めようとすると、外野から何かとケチがついたりする。 例えば、私が例の修士論文を書き始めた頃は、MITの先生とかは面白いと肩押ししてくれたのだが、 中には「それ、何が新しいの?そんなの10年前から言われてるよ。やる意味あるの?」と言ってくる学生もいた。 ボストンのような学術の街でもこうなんだな、というのは少し驚きだった。 私が書いたのは、コンサルファームにいるとかで、業界全体を色んな角度から良く見ているひとなら、 一度は考えたことがあるかもしれない、良く見られる業界の現象だった。 しかし、現状ではその現象に名前も付いてないし、メカニズムもちゃんと解明されてないので、ちゃんと研究する意味があると私は思ったわけだ。 で、取り組んだ結果、その分野の最先端にいる何人かの先生に、これは面白いから、修論で終わらせず

  • 出る杭は打たれる - My Life in MIT Sloan

    年末日に帰った時、年賀状を出したのだが、その返事をエアメールで送ってくださった方が何人かいらして、今日届いた。 いや、たぶんおとといくらいには届いてたのかもしれない。 ボストンに帰ってから2、3日部屋に引きこもってたので気がつかなかった。 当にありがたいことです。 年賀状を読んで、気付いたことがひとつ。 このブログの読者の方や、私の普段を見ている方で、私が常に前向きに色々興味を持って、活動してるように思う方もいるかもしれない。 そう見えるときも確かにあるが、必ずしもいつもそうなわけでは無い。 裏側には、傷ついたり、落ち込んで気力が全く無くなって、うじうじしてることも多々あるわけで。 うじうじ。 ただ、そういうことをそのまま書いちゃうと、愚痴になっちゃうのがいやで、書かないだけだ。 新しいことにチャレンジしたりすると、必ず壁があったり衝突がある。 特に言語や共有する文化が違うところで

    kulurel
    kulurel 2010/05/26
    それぞれHowは狭いが、What自体は意外と広い  原因:渦中にいる人は、いつの間にかWhat(解)とHow(その解をどうやって実現するか)を混同して選択肢を狭めてるから。
  • 日本の中高の英語教育がマイナスにしかならない件について - My Life After MIT Sloan

    人が英語が出来ない、というのは、実は世界中でネタにされている、ということが意外と知られていないらしい。 ということが、おとといTwitter英語ネタで盛り上がったときにわかった。 英語がちょっと出来るだけで、海外で、 「日人でこんなに英語で話せる人、初めて見ました」 「日人にしては英語すごい上手ですね」 と驚かれるひとは世の中には多い、ということで経験談が色々Twitterでシェアされた。 私もそうだ。 私、渡米前はTOEFL8回受けても、Speaking22点が最高点でしたから、正直大したことは無い。 押し出しの強い性格だからイイタイコトはちゃんと言えるけど、別に超ぺらぺらなわけではない。 しかし、その(程度の)英語力のせいで、海外で日人だと思われたことはほとんど無い。 で、日人だ、というと、「えー、でも移民でしょ?」とか言われる。 アメリカ人が聞けば、訛りがあるので長くア

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