またかなのでスルーでもいいんだけど。 国語の習得は学ぶこと(まねをする)と習う(それになれる)ことが基本だが、今やそのモデルが必ずしもよき模範となっていないことは、子供の言葉遣いに影響を与えるものとして86%近い人がテレビを挙げていることからも見て取れる。 「学ぶこと(まねをする)」という表現あたりになんかすごいトンデモ臭がする。っていうか、学ぶということはまねをすることじゃないよ、とかいうとそこで議論になったりするから低次元。 カタカナ語は聞いても読んでも、元の語を知らなければ意味が正確に伝達できないから、増えれば増えるほど国語を曖昧にする。 だから、英語をもっときちんと学習しなさいと。それとギリシア・ラテンの基礎くらい高校の英語に含めてよいと思う。 がっかりしてぼんやりしている様をいう「憮然(ぶぜん)」を、腹を立てている様子と取り違えている人も同じくらいだ。 これなんだが、誤用としてな