タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

stupidとEvolutionに関するkumicitのブックマーク (3)

  • 進化論は疑似科学である

    20世紀の科学哲学者、カール・ポパーに従えば。 彼は科学と疑似科学の境界を「反証可能性」に求めた。ある理論が科学であると認められるためには、それが「反証可能」でなければならない、すなわち、 1:その理論に基づいてある予測をたてることができ、 2:かつそれを現実世界の経験と照らし合わせて検証することができなければならない。 ポパーは疑似科学の例としてフロイトの精神分析論を好んで取り上げた。例えば、ある男が子供を川に殺意を持って突き落とそうとしており、もう一人の男はその身に代えても子供を助けようとしているとする。フロイト論者は、この二人の行動を、同じくらい簡単に説明することができる。一人は抑圧されており、もう一人は昇華を遂げたのだ、と。フロイト論者は、どんな行動に対しても、それに対する説明を編み出すことができるわけだ。ポパーはこれはおかしいのではないかと考えた。何でも説明できてしまう理論は、む

    進化論は疑似科学である
  • ヘッドホン音楽の危険性(下) - 心に青雲

    《2》 北斗星様がコメントしてくださった、南郷学派の創出による〈生命史観〉=「いのちの歴史の物語」を踏まえた人生如何に生きるべきかに即して、ヘッドホン音楽を聴く「ながら族」の問題を取り上げるならば、これは「魚類から両生類への艱難辛苦の過程」とは対極にある。 魚類から両生類へと進化した生命体は、海から陸にあがるときに泥の中をのたうちまわってヒレを手足に変え、苦しい息に耐えてエラから肺呼吸へと変容した。こういう必死の努力をした生命体だけが進化を遂げて行けたのであって、その機会がなかったか、逃げた生命体は魚類のままとして現在に至っている。 早い話が、その当時の魚類がヘッドホン音楽を聴いていたか、ということだ(笑)。そんな余裕もなく、生きるか死ぬかの瀬戸際で、それまでの運動形態を必死に変えなければならなかったのだ。 なにが言いたいかといえば、音楽を聴く事(読書もそうだが)は、なんにも運動し

    kumicit
    kumicit 2008/08/09
    生物進化を個人の人生のアナロジーで見るアフォの例1個目採取。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    超絶品!死ぬまでに一度はべてほしい煮込み10選 ああ。いかにもインターネット!みたいなタイトルをつけてしまった。 「超絶品!死ぬまでに一度はべてほしい煮込み10選」て。読んでほしすぎて大仰な形容詞をつけて数字を入れて読み手の注意を引くタイトル、もうネット記事まるだしである。 でも、わかってほしい。…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    kumicit
    kumicit 2008/02/15
    いい感じに、ずれてて楽しいエントリですねえ...
  • 1