ブックマーク / orion12.hatenablog.com (595)

  • 悪口・陰口と「人を呪わば穴二つ掘れ」って話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    他人の悪口・陰口を日課のようにしている人が世の中には大勢いらっしゃいます。 悪口・陰口をしょっちゅう発信するということは、その元となる『心の状態』をずっと維持し続けているということを表しています。 そして、そういう『心の状態』を維持するためには、悪口・陰口の元となる想念エネルギーを日々量産して貯め込まなくちゃなりません。 人間無い袖は振れないというか、自分の中に無いモノは出てこないからです。 当然それは波動のレベルの低いモノです。 波動のレベルの低いモノをせっせせっせと製造して自分の中に貯め込んでいるわけです。 例えていえば悪口・陰口ってのは「表面に毒をべったり塗った毒針を口に含んで飴玉みたいに舌でコロコロ転がしてから、相手に吹き付けているようなもの」なのです。 言うまでもなくその毒は荒々しく冷たいモノです。 悪口・陰口の元になる『心の毒』を一度自分の中に充填しなければ相手に浴びせられませ

    悪口・陰口と「人を呪わば穴二つ掘れ」って話 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 言葉と因果応報 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    開運っていう言葉は結構何の気なしに使われています。 でも、その言葉の『意味』についてはあまり考えられてはいないみたいです。 おおよそ「他力願で良いことがある」みたいな意味で捉えられてることが多い気がします。 別にどう捉えようとそれぞれの自由ですが、「曖昧模糊とした言葉だな」というのが個人的な印象です。 そもそも『運』ってのは開いたり閉じたりするモノなんでしょうかねぇ? 私はそうじゃないって感じるんですよね。 「『運』ってのは掴むか掴まないか」二つに一つなんだと思います。 良いことも悪いこともです。 「先にその人の掴んでたモノが、後からカタチを変えてやって来る」それだけのことです。 いわば因果応報なのです。 人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があれば、そこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は『運』といいます。 つまり、『運』

    言葉と因果応報 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • ポジティブシンキングと盲信すること - 『クリアー整体ヒーリング』です

    例えばある場所に行ったら何だか臭かったとします。 そうしたら、どうして臭いのか考えますよね? 「先ず体感的に臭いと感じる→その臭い理由は何だろう?と考える」という順番です。 でも、その時一緒にいる人から「いやいや、このニオイは別に臭いものなどではないよ。臭いと感じるのは貴方が物事の道理を弁えていないからだ!」などと言われたらどうでしょうか? この場合相手は「そのニオイは臭いものではないとするのが論理的に正しい→臭いと感じる体感の方が間違っている」という順番で捉えているということになります。 貴方は多分「そんなバカな理屈があるか! 臭いものはどう考えようと (感覚として) 臭いだろうよ!」と思うでしょう。 でも、世の中には「『真理』としては臭いはずがないのだから、臭いと感じている人間の『感覚』の方がオカシイのだ!」というような物事の捉え方をする人が案外少なくありません。 そういう人々はまず先

    ポジティブシンキングと盲信すること - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 宗教的で呪術的な儀式と現実にある霊的なチカラの関係 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    「お坊さんが法要などで作法に則って読経をしたりマントラを唱えたりすれば亡くなられた方は『成仏』をするものだ」と一般的には考えられています。 当にそれで成仏出来るのでしょうか? 多分多くの場合それは難しいんじゃないかと思います。 どうしてそう思うのかといえば先ず第一にヒーリングなどしておりますと所謂成仏していないヒトに出会うことは決して珍しくないからです。 珍しくないというのも随分控えめな言い方なんですけどね… その多くは別に卒塔婆一つも立てられない行き倒れの無縁仏ってわけではない気がします。 無縁仏でも一応寺には納められてたりしますしね。 どう考えても読経も法要も一度たりとも受けてないって人の方が少ないんじゃないでしょうか? 要するに「回数の多いか少ないかはともかくとして、所謂成仏していない人であってもその大多数は仏教的な儀式としての弔いは一度くらいはされてるだろう」ということです。 で

    宗教的で呪術的な儀式と現実にある霊的なチカラの関係 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 波動のレベルの上げ方と勘の磨き方 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ〜ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルを上げる方法自体は簡単です。 現在の自分より波動のレベルが高いと感じられる人・物・場所を日頃からコツコツ選んで親しむように心掛けるのです。 波動のレベルの高いモノを見極めるためのコツは、出来るだけ心をクリアーにして己が『直感』を大切にすることです。 具体的には、フワッと軽くてスカッと明るく感じるモノや人に親しみ、ドヨヨ~ンと重くてジトッと暗く感じる場所や出来事を出来るだけ避ければいいのです。 或いは何時も穏やかで温かくあろうと心掛けて、荒々しく冷たい態度は極力取らないようにすることです。 結局波動のレベルを上げるためには自分の感覚を磨くことが必要です。 磨くと

    波動のレベルの上げ方と勘の磨き方 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 喉と横隔膜と自縛のエネルギー - 『クリアー整体ヒーリング』です

    2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。 復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 日々量産される自分自身に向けたネガティブな想念エネルギーというものは、年月を追うごとに膨大な数に上っていきます。 そのエネルギーは数量に比例してチカラを増し、来の主たる「顕在意識」を差し置いて人の思考や行動をガッツリと支配しているのです。 私はそれを自縛のエネルギーと呼んでいます。 世の中には日頃から胃の辺りがドヨヨ~ンと重く感じたりキリキリする方も多いんじゃ

    喉と横隔膜と自縛のエネルギー - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 暴走モードの『善』ってヤツは恐ろしい - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間にとっての『善悪』というのは確かにあります。 しかし、それはどこまでいっても人間の人間による人間のための「善いとか悪いとか」です。 だから、善だの悪だのといったってどこかに普遍不動のモノとして独立して存在しているわけではありません。 どこかっていうのは人間とは全く無関係な「どこか」ってことですけどね… 善悪は普遍の真理などではないってことです。 十人十色の人間によって用意された『物事を計るためのモノサシ』の一つに過ぎないのです。要はどこまで行っても相対的なモノだってことです。 じゃあ、何故善悪というモノが考えだされ、必要とされてきたのか? それは「社会的な生き物としての人間を律するモラルとして」だと思います。 社会生活を行う上でのモラルとして善悪の判断は必要であるということです。 しかしながら、人間の社会というモノは有為転変止まるところを知らず、あっという間に変わりゆくモノです。 とい

    暴走モードの『善』ってヤツは恐ろしい - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 思考停止とよく知りもしないことを断言すること - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 簡単にいえば、全ての人は自分仕様の色眼鏡でモノゴトを見ているということです。 人は誰しも個人的な経験を経て、その人独自の考え方を持つに至ります。 その人のかけてる色眼鏡はその人独自のモノだってことです。 人間は元々主観的な存在です。 主観というものには大なり小なり偏りが存在します。 その偏った主観がここでいう色眼鏡です。 一人一人が見ている『世界』というモノはそれぞれに常に偏りがあるのです。 元々偏っているんだからその偏りを小まめに修正していかないとバランスを崩します。 バランスを崩したままほっとけば心はドンドン捻れて歪んでいくのです。 心が捩れて歪んだ果てに

    思考停止とよく知りもしないことを断言すること - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 神社仏閣の由来とエネルギー的に感じるモノ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    神社仏閣には故事来歴というものがあります。 故事来歴とはいつどうしてそこに建立されて何という神が祀られているのかという風な話のことです。 まぁ、簡単にいえばその宗教施設の歴史ですね。 そういった故事来歴を元にして、「あっちの神社の神とこっちの神社の神は反目している」とか、「あっちのお寺とこっちのお寺はエネルギー的に繋がってる」とかおっしゃったりする人がいらっしゃいます。 要は文字になって残っている歴史を主な情報源として、その場所の『エネルギー的な事情』を語られてるわけです。 それを「100%見当はずれである」とまでは申しません。 昔の人の言い伝えを軽視するのは良いことではないですしねぇ。 しかし、実際にそこに居る眼に見えない存在の多くは故事来歴に出てくるモノと一致はしません。 ていうか違うことの方が圧倒的に多い気がします。 ヒーリングなどしておりますと、そういった宗教施設からやって来た様々

    神社仏閣の由来とエネルギー的に感じるモノ - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 自己流のお祓いと「生兵法は大怪我のもと」って話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    この世界は生きている人の想念エネルギーだけで成り立っているわけではなく、その他にも数限りないエネルギー体が存在します。 その中にはびっくりするほどエゲツないモノもいるのです。 だから、ありふれた普通の人が、ちょっとした運命の綾で得体の知れない強烈なエネルギーに遭遇することだってあり得ます。 少なくとも「そんなことはなあり得ない!」という保証は何処にもありません。 すすんで霊的なことに関わっていれば尚更ね… なので、自己流・我流の『お祓い』とか『除霊』の如きものはくれぐれもなさらないでほしいのです。 「自分のところからパパッと追っ払うような方法を」ということをですが… ましてや他人にそんな方法を勧めないでほしいのです。 あまりにも危険が危なくてデンジャラスなことなので… 危険性の高いことをしていて、偶然危ない目に出会わなかったとしてもそれは決して必然などではないのです。 「たまたまその時は運

    自己流のお祓いと「生兵法は大怪我のもと」って話 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • ラップ音と見えないエネルギーの圧力について - 『クリアー整体ヒーリング』です

    2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。 復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 2016年3月の記事 所謂一つのラップ音ていうのがあります。 超自然的な原因によって家鳴りがしたりする現象です。 実際には当に超自然的な原因かどうかは裏付けが取りにくいでしょうけどね… で、先日不可解な音がバキバキ鳴りまくってる現場に居合わせましたので、改めてツラツラとラップ音について考えてみたわけです。 連続して鳴ってて中々凄かったもので… 一口にラップ音とい

    ラップ音と見えないエネルギーの圧力について - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 荒々しい言葉はそのうち「日常化した呪詛』を生む - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる呪詛という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。 丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。 っていうかそういう『儀式ありき』でしか成り立たないモノと思われている節があります。 でも、呪いの方法が古来からのやり方に合ってるから呪詛なのではありません。 人を呪う心のカタチが即ち『呪詛』なのです。 少なくともここでい

    荒々しい言葉はそのうち「日常化した呪詛』を生む - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • いわゆる宗教的な修行と霊能力 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    世の中には霊能力と呼ばれるような類いのモノがあります。 そういったチカラには大体二通りのパターンがあるように感じられます。 一つには人間が生き物として生まれながらに持っている所謂『第六感』です。 一般的には『勘』とか呼ばれるモノです。 それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれべたら危ないぞ⁉︎」という感覚や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感じのことです。 生きるためにこの世の動物に遍く与えられた危機察知能力と申しましょうか… 勘ってのは選ばれた特別な人だけが持つ特殊能力などではないということです。 それどころかどこにでも誰にでもある、もっと言えば人間以外の生物も持っている生きるためのチカラです。 なので、『勘』は他の五感と並列的に在るものです。 ここで五感というのは誰もが日々ごく普通に感じている感覚のアレヤコレヤのことです。 それ

    いわゆる宗教的な修行と霊能力 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 「人間は本来完璧にできている!」なんていうファンタジー - 『クリアー整体ヒーリング』です

    「すべての事象は最終的に『人間が論理的に理解でき得るモノ』として存在している」という考え方があります。 たとえ今分からなくてもいつかは必ず分かるモノだとね。 この「何でもわかって当たり前」という発想は「この世は予定調和の世界だとベーシックに捉えてること」を意味します。 ここでいう『予定調和の世界』というのは「何時でも何処でも誰にでも分かりやすくモノゴトの辻褄ってのは合うものだ」という素朴な信仰に基づいているのです。 別の言い方をするなら、それは森羅万象すべての物事に対して(ご自分にとっての)完璧な調和と整合性を求め続けている状態を指します。 またその答えを求められるものだと気で信じているのです。 ただ、それが如何に博覧強記の者であれ、この世は1人の人間の理解の範疇にスッポリと収まるほど都合よくは出来ていません。 それどころか人類という種にとっても、それはおそろしく難しいことです。 根源的

    「人間は本来完璧にできている!」なんていうファンタジー - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 「霊感は使命を果たすために神様がくれるのだ」とかいう話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    スピリチュアルやら宗教やらに関係している人々の中には「自分たちが特別な使命を神とか宇宙人とかに与えられてる!」と気で信じている方々がいらっしゃいます。 人類とか地球とかの運命に関わる特別で壮大な『使命』とやらをです。 でもね、その人の『使命』とやらが万が一「地球を救え!」みたいな壮大なものであったと仮定しても、その『使命』を果たすのに見合うだけのチカラが与えられているだけであり、そのチカラを使うのに見合うだけの『役目』を与えられているだけのことです。 それ以上何ら特別な使命も権限も与えられはしないのです。 「ある種の選民思想を満足させるような特別感はどこにも無い」ってことです。 例えばの話、ある会社の人事部長に人事に関する大きな裁量権が与えられているとすれば、それは人事部長という『立場』にあるからです。 人事部長の『立場』にそういう『権力』が与えられているのは、人事を円滑に行うという『役

    「霊感は使命を果たすために神様がくれるのだ」とかいう話 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 所謂言霊と人の出す音の強さと弱さ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がしますので、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 以前にこんなことを書きました。 例えばどんな強力な呪文であろうと無機質な単なる文字として置かれているだけの言葉はエネルギー的には眠っています。しかし、それを人が意思を持って声に出したり書いたりすれば何らかのチカラが生まれるのです。そういう『仕組み』を昔の人は言霊と言ったのかも知れません… 言葉というのは人がそれを発することによって何らかのチカラを発揮します。 別の言い方をすれば、人

    所謂言霊と人の出す音の強さと弱さ - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 不安定なこの世界とすがりつくココロ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 考えなければグラグラと迷う必要がないからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば「盲信すること」です。 精神的にナニカに負んぶに抱っこの状態になるのです。 そのナニカとは特定のの思想・宗教とそれを象徴する人間・集団とかです。 不確かな世界ではバランスを取り続ける意志を持たなければ結局のところ心は迷います。 心が迷うとはアンバランスなカタチに捻じ曲がるということです。 元々不確実なことを無理やり『安定』という枠に嵌めようとして物

    不安定なこの世界とすがりつくココロ - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 肉体と心と魂のトライアングル - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人は魂があるからこの世にやって来ます。 魂がある者が肉体を纏ってやって来るのが誕生というものです。 『人間の生』は肉体と魂が結びついているが故に成り立っています。 肉体という器に魂というエネルギーの塊が入って結びついている状態がこの世では一番安定して強いからです。 生きてる限り肉体と魂は互いに深く結び付いています。 そして、肉体と魂が結び付いたところに心が生まれます。 肉体を得た魂が歳を経てこの世に馴染むと心を得るのです。 魂が心を得るまでには大抵生まれてから3〜4年の歳月を要します。 魂>肉体>心という順番に人間という者は出来上がっていきます。 所謂人間らしい心ってのは成長していく過程で生成されていくのです。 もっと詳しく言えば、魂が肉体を得た状態でこの世での経験を積むことによって、心が練り上げられていくのです。 つまり、心はその人のやり方次第で変えられる余地が少なくないモノであるってこ

    肉体と心と魂のトライアングル - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • ツキとは運を巡らすタイミングである - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。 つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。 それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。 人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過ぎないからです。 もっと言えば古今東西世界で起こった出来事の全ても途轍もなく巨大なジグソーパズルの一欠片として存在しているってことです。 一人の人間の運というのもまた同じジグソーパズルの中に存在し

    ツキとは運を巡らすタイミングである - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 足下にある運命と親の想念エネルギーの影響 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    日々量産される自分自身に向けたネガティブな想念エネルギーというものは、年月を追うごとに膨大な数に上っていきます。 そのエネルギーは数量に比例してチカラを増し、来の主たる「顕在意識」を差し置いて人の思考や行動をガッツリと支配しているのです。 私はそれを自縛のエネルギーと呼んでいます。 自縛のエネルギーの始まりは大抵幼児期における人との関わりの中から生み出されます。 まぁ、最初は母親か父親のどちらかである場合が非常に多いです。 親の言葉や行動によってトラウマが生まれ、そのトラウマを元に自縛のエネルギーが生まれていくってことがよくあります。 親が子どもに与えてる影響は目に見える部分も大きいですが、目に見えない部分もまた大きいのです。 あと、親からもらった想念エネルギーもまた子どもの人生に大きな影響を与えます。 小さな子どもの頃のモノは特に影響大です。 例えば「あれをしろ!」とか「これをするな

    足下にある運命と親の想念エネルギーの影響 - 『クリアー整体ヒーリング』です