考え方に関するkuroame2007jpのブックマーク (35)

  • 不干渉社会が過剰な不安を生む日本の病い  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「日の病気は集団ヒステリー」 日の病気は、豚インフルエンザではなく、集団ヒステリーである、と。日は、今後も素晴らしい可能性があるいい国だが、いまは精神的に不安定で弱い、と。 国際空港ターミナルで、日人だけマスクマン。その光景は、国際道徳に反するなどではなく、滑稽だ。・・・ガラパゴス化は、技術ではなく国民性になってしまったようだ。 しばらく日テレビを見ていないので想像でしかないが、きっとメディアが、日々恐ろしいことを繰り返し、人々の恐怖をあおり、時には誰かを血祭りにし、その直後にお笑いなどのエンターテイメントを放送しているのだろう。そのメディアの「戦略」は、9・11以降のアメリカと同じである。そして、大きな物語に国民全員が飲み込まれていく。 「メディア・パンデミック。」 TSUYOSHI TAKASHIRO BLOG http://blog.honeyee.com/ttakash

    不干渉社会が過剰な不安を生む日本の病い  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 「はてな」という、知的コンプレックスがある人たちのコミュニティ - 日々の色々・The colour of the sun

    お世話になっております、しおです。 「外国人として、はてなのどこが面白い?」という僕の5月3日のエントリーは思ったよりすごい人気があったみたい。ビックリ。やはり(当然かもしれませんけど)「はてな」というテーマについて興味のある人が多いよね。 それで、今回は前のエントリーの続きとして、コメント欄から始生まれた話を取り上げたいと思う。石川さんという人が書いたコメントの最初の部分を引用します。 「はてなは、特殊な人の集まりであって、日を表していません。知的コンプレックスがある人たちのコミュニティです。現実の日人には、知的コンプレックスはありません。」 個人的に僕はこの意見についてどう思うか、という点はとりあえずおいてて、まずはてなのユーザーの反応から考え始めたい。面白いことに、はてブのコメントを読んでみると、上の意見に対しての反応の多くは二つのグループに分けられて、id:h_tksnさんの「

    「はてな」という、知的コンプレックスがある人たちのコミュニティ - 日々の色々・The colour of the sun
  • 「草なぎ君に同情92%」? 冗談じゃない「警察に不信感が92%」やろ。なんでそれを報道しない。

  • アートとデザインの違い

    アートとデザインは違います。アートとデザインを比べてもというのか、似ているようで別ものなので、その違いといった提起そのものがズレてくるかも。アートはアート、デザインはデザイン。それだけのこと。 アートとは宇宙的に強大なスケール感、包容力のある枠的存在で、アート性のないものはないに近い。あらゆるものに発生し、表現という枠さえ超えてしまうので、それが混乱の要因にもなっている。 普遍的に貪欲、節操もなく飲み込むような図太さがアートにはあるので、デザインにもアートは発生するしアートはデザインを含む。では、デザインはアートを含めるのかといえば、それはない。 だが、デザインも狡猾な手段として機能するため、アート性を利用し取り入れてしまうので、すぱっと分けて判断を下すのは不可能に近いかも。つまりアートが発生するのをわかってる、狙ってることもある。 でもしかし、その判断は受け手側の視点であり、たとえばアー

  • 人間と動物の間で(仮):ボクたちがマクドナルドへいくのは食事に時間を割くよりも「重要なこと」があるからだ。

    なぜ人々は「マクドナル」へ行くのか 最近、コンビニ、ファーストフード、ファミレスなどチェーン店が爆発的に増加し、いわゆる「下町のお店」は廃れる傾向があります。このような傾向は「マクドナルド化(McDonaldization)」と言われ、効率最優先による人間性喪失ととらえられるますが、*1むしろ人々が望んで「下町のお店」よりも「マクドナルド」へ行くのではないでしょうか。 たとえばある商品を購入するときにたまたま持ち金が5円足りなかったとき、「下町のお店」では事情を説明して、5円ぐらいおまけしてもらえないかと交渉できます。すなわちお店は客に5円を贈与するのです。しかしコンビニでは5円だろうが、おまけすることはできません。これは金額の問題ではなく、「贈与関係の排除」がコンビニの存在価値の大きな部分を占めているからです。 コンビニでは、商品を購入する客がどのような人物かに関係なく、どの客にも同じマ

    人間と動物の間で(仮):ボクたちがマクドナルドへいくのは食事に時間を割くよりも「重要なこと」があるからだ。
  • 『デフレ生活革命』 榊原 英資 | 考えるための書評集

    デフレ生活革命 榊原 英資 いまのデフレはバブルの後遺症なんかではなくて、何百年に一度かの構造的デフレという転換期にあるのだとのべている。革命的な転換点にあるのだということである。 戦後の構造的インフレがあたりまえだと思ってきた私たちや企業は大きな転換や生き方の変換を迫られている。制度や慣行、生活習慣を大きく変換していかなければならないということである。 堺屋太一がいっていた右肩下がりの時代と同じだと思うのだが、デフレという名目でながめてみるともうすこしその意味がリアルに見えてくるものがある。たとえば土地価格の値下がりがバブルの反動ではなくて構造的につづくものだとしたら、土地の値上がりをあてにした借金やマイホームといった経済行為は恒久的なデフレ時代には損害をこうむる行為になってしまう。この土地の値下がりはバブルの反動ではなくて、はるか高度成長時代からの値上がりの反動だというのである。 借金

  • ベルリン生活様式7(アーティストの友人たち) - ヨーロッパ〜日本往復日記

    人気ブログランキングへ ベルリンに住む私のアーティストやミュージシャン友人たちは、すごく質素な生活をして、もし私が同じ立場だったらと思うと めちゃくちゃ不安に陥りそうな、生活をしている人も多い。 (日に住むミュージシャン友達は皆、普通に仕事をしているが。) ”今”に対する無意識的な使い方。がやっぱり違う。 というか、全職業、出来る人って集中力と継続力が違うってことだよね。 特に、制作活動ってやっているうちに、好きな事だから、すごく集中していく、そうやって作品は出来ていく。 まあ流れがねどんどん集中する流れになっていくよ。 そうすると、多分、必然的に今が充実(苦しみももちろんあるが)していくので、 将来の自分に対する意識が普通の人と全然違う。 私のある30を超えた男友達は、ハッキリ私に「社会的地位なんてなんの意味も無いことなんだよ」って言った。 何年も何年もレストランで皿洗いをしていても、

    ベルリン生活様式7(アーティストの友人たち) - ヨーロッパ〜日本往復日記
    kuroame2007jp
    kuroame2007jp 2009/01/26
    まさにその通り。僕もそういう風に生きます。
  • ■毒になる人は、いつも相手を自分のレベルまでひきずりおろそうとする。 - 「ことば探し」:楽天ブログ

    October 4, 2006 ■毒になる人は、いつも相手を自分のレベルまでひきずりおろそうとする。 テーマ:人間関係あれこれ(655) カテゴリ:人間関係について 毒になる人は、いつも相手を自分のレベルまで ひきずりおろそうとする。 あなたにできないことをすべて指摘して攻撃する。 「不景気だ」「困っている」 「まもなくあなたの人生に問題が起こるだろう」 「将来、ひどい事態が予想される」 というような、あなたの気分を滅入らせることを 面と向かって平気で口にする。(略) 毒になる人の話を聞くと、あなたは すっかり暗い気分になって落ち込んでしまう。 こういう人のことを「ドリーム・キラー(夢を壊す人)」と 表現したを読んだことがことがある。 また「エネルギーの吸血鬼」と書いた人もいる。 出典元 「できる人とできない人の小さな違い」 著者名 ジェフ・ケラー このでは、 「ドリーム・キラー」や「

    ■毒になる人は、いつも相手を自分のレベルまでひきずりおろそうとする。 - 「ことば探し」:楽天ブログ
    kuroame2007jp
    kuroame2007jp 2009/01/22
    毒にも色々あるけど、こういう"毒"はうけたくないですね。
  • 嘘とは優しさであり優しさとは嘘である。

    「仲間と騒いできたんだ」と 嘘はまだ優しさなのね 「カメラを忘れていって何も撮れなかった」って嘘 男はいつも嘘がうまいね 女よりも子供よりも嘘がうまいね 女はいつも嘘が好きだね 昨日よりも明日よりも 嘘が好きだね わたしも嘘が好きだ。全部というわけではないが、中島みゆきや谷山浩子が歌うような嘘が好きだ。だから演劇にはまったのかもしれない。嘘は優しさだから。優しさが嘘だから。 嘘と優しさは等号関係にある。「嘘が好き」とは「優しさが好き」ということになる。 さあってこっから理屈モード。 何故優しさと嘘は等号関係にあるのか。 優しさとは快楽的なものである。いわば優しさとは快楽の一つの表象である。快楽とはフロイト論とクリステヴァ論を参照すればわかるように、アブジェという自他未分化的な(個人的にこの言葉はしっくりこないので自他混淆的と述べたい)おぞましくも魅惑的なケガレを棄却することであり、それが正

  • なぜ2ちゃんねるはただのネットサービスになったのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ただのネットサービスになった2ちゃんねる ひろゆきが2ちゃんねるを「譲渡」して責任者を降りたとか。(「2ちゃんねる、“言論の自由なき日”を見捨てた?」http://sankei.jp.msn.com/economy/it/090102/its0901021022001-n1.htm)形式的な対応だとはとも言われているが、しかし2ちゃんねるも10年近くですっかりネット界隈も様変わりしたなと、思うこのごろ。 このブログも5年近くなり、ネット界隈の観察も続けてきたが、その間にすっかり状況はかわったようにおもう。たとえば5年前はまだ日でブログが流行はじめで、mixiもなかったと思う。(「2ちゃんねるはポストモダンを越えていく」http://d.hatena.ne.jp/pikarrr/20060703#p1) なにがかわったか。2ちゃんねるはネットの特異な領域であって、また中心でもあり、「2ち

    なぜ2ちゃんねるはただのネットサービスになったのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 深く考えずやれることをやる。 - DYLAN WILL RUN. - 楽天ブログ(Blog)

  • なぜガリガリガリクソンは死ぬほど面白いのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    狂気の笑いは鳥居みゆきで終わった 笑いには、「ボケる→観客笑う」の間に「ボケる→小さな間→観客笑う」というように、「間」がある。笑いとは緊張と緩和だと言われる。ボケは非日常であり、場に小さな緊張を生み出す。それが「間」である。そして一瞬でそれがボケであることが了解され、緊張が緩和されることで笑いが生まれる。一瞬の「間」のあと観客が一斉に笑う。ここではボケがあえて行われた演技=アイロニー(ユーモア)ということをみなで了解しあう。 しかしもはやこれだけお笑いが氾濫している中ではちょっとしたボケでは緊張は生まれない。緊張が生まれなければ、笑い(緩和)もない。だからここしばらく、流行っていたのは「狂気の笑い」である。 いまや刺激を生み出さなくなったHGや小島よしおなどもそのはじめは、この人はほんとうに危ない人なのではないかという不気味な存在として登場した。その狂気によってボケに緊張を生み出したえた

    なぜガリガリガリクソンは死ぬほど面白いのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ自由と平等は病なのか コンベンションと統治技術 その4 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    コンベンション(慣習)から言語世界へ 近代化とはなにか。歴史学の大きな謎の一つであるが、教科書的には人文主義という人間への自覚に始まると言われる。これを説明するのに社会の都市化がある。都市は様々なコンベンションが交差する地点である。そこに村社会のコンベンション(慣習)への埋め込まれからの「気付き」だろう。 身体が埋め込まれた環境から言語世界への移住である。身体に刻まれたコンベンション(慣習)は簡単にかわらない。それに対して言葉はいくらでも好きに語れる。身体は嘘をつけないが言葉は簡単に嘘をける。都市という流動性の高い環境では言葉のもつ操作の容易さが重要になる。 近代化とは都市化であり、そしてなによりも言葉の時代である。主権者はいままで以上に法を語り、商品という言語記号が飛びかう。土地、労働は商品(言語)化される。 そしてデカルトのコギトは都市に生まれる。デカルトの懐疑とは言葉の世界ではじめて

    なぜ自由と平等は病なのか コンベンションと統治技術 その4 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • さぁ徹底的に小泉を叩こう!

  • 「わかりやすさ」に入り込みやすい「傲慢(ごうまん)さ」 - つくばMさんのブログ - 楽天ブログ(Blog)

    kuroame2007jp
    kuroame2007jp 2008/09/27
    んー!これは僕も常々感じている感覚!!まさにっていうかんじです。
  • 映画評・崖の上のポニョ ポニョの父は手塚治虫・母はディズニー、ポニョは宮崎駿?

    作家・漫画原作者・ライター・オカルト研究家・㈱山口敏太郎タートルカンパニー代表取締役。 妖怪・都市伝説・UMA(未確認生物)・怪談・心霊 スポット・UFO・日史ミステリー・前世・格闘技・秘密結社・サンカ・忍び・幽霊・四次元・超能力・呪術など不思議分野の唯一のオールラウンドプレイヤー。 「インターネット時代における異界観」という論文で放送大学院にて修士号取得。 ▶プロフィールの詳細はこちらから

    映画評・崖の上のポニョ ポニョの父は手塚治虫・母はディズニー、ポニョは宮崎駿?
  • 義務。 - DYLAN WILL RUN. - 楽天ブログ(Blog)

  • ひとよみにっき

  • 『友だち地獄』 土井 隆義 | 考えるための書評集

    友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル (ちくま新書 710) 土井 隆義 友だち関係や集団関係の維持には私もたいそう悩まされてきた。私は中学のころから友だち関係の維持がめんどくさいと思いはじめ、ひとりになりたがる傾向が強くなった。二十歳以降は文学や現代思想、社会学を好み、画一化・規格化される集団というものを嫌い、集団から外れる方向ばかりに走ってきたと思う。そのような私にとって、このはずいぶん自分の感じてきた問題と重なるものがえぐられていたと思う。 「今このグループでうまくいかないと、自分は終わりだ」と思ってしまう。 仲間内の人間関係の維持はあまりにもエネルギーを要するものであるため、その関係の中身を吟味したり確認し合ったりする余裕はなく、互いにつながっている時間をひたすら費やしていくだけで精いっぱいである。しかし、そのために何かにいっしょにコミットしていなければいけない。そうしなけ

  • ひとよみにっき