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2014年4月22日のブックマーク (6件)

  • 女はむしろ気配りができない方がいい

    と言われて育てられた。母の方針。 男性は気配りができる女性が周囲にいると、 気持ち良い気分になって喜ぶが、それで喜ばれたからといって、 当の女性にとっては、まったく質的な得にならないと。 「女の子要員」として重宝されたって、嬉しく無いし正当な評価じゃない、 やりすぎると、自分の立場すら貶めることになるよと。 飲み会でマメにお酌したり、男性のコートを脱がせたり着せたり、 灰皿を取り替えたり、サラダをとりわけたり、 女性らしく場をもりあげたりが、上手ければ上手いほど、 その女性は「玄人」(夜のお仕事の人)感が出る。 当にそういう仕事の経験がある人は、その手の仕草でバレるし、 そういう仕事の経験がない人でも、あまりに気をつかってやりすぎると、 だんだんそれっぽくなってくる。 (一流の会社で働いているバリキャリの女性でも、こうやって上司に 取り入るようなタイプの女性はちょっと夜の住人っぽかった

    女はむしろ気配りができない方がいい
  • 「残業代ゼロ」一般社員も 産業競争力会議が提言へ:朝日新聞デジタル

    政府の産業競争力会議(議長・安倍晋三首相)は、労働時間にかかわらず賃金が一定になる働き方を一般社員に広げることを検討する。仕事の成果などで賃金が決まる一方、法律で定める労働時間より働いても「残業代ゼロ」になったり、長時間労働の温床になったりするおそれがある。 民間議員の長谷川閑史(やすちか)・経済同友会代表幹事らがまとめ、22日夕に開かれる経済財政諮問会議との合同会議に提言する方向で調整している。6月に改訂する安倍政権の成長戦略に盛り込むことを検討する。 労働基準法では1日の労働時間を原則8時間として、残業や休日・深夜の労働には企業が割増賃金を払うことを義務づけている。一方、企業には人件費を抑えたり、もっと効率的な働かせ方を取り入れたりしたいという要求がある。

    「残業代ゼロ」一般社員も 産業競争力会議が提言へ:朝日新聞デジタル
  • Amazon.co.jp: 色 Colors: 三山桂依 (著), プラープダー・ユン (著), 戸根由紀恵 (翻訳): 本

    kuroi122
    kuroi122 2014/04/22
  • “政治的中立への配慮”が相次ぐ NHKニュース

    憲法や原発など国民の間で議論が分かれているテーマを取り上げた講演会や展示会などについて、各地の自治体が「政治的中立を保つ」として内容の変更を求めたり、後援の申請を断ったりするケースが相次いでいることがNHKの取材で分かりました。 これは、NHKが全国の都道府県と県庁所在地の市、東京23区、それに政令指定都市の合わせて121自治体を対象に調査した結果、分かったものです。 それによりますと、昨年度開かれた講演会や展示会などについて「政治的中立を保つ」として、施設の貸し出しを断った自治体が1つで合わせて2件、内容の変更を求めた自治体が5つで合わせて6件、後援の申請を断った自治体が14で合わせて22件となりました。 さらに、これらとは別に「県の政策と一致しない」として催し物の後援を断った自治体も1つあります。 これらをテーマ別に見ますと、憲法に関するものが11件、原発に関するものが7件と全体の6割

  • 視点・論点 「ストーカー 加害者治療に重点」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK

    精神科医 福井裕輝 ストーカー被害者に対する、国レベルでの更なる支援の充実が必要なのは、言うまでもありません。一例として、早急に、警察以外の公的な被害者相談窓口を作るべきだと思います。一般市民にとって、警察への相談はハードルが高いです。また、ストーカー事件に対して、警察に、適切な判断・対処が求められるのも当然です。これまで起こしてきたような失態は決して許されません。 そのためには、必要に応じて、ストーカー規制法の法改正もどんどん進めていくべきでしょう。 しかし、それだけではストーカー重大事案を防ぐことはできません。  これまでに私は、警察庁からストーカー等の被害者・加害者に関する3000件近いデータの提供を受け、解析を行いました。また、100名以上のストーカー加害者の治療に携わってきました。そこから見えてくるストーカー加害者の精神病理は、非常に似通っています。多くは、失恋直後の状態が

    視点・論点 「ストーカー 加害者治療に重点」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK
  • ララビアータ:戸田山和久氏の『哲学入門』(1)批判 - livedoor Blog(ブログ)

    当初私は、この(ちくま新書)を詳しく検討して、細部にわたる批評を書こうと思っていた。そのためメモをつけながら読み進めたものである。しかし、読み進むうちに、そのような内在的検討に値する価値が、このにはまったくないことが明らかになったので、ここで記すことは、大雑把で外在的な批判にならざるを得ない。もっとも、そのような外在的批判の対象として見るならば、なかなかに興味深い症候的(症例的)な所がないわけではない。これも、この時代の批判的精神や自由精神の衰退を示すものではあるのだろう。しかも、大威張りのわがもの顔で恥ずかしげもなくステテコ姿をさらしている! 「ありそでなさそでやっぱりあるもの」を物理的世界観の中に埋め込むという一貫した意図を書は持っている、と言われる。ここで「ありそでなさそでやっぱりあるもの」と言うのは、ヒッグス粒子とかダークマターのことではない。これらの存在についてなら、物理学

    kuroi122
    kuroi122 2014/04/22