人に何かを「説明する」「教える」という行為は、難しい。それは、学ぶ者と教える者のあいだには、必ず"理解の差"が存在するからだ。 そして教える者は、その理解の差をしばしば忘れがちになるように思う。 "理解の差" 学ぶ者が新しいことを初めて学ぶとき、そこには少なからず不安がある。自分にわかるだろうか、理解できるだろうか、難しくないだろうか。先の見通しはもちろん立たず、常に手探りのなかを進んでいく。いわば、暗闇の中を乗り慣れない自転車で走っているようなものだ。いつつまずき、こけるかわからない。 それに対して教える者は、太陽が日を照らす明るいなかにいる。見晴らしはよく、こけることなど心配する必要もない。 これほどに、学ぶ者と教える者の"理解の差"は大きい。教える者がその"理解の差"の見積もりを誤ることで、学ぶ者の意欲を削ぎ落とすことが多い。 "理解の差"はどのように意欲を削ぎ落とすか。 ■おいてけ
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