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  • ララビアータ:戸田山氏『哲学入門』(2)進化論 - livedoor Blog(ブログ)

    人間特有の精神的諸現象を物理的世界に定位するための、戸田山氏の戦略は、容易に予想されるように、進化論に訴えることである。つまり、「意味」その他、特殊「人間的」と見られがちな「存在もどき」を、物の中から生物が生じ、それが進化してくる進化の歴史の中に位置づけ、いわば物理的世界と精神との連続性を印象付けようというもの。 このとき、進化の説明を、ある機能を身につけることが生き残りにより有利であるとして説明しがちであるが(たとえば、推理的知性を身につけた方が生き残りやすいから、その進化が起こった)、考えてみれば、そのような機能を身につけていないより「下等」な無数の生物が、同様に生き残っているのである。 何かの機能を身に付けた種は、それによって何かを犠牲にしてもいるはずである。哺乳類の子育ては、子孫の生存率を高めたが、同様に卵の数を減らした。進化によって、種が多様化し、さまざまな環境への適応力が生まれ

  • ララビアータ:マクダウウェルの『心と世界』について - livedoor Blog(ブログ)

    このところMcDowellのMind and Worldを少し勉強しているが、その大枠が見えてきたので、簡単なメモを記しておこう。 マクダウウェルが退けようとする描像は次のようなものである。 我々の経験は外界から感覚への因果的刺激によって与えられ、それをもとに何らかの思考(悟性)が働いて、外界についての判断が生まれる。そのさい、判断を下すにあたっては、あれこれと思考を自由にめぐらし、言語的概念的意味を持つ判断に結実するが、それ以前の感覚的経験そのものは、自然的因果にすぎない以上、何ら概念的意味的要素は含まれないはずだ。 このような見方をすると、非概念的なものから概念的なものへの飛躍は何ら理由に基づかないものになってしまうから、非概念的所与から理由に基づいた判断(合理的判断)がいかにしてできるのかが分からなくなってしまう。他方、そのような所与を否定するならば、我々の判断や信念は、しょせん他の

  • ララビアータ:プラトンの『メノン』 - livedoor Blog(ブログ)

    メノン プラトンの『メノン』の新訳が、渡辺邦夫さんの翻訳で、光文社文庫から出た。 一読したところ、とても素晴らしい訳業だと感じた。光文社文庫は、古典の新訳を次々に出すというたいへん意欲的な試みをしている。渡辺氏の訳は、非常に自然な日語でわかりやすいばかりではない。ごく最近の国際的な学術的研究成果を踏まえた格的なものでもある(らしい)。私自身、古典学の最近の動向を知らないので、これは訳者あとがきからの知識である。 加えて、文と同じくらい浩瀚な解説がついている。この訳業の大きな特徴はこの点であろう。 このような高い水準の翻訳が一級の古典に新たに加えられたことを、読者の一人として喜ぶとともに、渡辺氏の学者的良心と出版社の炯眼を賞賛したい。 ただここでは、氏の解説を読んで感じた私自身の違和感や批判的考察を中心に記しておきたい。もちろん、このような違和を感じさせてくれるということ自体が、私自身

  • ララビアータ:丸山真男の「福沢諭吉論」 - livedoor Blog(ブログ)

    ゼミで丸山真男の「福沢諭吉の哲学」を取り上げたついでに、梅克己の「マルクス主義と近代政治学―丸山真男の立場を中心として―」と、鎌田哲哉氏の「丸山真男論」を久しぶりに読み返してみた。以前に読んだときには読み飛ばしていた所もあり、あらためて深い感銘を受けたが、いまでは以前より両論に対する私自身の批判点もはっきりしてきたので、その点についてノートしておきたい。ついでに述べれば、梅論文は、丸山自身が唯一「見当違いがない」(『戦後日の革新思想』p−394)と認めたものであり、鎌田論文は1998年「群像新人文学賞」の受賞作品である。(この作品を選出した当時の『群像』の見識と、何より鎌田氏を応募させる気にさせることができた柄谷氏をはじめとする選考委員の面々は、栄誉に値すると思う。) 梅の丸山論は、蠟山政道のマルクス主義批判から始まる。――史的唯物論の立場からは、政治の自律性が否定され、したがって

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