きょうは「海の日」(「東京五輪」で変則的になりましたが通常は7月の第3月曜日)。「海の日」とは何か、なぜ「海の日」ができたのか。それが明治以降の天皇制と深い関係にあることはこれまで何度か書いてきました(2019年7月15日、2017年7月18日のブログ参照)。ポイントを確認しておきましょう。 「海の日」は当初7月20日。この日を「海の日」とした由来は、天皇睦仁(明治天皇)が1876年のこの日、「東北巡行」から明治丸で横浜に帰着した日だから。 その3年後の1879年3月27日、処分官・松田道之は400人の軍隊を引き連れて琉球・首里城を襲い、琉球王尚泰を暴力的に東京に連行し、琉球を植民地化した(いわゆる「琉球処分」)。その時使った船が明治丸。 天皇制帝国日本が7月20日を「海の記念日」に制定したのは1941年。東南アジア侵略、真珠湾攻撃を強行し、太平洋戦争に突入した年だった。 1996年、橋本
Twitterの「日本のトレンド」に「ノストラダムスの大予言」が出ていたので何事かと思ったら、五島勉が死んだのだった。 馬鹿馬鹿しいので新聞の訃報記事を引用する気も起きないが、稀代のトンデモ本『ノストラダムスの大予言』が刊行されたのは1973年だった。日本の高度成長の最後の年であり、田中角栄が「福祉元年」と位置づけた年でもあったが、経済成長に急ブレーキがかかったために、日本政府は福祉国家への道へと舵を切るのに失敗したのだった。高度成長後期の総理大臣だった佐藤栄作政権の罪は重いが、減税ばかり要求していた革新政党にも大きな問題があった。 実際には経済の高度成長が止まったとはいえ、日本経済に地力があった頃なのだが、高度成長の惰性力が急に止められた印象が人々に強かったせいか、ノストラダムスの「予言」や小松左京の『日本沈没』が受け入れられたのだろう。小松のは小説だから良いが、五島は世に害毒を流した。
『私は貝になりたい』は、1958年にラジオ東京テレビ(現在のTBS)がテレビドラマとして制作し、芸術祭文部大臣賞を受賞するなど、テレビドラマの名作として高く評価された作品だ。続いて翌年にはドラマ版と同じ橋本忍の監督により映画化もされている。 ドラマ版と映画版では大半のキャストが入れ替わっているが、主役の清水豊松は同じフランキー堺が演じている。私は先日、この映画版の方を観た。 画像出典:Amazon.co.jp あらすじ 大戦末期、高知の港町で理髪店を営んでいた清水にもとうとう赤紙が届き、彼は内地の某部隊に配置される。30過ぎで妻子持ち、気が弱く要領も悪い清水は上官や古年兵に目をつけられ苦しい軍隊生活を送っていたが、ある夜、空襲に来たB-29が付近の山に墜落し、清水のいる部隊に搭乗員の捜索と「処分」が命じられる。 翌日の捜索で見つかった搭乗員は2名を残して既に死亡しており、その2名ももう虫の
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