現在であれば、躊躇なく「性」や「性欲」という表現を用いるところだが、鴎外が外国語を用いているのは、肉体に特化された男女関係や、精神性を伴わない肉体的欲求を表現するために適当な表現が、それまでの日本語には存在しなかったということを示している。逆に言えば、男女関係を、”肉体と精神”という二分法でとらえる発想が、「好色」や「色事」という表現には希薄であったということである。 ・・・鴎外の『ヰタ・セクスアリス』は、明治に青春をすごした青年(金井)が「色事」と「性欲」のはざまに生き、「色事」の世界から決別して「性欲」の世界へ移ってゆく様を示す大変興味深いケース・スタディである。遊女と初めて関係をもった金井君は、「僕の抗低力を麻痺させたのは、慥に性欲であった」と、遊女との交際を肉体関係に限定して理解し、「あれが性欲の満足であったか。恋愛の成就はあんな事に到達するに過ぎないのであるか。馬鹿々々しいと思う