私たちは、この社会における多くの場面で「教養」と「個性」を大事にするように求められ、それと同時に私たちの側も「教養」と「個性」を得ることで何者かになりたいと願い、承認や共感を求めている。さらには、何者かになれないことに絶望してしまい、はじめから求めていなかったように振舞ったり、求めている人に対して冷淡な態度を取ってしまうことすら特別なことではない。 メディアやSNSを見渡せば、「他人ではなく、自分らしさが重要である」と声高に語ったり、自分の意見が正しいことを証明するために正論を用いて論破することが望ましい、といった振る舞いや情報で溢れている。だが、そのような風潮が高まるにつれ、乱立する自分らしさやポジショントークの論破合戦に息苦しさを感じている人もいるはずだ。 いま、あらためて「教養」と「個性」とはどういったものなのかを見つめなおし、なぜ私たちが「教養」と「個性」を求め、どのように振舞って