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1945年から1962年にかけて米軍が実施した原水爆実験を、極秘裏に映像や写真で記録していたカメラマンたちの部隊がいたそうです。 冷戦中に原水爆の開発に携わった科学者たちの多くが名声を得たのに対し、命がけでそれを記録したカメラマンたちは決して表舞台に出ることはなく、機密を保持したまま多くが亡くなっていったとのこと。半世紀を経て情報が公開されつつある中、その極秘撮影チームの数少ない生存者の一人George Yoshitake氏が当時を語っています。 詳細は以下から。Capturing the Atom Bomb on Film - Audio & Photos - NYTimes.com Secret Corps of Filmmakers Documented Nuclear Bomb Tests - NYTimes.com 原水爆実験を撮影したカメラマンたちのほか監督やプロデューサーなど
社説 「原爆忌」/「核なき世界」実現の先頭に 非核三原則の法制化図れ2010年8月6日 広島はきょう原爆投下から65年の「原爆の日」を迎える。政府は核廃絶の先頭に立ち「核なき世界」の実現に尽くすべきである。 「『リトルボーイ』の火の玉に800メートル以内で被爆した人々は、内臓が煮えたぎって蒸発し、1秒の何分の1かのうちに煙を出す黒こげの塊になった」(「原子爆弾の誕生」) 切れ端になってしまった生地が残っている。赤い飾りボタンとホックから、辛うじて女性が着ていたブラウスと分かる。 写真家石内都さんが、被爆した人々の遺品を撮った連作の一つ。佐喜眞美術館で開催中だ。原爆投下直後に降った「黒い雨」が染みついた服は、あの日の悲劇を静かに物語る。 ■核廃絶へ高まる機運 核兵器廃絶への期待が高まっている。広島で開催される平和記念式典には、米国のルース駐日大使や潘基文(パンギムン)国連事務総長
「核兵器廃絶の先頭に立つ道義的責任があるとのあいさつを聞き、うれしかったが、『核抑止力は必要』と発言され、あまりの落差にびっくりした」「二枚舌は許せない、信用できない」「政権が代わったのに昨年の麻生首相とどう違うのか。発言は取り消していただきたい」―。長崎市内で9日、菅直人首相と懇談した長崎県内の五つの被爆者団体の代表が、「核抑止力は必要」との菅首相の発言(6日)に対して厳しく抗議しました。 長崎原爆遺族会の正林克記会長は、「広島、日本、世界の人たちが慰霊をする日に、核兵器を肯定するような発言をしたことに、みんな泣いている」と訴えました。 長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の谷口稜曄(すみてる)会長(日本被団協代表委員)は、懇談後、「人間の体をおもちゃにされては困る。長崎に投下された原爆について政府、政治家は勉強し直してもらいたい。発言は期待外れだ」と語りました。
広島の原水爆禁止県協議会(大森正信・筆頭代表理事)と県原爆被害者団体協議会(金子一士理事長)は7日、菅首相が6日の平和記念式典後の記者会見で、「核抑止力は必要」と述べたことに対する抗議文を、首相あてにファクスで送った。 抗議文は、菅首相が式典のあいさつで、「唯一の被爆国として、『核兵器のない世界』実現に向けて先頭に立って行動する道義的責任を有している」と述べたのに対して、記者会見では核抑止力の必要性を主張したことを、「発言は全く矛盾する」などと批判。「一刻も早い核兵器廃絶と被爆者援護のため、全力をつくすべきだ」と求めている。
広島に行き、初めて平和記念式典に参加してきた。8/6の朝7時、宿舎を出て平和記念公園に向かうと、平和大通りを西へ直進して歩く人の群れがあり、その後をついて平和大橋を渡り、右折して会場内に進入した。平和の塔の前で配られていたパンフレットを受け取り、入口に向かうと、青地に白で「広島市」と書いた腕章をつけた係員が整列して大勢立っていた。私は気になって、「市の職員の方ですか」と尋ねたら、「そうです」と答えが返ってきた。上は白、下は黒のドレスコードで直立し、各自が持ち場を分担している。式のパンフレットはボール紙で全8頁の立派な製本で、地方自治体の困難な財政事情を考えると、広島市がこの式典にどれだけ力を入れているかがよく納得できる。この国民的式典の主催者は広島市なのだ。そして広島市の職員にとって、この日のこの行事が一年中で最も大事な任務なのであり、全員が総動員体制で重責を受け持つ日なのだ。首相と閣僚2
サイトのトップページを見ての通り、田母神俊雄氏を広島に呼ぼうとしている団体である。 戦争被害者にも様々な考えの人がおり、会の設立に被爆者が主体的に深くかかわっている可能性は充分にあるだろう。被爆者という表記がほとんど見当たらず、「被爆二世」や「被爆関係者」という記述ばかりであることは、逆に会の誠実さを示していると評してもいい。しかし、被爆関係者が参加していても、それが即座に会の妥当性を証明するものではないことも確かである。 平和と安全を求める被爆者たちの会 - 平和と安全を求める被爆者たちの会 この会の設立を決意するに至りましたのは、昨年の日本会議広島の開催された、8月6日の「ヒロシマの平和を疑う!」田母神俊雄氏講演会でした。 市長を初めとする様々な講演妨害のある中で、被爆二世や関係者から多くの激励のあったことから、この講演に賛同し激励する、これまで沈黙を続けていた被爆関係者が多数居ること
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