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リビアと地理に関するlaislanopiraのブックマーク (3)

  • なぜアラブ諸国では「国家分裂」が続くのか

    イラク北部から恐ろしい話が伝わってくる。そして、シリアの内戦では虐殺が続いている。これらの事態は、中東で構造的な転換が進行している証しだ。第1次世界大戦からほぼ100年経った現在、敗戦国オスマン帝国の崩壊を受けて形成されたこの地域の国家体制が、揺らいでいるのだ。 現在の中東の地図は、第1次世界大戦に勝利した英国とフランスが線引きした。戦争終結前に両国が協定を結び、中東での勢力範囲を確保した。しかしこの協定は、この地域の歴史、民族的・宗教的伝統や帰属関係、それに現地の人々の意思をまったく無視したものだった。 人工的に引かれた国境線 イラク、シリア、レバノンの国境線は恣意的・人工的に引かれた。この体制が揺らぎ始めている。米国主導のイラク侵攻は、フセインを権力の座から追い払っただけではない。スンニ派による少数支配にも終止符を打った。イラクで多数を占めるシーア派は、抑圧から解放されると、米国が後押

    なぜアラブ諸国では「国家分裂」が続くのか
  • リビア・マルタ大陸棚事件 - Wikipedia

    境界線が争われた海域の衛星写真。NASA撮影。 リビア・マルタ大陸棚事件(リビア・マルタたいりくだなじけん、英語:Case concerning the Continental Shelf between Libya and Malta、フランス語:Affaire du plateau continental entre Libye et Malte)は、大陸棚の境界画定をめぐりリビアとマルタの間で争われた国際紛争である[1]。1973年より中間線を境界線とすべきと主張するマルタと、全ての関連事情を考慮に入れて合意による境界画定を行うべきと主張するリビアとの間で見解の相違があったが[1]、1985年に国際司法裁判所(ICJ)は中間線を北側に緯度18分移動させた線を境界線とする判決を下し[2]、両国はこの判決に従い1986年に大陸棚の境界画定に関して合意に至った[3]。 1969年にデンマー

    リビア・マルタ大陸棚事件 - Wikipedia
  • リビア争乱は問題として見れば始まりとともに終わり: 極東ブログ

    リビア情勢はどうなるのか。展開が急なわりに問題の軸がうまく見いだせず、漫然と事態を見ていたのだが、今朝ワシントンポストとフィナンシャルタイムズの社説を読んだら、すっとわかった。もうすべて終わっている。簡単に言えば、カダフィー「大佐」はすでに国際的な人道上の犯罪者だから、生き延びてもその国の石油は西側社会が抑えるということ。終わり。これって、イラク戦争2.0ではないのか。 リビア問題を見る上でキーとなる条件がいくつかあった。IT革命、アラブ諸国の民主化、独裁体制の崩壊……とかではない。まず、リビアは小国であることだ。隣国エジプトの人口は8300万人だが、リビアは640万人。エジプトの十分の一も満たない。「不安定化するイスラム諸国」とかのお話に付随するイラスト地図を見ると、エジプト並みサイズの国で暴動が起きているというイメージを持ちやすいが、あの国土にエジプトの十分の一の国民が散らばっていると

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