Kyohei 写真作家 @kyon_K4 【写真作家】 第70回二科展写真部門最高賞受賞 第17回京都現代写真作家展 大賞受賞。二科会京都支部員 二科展70年史にてインタビュー掲載 月刊フォトコン2023年2月号5月号にて写真記事掲載。全国の美術館で写真展示(投稿する写真は作品ではありません) 写真教室始めました。リンクから↓ street-academy.com/steachers/5170…

前エントリが思いの他読んで貰えて「まぁ、こんなものか」と思っていた20数年の枯れたプログラマ人生に幾許かの水を挿して貰った気分になった。ありがとう。 続きを書いて欲しいという声もちらほら頂いたので調子にのって書いてみた。 ↓前エントリ https://anond.hatelabo.jp/20210130001953 年収が高いのでは?という声をそれなりに頂いた。 最初に所属した会社が倒産をして先輩の起業に付いていったのだが、その会社が完全歩合制の会社だった為、多重派遣としては良い方の収入だったように思う。 例えば、月単価から2割が会社のお金、8割が自分の取り分というようなシステムである。勿論、仕事が無い時は収入はゼロ。 前エントリでも書いたが、個人でフリーでいるより単価交渉をしやすく、将来貰えるかは解らないが年金も2階建てに出来る。 現状ではある程度キャリアのある人達にとっては悪くないシス
※取材は新型コロナウイルス感染対策を講じた上で10月に実施しました。北海道内での警戒ステージ引き上げに伴い、記載の営業時間が変更となる可能性があります。ご来訪の際はご注意ください ※冬の函館旅行に最適な「函館の冬割」はこちら 〜 ある日 〜 今回、バンギャであるひにしさんに、函館にあるGLAYのメンバーゆかりの地を巡ってもらい、その魅力を伝えてもらいたいんですよ。 なるほど……いわゆる聖地巡礼ってやつですね。 そうそう! それです。ひにしさん、ちょうどGLAY世代じゃないですか? いやいや、待って待って待って!たしかに、GLAYは世代がドンピシャだから基礎知識はあるものの、アルバム『REVIEW』を持っているくらいで、すごく詳しいわけでは……。 そうですか。北海道の海の幸なんかも楽しみながら、ゆっくり巡っていただこうかと思っていたのですが、大変ざん…… ハッ、海の幸! 行きます。この際、G
北海道の先住民族であるアイヌ。アイヌ語は今、消滅の危機にさらされている。母語として話す人は一人もいない。そんななか、YouTubeを使ってアイヌ語講座を発信する一人の大学生がいる。関根摩耶さん(21歳)だ。父の健司さん(49歳)は長年アイヌ語の復興に尽力してきたが、兵庫県出身でアイヌではない。ともに復興に取り組むものの、摩耶さんが幼いころからぶつかり合ってきた。父娘の葛藤を追う。 ★「極めて深刻」な状態のアイヌ語 2009年、国際教育文化機関(ユネスコ)は、消滅危機にある言語の中でアイヌ語は「極めて深刻」な状態であると認定した。アイヌ語が話せたのは明治生まれの人たちまでで、それ以降、「覚えてもいいことはない」と家庭で教えることはなくなったという。長い差別の歴史のなかで、アイヌ語は急速に失われていった。自在に使って会話する風景はもうない。 今年7月には、北海道白老町にアイヌをテーマにしたウポ
元増田です。 ここまで多くの方に読んでいただけて嬉しいです。本当にありがとうございます。温かい言葉も厳しい言葉も読ませていただきました。誤読や私の伝え方が不十分だったための誤解などについて、追加で説明したい気持ちはありますが、それは辞めておきます。皆様のご理解におまかせいたします。 ただ、これを伝えさせてください。 私は両親には非常に感謝しています。私のやりたいようにやらせてもらったことをありがたいと思わないはずはありません。実家には年2回は帰っています。両親とは仲良しです。私がいなくなった後にインターネットが開通しました。あと2年前に両親はガラケーをスマホに変えました。もっと早くやってくれたら良かったのに。 そして皆様が推測された通り出身地は北海道です。三井グリーンランド、今は北海道グリーンランドですね。私が小さい頃に名前が変わりましたが、両親はずっと三井グリーンランドと言い続けています
トネ・ミルン[* 2](英: Tone Milne、1860年12月26日〈万延元年11月15日〉[6] - 1925年〈大正14年〉1月30日[7])は、イギリスの鉱山技師・地震学者であるジョン・ミルンの妻。旧姓は堀川 トネ(ほりかわ トネ)[* 1]。明治時代では珍しい国際結婚でミルンの妻となった。ミルンの東京滞在時は、日本語の文献の翻訳、日本の歴史の調査などで、ミルンの地震学研究に助力した[8][9]。結婚するまでは周囲からいわれのない差別を受け、ミルンとの出逢いの後も、結婚に至るまで様々な障害に阻まれる[6]。 蝦夷地箱館(現在の函館市)で、陸奥国川内村(現・むつ市)出身で願乗寺(現在の本願寺函館別院)の僧侶・堀川乗経の長女として誕生した。堀川乗経は、水不足に悩む箱館市民のため亀田川を市街地まで引き込む疎水の建設を主導した人物であり、後年に一家が名乗った姓「堀川」とは、その川の通称
新型コロナウイルスの流行拡大で、今や生活のあらゆる場面で必須となっているマスク。その着用を発端としたトラブルが原因で、北海道の釧路空港から関西空港に向かうピーチ・アビエーション機が新潟空港に臨時着陸する異例の事態が起きた。機上で一体何が起きていたのか。客室乗務員への威圧的行為があったとして降ろされた、首都圏在住の30代男性が実名や職業などを明かさないことを条件にリモートでのインタビューに応じ、一部始終を語った。(共同通信=助川尭史) ―なぜマスクを着用しないのでしょうか。 身体的な理由で長時間マスクをするのが難しく、普段からしていません。具体的な病名を明らかにしないのは「その症状なら着けられるだろう」という暗黙の強制につながってしまうからです。他人の病状にどうこう言うべきでなく、マスクをしないという自己決定は尊重されるべきです。仮に健康上の問題が無かったとしても、自分のポリシーとして「しな
インタビューと文章: 前田久 創作しながら暮らす場所として、あえて「東京」以外の場所を選んだクリエイターたち。その土地は彼・彼女らにとってどんな場所で、どのように作品とかかわってきたのでしょうか? クリエイター自身が「場所」と「創作」の関係について語る企画「ここから生み出す私たち」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「ここから生み出す私たち」に登場いただくのは、『炎の転校生』『逆境ナイン』『吼えろペン』『アオイホノオ』など、オタク心をくすぐる数々の燃える作品で知られる炎のマンガ家・島本和彦さん。 北海道で生まれ育ち、高校卒業後は大阪芸術大学に進学。在学中に商業マンガ家デビューを果たし、卒業を待たずに拠点を東京へ。90年代半ばに北海道にUターンし、以降は札幌で旺盛な創作活動を続けています。2014年からは家業の経営にも携わるようになり、2019年には社長に就任。 マンガ家と社長業の両輪で、多忙な
北海道札幌市で31歳無職の女が母親の首を絞め殺害しようとしたとして逮捕されました。 殺人未遂の疑いで逮捕されたのは、自称・東京都に住む無職の31歳の女です。 女は6月16日午後2時ごろ、札幌市東区の共同住宅の1室で、60代の母親の首を手や荷造り用のビニール紐で締め殺害しようとした疑いがもたれています。 警察によりますと、女は「母親の首を絞めた」と自ら110番通報し、警察に自首したということです。母親の首は赤くなった程度で、けがはありませんでした。 警察の調べに女は、「殺そうと思った。日ごろのうっぷんがたまり、突発的にやった」と容疑を認めています。 女は4月上旬、北海道の方が新型コロナウイルスに感染しにくい可能性があるとして東京から実家に戻り、母親と暮らしていました。 しかし実家にはWi-Fiの環境がなく、「つけるように頼んでもつけてくれない。お金が大事で私のことを何も考えていない。母親はう
札幌市の「マイナポイントお手伝い窓口」で、別人のマイナポイントを付与する手続きをしたミスがあったことが分かりました。 札幌市によりますと2022年12月5日、札幌市厚別区役所の「マイナポイントお手伝い窓口」で札幌市から委託を受けた人材派遣会社の支援員が、訪れた70代男性がパソコン上でログアウトせず退席した後、その登録画面上でそのまま60代女性の手続きを手伝いました。 男性のマイナポイント(1万5000円分)が女性に付与…
北海道の十勝地方で建設会社を率いる、ある女性社長がいます。 まだまだ“男社会”と言われる建設業界の最前線で活躍するこの社長。 実はプロのピアニストという、もう一つの顔を持っています。 困難な仕事を見事に両立している彼女が、世の女性たちにどんなメッセージを伝えたいのか、聞きました。(帯広放送局記者 佐藤恭孝) 取材でお会いしたのは、北海道音更町にある建設会社「道東基礎工業」の川上敦子さんです。 社長に会う前、プロのピアニストと社長業を両立するなんて、どんなスーパーウーマンだろうと思っていました。 しかし、実際にお会いした川上さんは実に自然体。力みも照れもない、まっすぐな視線が印象的でした。 会社の従業員は約40人。建設工事の最初に必要となる、くい打ちなどの基礎工事を手がけています。 川上さんは、道内各地にある現場を回ったり、社員の健康管理に気を配ったりと、忙しい毎日を送っています。 川上さん
全国で唯一、アイヌの若者に奨学金を出している札幌大学。4年生の葛野大喜さん(22)は週に2回、アイヌの伝統舞踊やアイヌ語を学ぶグループのリーダーを務めている。メンバーは現在20人で、そのうち13人がアイヌの若者だ。「何と言っても、表紙が僕のじいちゃんです。そこがイチオシポイント」。大喜さんが笑顔で指す冊子に写る祖父・辰次郎さんは、アイヌ文化に精通し、仲間から「エカシ(長老)」として慕われる存在だった。
放送中のNHK連続テレビ小説「なつぞら」で、俳優吉沢亮さんが演じ、主人公・なつに影響を与えた青年画家「山田天陽」の人気が上がるにつれて、モチーフとなった画家・神田日勝(1937―70年)への注目が高まっている。北海道鹿追町にある「神田日勝記念美術館」には、今年4~8月の間に、前年同期比で約4倍の来館者が訪れている。「なつぞら」では「天陽くん」が亡くなり、視聴者の間に悲しみが広がっている。日勝とはどういう人だったのか、同館学芸員の川岸真由子さんに聞いた。 ――神田日勝の生い立ちは 1937(昭和12)年に現在の東京都練馬区で生まれました。8歳になる45年、東京大空襲をきっかけに、父親が疎開と食糧の供給とを兼ねて組織された「拓北農兵隊」に参加。家族で鹿追に移住します。8月14日に鹿追町に着いて、翌日終戦を迎えました。その後、亡くなるまで鹿追の地で生活をしました。 ――家族は 5人きょうだいの4
国の特別天然記念物、タンチョウの保護のため、給餌(きゅうじ)の草分けとして長年にわたって給餌活動を続けてきた北海道鶴居村の渡部トメさんが26日夜、老衰のため死去した。99歳だった。 渡部さんは、絶滅の危機に瀕(ひん)したタンチョウを守るため、自宅の牧草地を開放し、1962年から給餌活動を始めた。餌が不足する冬場、一輪車にトウモロコシを満載し、待ちかねたタンチョウに与えた。生前は「鶴のおばあちゃん」として村民や野鳥愛好家らから親しまれた。 長男正博さん(78)によると、給餌を始めたころは20、30羽だったタンチョウはその後、徐々に数を増やし、今では200羽を超すこともあるという。10年ほど前からは体が弱ったトメさんに代わって次男の繁博さん(71)が給餌を受け継いでいる。2001年には長年の給餌活動に対し勲六等瑞宝章が贈られた。
テレビやインターネットなどを利用して大学の教育課程を学習する放送大学の札幌市の施設で24日卒業式が行われ、放送大学の卒業生として最高齢となる101歳の男性が卒業しました。 卒業式は、北海道大学にある放送大学の施設で行われ、24日卒業する115人のうち28人が出席して、1人ずつ壇上で卒業証書を受け取りました。 このうち、札幌市南区の加藤榮さんは、放送大学の卒業生としては最高齢となる101歳で卒業しました。 加藤さんは大正6年、今の豊富町に生まれ、農協などで勤務したあと、平成11年から放送大学の学生として学んでいました。 式では、放送大学北海道学習センターの新田孝彦所長が「100歳を超えた今も学業に取り組み、ほかの学生の模範となった」と述べて、功績をたたえました。 式のあと加藤さんは「最後の2年は視力や能力が落ち、今までにないくらい苦労しました。よくここまで勉強を続けられたと思います」と話して
漫画家になりたくて、高校を出てから東京の専門学校に入った 実家は北海道の端っこなので、漫画を描いても東京へ行く交通費を捻出できなくて持ち込みをしたことがなかった。 東京の専門学校はとても楽しかった。同じ漫画家を志す友達もできた。 先生も現役ではないとはいえ、自分よりもうまくてプロアシスタントをやっていたりして、すごく勉強になった。 背景がうまくなったらアシスタント先も紹介してくれた。 上京してからは早起きして授業が始まるまで持ち込み作品を描き、授業が終わればバイトへ行き、帰ったらすぐ寝るを繰り返していた。 3ヶ月に1作は書いて持ち込みをしていたら、2年時の頭からは担当編集者がついて、ネームから見てもらった。 10日に1回くらいのペースでネームを見せて、完成原稿を賞に出した。 編集者にネームを見せて感想をもらうことで、どういう風に描けばいいのか勉強にもなって、更にやる気が出た。 勉強したこと
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