中世ヨーロッパの大学 西ローマ帝国の滅亡後、西欧の学問は長い停滞を続けていた。書き言葉と話し言葉が違う(前者はラテン語)ので学問の習得には時間がかかり、領主の権力や都市の規模が小さいので高度な学問(例えば体系的な法律)はあまり必要とされていなかった。古代ギリシア・ローマ時代の優れた学問はイスラム圏やビザンティン(東ローマ)帝国に保存されていた。 しかし西欧でも12世紀に入って都市の発展が著しくなり(すると法律といったものが必要になる)、イスラム圏との交易が活発化すると、そちらを経由する形で古代の著作がもたらされるに至る。アリストテレスやユークリッド、ヒポクラテスといった哲学・数学・医学等の大学者の著作やローマ法がそれである。その多くは原書ではなくアラビア語版から西欧の言葉(ラテン語)に翻訳された。ローマ法に関しては、このころ激化していたローマ教皇と神聖ローマ皇帝との抗争に際し、自分の陣営を