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福島と万博に関するlaislanopiraのブックマーク (2)

  • 拒絶から公共彫刻への問いをひらく:ヤノベケンジ《サン・チャイルド》撤去をめぐって|MAGAZINE | 美術手帖

    拒絶から公共彫刻への問いをひらく:ヤノベケンジ《サン・チャイルド》撤去をめぐって2018年8月3日に福島市の教育文化複合施設「こむこむ館」前に設置され、そこからわずか1ヶ月あまりで撤去されたヤノベケンジの立体作品《サン・チャイルド》。これを起点に、公共空間における作品設置のあり方を、彫刻家であり彫刻研究者の小田原のどかが考察する。 文=小田原のどか 解体される《サン・チャイルド》 撮影=筆者 恒久設置から完全撤去へ あまりにも早い撤去だった。9月18日と19日、福島市の文化施設「こむこむ」前で《サン・チャイルド》の解体を見守りながら、そう思わざるをえなかった。こんなに早い幕引きから、私たちは何かを教訓とすることができるのだろうか。人々が忘れてしまう前に記しておきたいことがある。 《サン・チャイルド》は2011年3月11日の東日大震災をきっかけに制作された、高さ6.2メートルのヤノベケンジ

    拒絶から公共彫刻への問いをひらく:ヤノベケンジ《サン・チャイルド》撤去をめぐって|MAGAZINE | 美術手帖
    laislanopira
    laislanopira 2018/10/19
    日本では歴史が流れ去るばかりなので議論が蓄積しない。しかも長崎も福島も中央では全く知られていない。いずれ東京で全く似たような騒動が起こるが、これまでの知見は何も生かされないだろう
  • 20:再説・「爆心地」の芸術(1) ルニット・ドーム、フクシマ、そしてラッキー・ドラゴン - ART iT(アートイット)

    2004年の夏、ちょうど蝉時雨が激しい今時分のこと、東京都立夢の島公園にある都立第五福竜丸展示館で、ある展覧会が開かれていた。『コラプシング・ヒストリーズ(崩落する歴史)』と題されたこの展示(キュレーター=アーロン・カーナー)には、日からヤノベケンジと中ハシ克シゲが参加していた。 主会場となった展示施設は名にあるとおり、1954年3月1日、太平洋マーシャル諸島ビキニ海礁で行われたアメリカによる水爆「ブラボー」爆破実験で、大量の放射性降下物「死の灰」を浴び、被曝した日のマグロ漁船、第五福竜丸の体を保存、展示している。同船は被爆後、焼津港に戻るも、乗組員は急性放射線障害を発症。無線長であった久保山愛吉さん(当時40歳)は同年9月23日、帰らぬ人となった。 しかし、ことの甚大さはひとりの犠牲者を出すだけでは済まなかった。直後より、太平洋から大量の汚染魚が水揚げされ、国内では放射能パニックが

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