全2ヘクタールの大半が埋め立てられる計画が浮上した通称「野崎湿地」。右奥の陸地は松川浦環境公園=福島県相馬市尾浜で2023年12月8日午前11時46分、尾崎修二撮影 福島県相馬市の松川浦県立自然公園にある私有地の湿地約2ヘクタールを埋め立てる計画が地元で波紋を呼んでいる。県外に本社のある事業者が首都圏から大量の土砂を搬入する計画だが、住民から埋め立て後の利用方法や景観、環境の変化などを不安視する声が上がる。市は工事に必要な市有地の使用許可を出さない方針を決めた。 松川浦は南北6キロの砂州で、太平洋から隔てられた潟湖(せきこ)。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から復活した青ノリの養殖も盛んだ。現場は、松川浦の北西端にある松川浦環境公園を取り囲む「野崎湿地」と呼ばれる場所。県の調べではキタミズカメムシなど県内で絶滅が危惧される動植物が確認されている。同公園は環境省が復興支援で設定した「み
放射線レベルの高さより、人間がいない場所を好んだ動物たち。福島の避難指示区域で闊歩してました2020.01.25 18:0065,863 Brian Kahn - Earther Gizmodo US [原文] ( Kenji P. Miyajima ) 動物から、放射性物質よりも嫌われてるのが人間…。 チェルノブイリ原発事故後に、立ち入り禁止区域で野生生物が繁殖したことはよく知られています。最近では、Netflixの『Our Planet』でその様子が放映されていました。 今回発表された研究結果によると、福島の立ち入り区域でも同じようなことが起こっているとのこと。人間がどれだけ地球をめちゃくちゃにしても、人間さえいなくなれば自然環境は元通りになる方法を見つけるようです。 2011年に起こった大きな地震による大津波で福島第一原発が炉心溶融を起こし、日本政府は放射性物質に汚染された地域(ロサ
東日本大震災から11年が経ちました。福島の被災者を中心に、今もなお3万8000人以上が避難生活を余儀なくされています。 大越健介キャスターが4年ぶりに福島第一原発を訪れ“廃炉の現在地”を取材しました。 今、目の前にある課題は『処理水』。東京電力はあと1年でタンクが満杯になるとしています。廃炉の妨げになるとして、政府は去年、海洋放出の方針を決めました。 汚染水は多核種除去設備『ALPS』によって浄化しますが、最後まで取り除けないのが『トリチウム』です。基準値以下なら安全性に問題はないとされますが、漁業関係者から風評被害を懸念する声は尽きません。 大越健介キャスター:「地元の方々の理解が一番大事だと思います。風評被害を気にする漁業関係者もいます。東京電力としてできる精一杯の努力はどういうことだと思いますか」 福島第一廃炉推進カンパニー、木元崇宏副所長:「ご不安の声はたくさん頂いている。ALPS
福島県三島町大谷の大谷川から、約五千四百年前の縄文時代に倒れたとみられる巨木が発見された。見つけたのは同町のIORI倶楽部の会員で、長さ約一四・五メートル、直径は最大約一・五メートルに及ぶ。倶楽部は町と連携して保存・展示し、古代のロマンに触れる機会をつくっていく計画だ。 倶楽部は森を通した地域づくりに取り組んでいる。巨木が見つかったのは二〇二〇(令和二)年四月。大谷川の河川内に一部が露出していたが、大半が川岸に埋まった状態だった。二〇二一年二月、重機を使って掘り出した。樹種はケヤキとみられ、土の中にあったためか保存状態が良く、化石化していなかった。加速器分析研究所白河分析センターで放射性炭素年代測定を行ったところ、約五千四百年前に倒れた木であることが判明したという。 発見場所の近くで約五千四百年前に起きた沼沢火山の噴火に関する調査を行った研究者によると、噴火の爆風でなぎ倒された樹木である可
「南郷スキー場」が昨年10月にツイッターに投稿したポスター。15日現在、リツイートは3万8千、いいねは7万6千=南郷スキー場提供 「ぶっちゃけ、つぶれそう」などの自虐ポスターで話題を集めた南郷スキー場(福島県南会津町)がにぎわっている。雪に恵まれた今季は12月26日にオープン。入場客は8414人(14日現在)で、すでに昨季の約5千人を超えた。 【写真】南郷スキー場の人気は「とまとラーメン」 支配人の星秀則さんは「コロナ禍の割には、想像以上のお客さんに来てもらっている」と話す。 スキー場は来場客の減少に悩み昨年10月、「助けてください」「もう、あかん」などと書いたポスターの画像をツイッターに投稿。一気に拡散され、「いいね」は7万6千に上り、新聞やテレビの全国ニュースにも取り上げられ、「ポスターを見て来ました」と声を掛けられることも多いという。 それでも新型コロナウイルスの影響は小さくない。「
福島県の西部、新潟との県境にある只見町に一風変わった本屋があるのをご存知だろうか。 店の名前は「たもかく本の街」。 いわゆる新刊本を扱う店ではなく、古書店だ。 1994年に開業して以来、まもなく25年。 膨大な蔵書は、その数なんと約150万冊。 これは都内の大型書店が抱える在庫数をはるかにしのぐ数という。 控えめに言っても「日本一」。 そんな本屋がなぜ、人口5,000人にも満たない、冬ともなれば3メートルを超す雪が降る日本有数の豪雪地帯で四半世紀も営業しているのか。 代表の吉津耕一さんに話を聞いた。 「たもかく本の街」誕生までの前日譚 ログハウス風の建物がいくつも並ぶ。中には本がぎっしり 「最初は木工所としてはじまりました。しかし、当時(おそよ40年前)は木材が海外からどんどん輸入されはじめたころで、木工所がどんどんつぶれていた時代。それでもうちは後からはじめたのでやめたくなかったんですよ
川俣町内からはっきりと見える風力発電施設=福島県川俣町で2020年5月29日午後6時18分、磯貝映奈撮影 福島県飯舘村が出資する民間会社が村内で整備中の風力発電を巡り、村と、隣接する川俣町の間でトラブルになっている。景観への配慮を求めてきた町に対し、村は「町からは見えない」などと説明してきたが、完成した風力発電は町内からはっきりと見える状態だ。村によると、環境影響評価(アセスメント)に誤りがあったといい、同村の門馬伸市副村長らが29日、町議会を訪れて陳謝した。風力発電は2020年8月から稼働予定だが、工事は中断している。 元々の計画は… この計画は、村と東光電気工事(東京都)の共同出資会社が16年3月に運転を開始させた「いいたてまでいな太陽光発電所」に、1基3200キロワット、高さ約135メートルの風力発電施設2基を併設する構想。事業費は約18億円で、18年4月に着工した。建設地は町役場か
福島県南相馬市で、サーフィンをする鈴木康二さん(2020年3月4日撮影)。(c)CHARLY TRIBALLEAU / AFP 【3月10日 AFP】サーフボードを抱え、波のコンディションを確認する。福島県南相馬市に住むサーファー、鈴木康二(Koji Suzuki)さんの朝の日課だ。 南相馬市の海岸は日本有数のサーフスポットだ。海を中心とした街づくりが盛んで、多くのサーファーに親しまれた。9年前、福島第一原子力発電所で事故が起きるまでは ──。 2011年3月11日、マグニチュード(M)9.0の巨大地震により発生した津波が福島第一原発を襲った。鈴木さんがサーフショップを営んでいた右田浜から南、約30キロしかなかった。 津波は、鈴木さんの住宅やサーフショップを含む70軒あまりの地区全てをもさらっていった。何も持たずに逃げ、残ったのは避難する際に使った車に偶然積まれていたショートボード2本だけ
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公文書の情報公開制度を利用して、福島県に「微生物資材(EM等)の河川等への投入について」及び、上記文書の作成以降の微生物資材に係る問い合わせ関係文書の開示を請求し、一部(個人情報等の部分)を除いた「公文書一部開示決定」により、45件の文書が開示されました。 福島県は、平成20(2008)年4月8日に、「微生物資材(EM等)の河川等への投入について」という文書を作り、基本方針を定めています。それ以降、この方針に基づいて対応されてきました。 入手した「微生物資材に係る問い合わせ関係文書」の中に、EM関係団体からのクレーム対応事例が2件見つかりましたので、参考として紹介します。 ①来庁者対応記録 平成26年1月23日 ・大学のベンチャービジネスを支援する事業者 1名 ・地球環境・共生ネットワーク 1名 担当部署違いとして、お引き取り願われた様です。 ②電話受信記録 平成26年1月23日 上記EM
東京電力福島第一原発事故から6年余り。人の姿が消えた町では、手つかずの自然が生活の痕跡をのみ込み、辺りを緑一色に染めていた。7回目の夏を迎えた福島の帰還困難区域をドローンで撮影した。 双葉町の沿岸部。風でたなびく雑草の中に取り残された車が見えた。除染廃棄物の中間貯蔵施設の建設が予定されるこの周辺は、津波が押し寄せた田んぼだったという。 双葉町営広町住宅。妻と2人の子どもと暮らしていた男性(38)は「若い家族が多く、子どもたちの遊ぶ声が家の中までよく聞こえていた。思い出はいっぱいあるけど、今は戻ることは考えられない」と話す。 大熊町立熊町小。雑草は腰の高さまで伸び、鉄棒などの遊具には草が絡まっていた。 サッカーゴールが置かれたままの校庭にセミの鳴き声が響いていた。(写真・文 竹花徹朗 小玉重隆)
富士山の「北限」から富士山山頂の姿をとらえることに成功した(左から)大槻功さん、菅野和弘さん、斎藤金男さん=花塚山で2017年1月15日、菅野さんら提供 富士山(3776メートル)が見える北限とされる福島県川俣町と飯舘村の花塚山(918メートル)から、同町の会社員、菅野和弘さん(58)らのグループが初めて富士山山頂の姿をとらえることに成功した。日本地図センターが16日発表した。花塚山は富士山から308キロ離れ、計算上の北限とされる。 富士山の「北限」を撮影したグループは、菅野さんのほか、斎藤金男さん(69)、宮城県丸森町の大槻功さん(58)の2人。菅野さんらは2010年から北限の姿をとらえようと、富士山から308キロ離れた花塚山へ60回近く通い詰め、やっと成功した。 菅野さんらの写真を調べた日本地図センター常務理事の田代博さんは「花塚山からの撮影例はなく、山岳展望ファンの最大の課題だった。
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