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福島と軍事に関するlaislanopiraのブックマーク (7)

  • かつての特攻訓練場は、福島第一原発の敷地となった  「捨石塚」が伝えるものとは | Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)

    Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)は、写真や文章、多様な表現を通じて、世界中の人々が対話に希望を見いだせる世界観を伝えていきます。国家・人種・宗教・性別など、あらゆる境界線を乗り越えた平和な世界を目指して。

    かつての特攻訓練場は、福島第一原発の敷地となった  「捨石塚」が伝えるものとは | Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)
  • イージス艦 “奇跡の救助” 秘話~海上自衛隊 11年目の証言~ | NHK | WEB特集

    「人がいます!手を振っています!」 福島県の沖合15キロの洋上。 突然、声を張り上げた若手隊員の発見報告でイージス艦「ちょうかい」は一気に興奮に包まれました。 みなさんは去年、NHKが放送したドラマ「星影のワルツ」をご覧になったでしょうか。東日大震災で津波にのまれて流され、43時間にわたって海を漂流し、孤独、飢え、渇きに耐えた末、奇跡的に救助された男性の実話です。 このとき男性を救助したのは福島から遠く離れた長崎・佐世保市を母港とする海上自衛隊の乗組員たちでした。 当時、救助現場で何が起きていたのでしょうか。 現場の隊員から最高幹部まで複数の関係者への取材で詳細が明らかになってきました。 海上自衛官が語る、11年目の証言です。 (長崎放送局 佐世保支局記者 喜多祐介) 「下に降りて!」「了解」「航海長、止めてくれ!」「GPSに落としてくれ!」 映像を再生してみると慌ただしく飛び交うことば

    イージス艦 “奇跡の救助” 秘話~海上自衛隊 11年目の証言~ | NHK | WEB特集
  • 核・放射線のイメージ史――3.11後の語りづらさをめぐって/山本昭宏 - SYNODOS

    人気グルメマンガ『美味しんぼ』の「福島の真実編」(『ビックコミックスピリッツ』2014年5月12日・19日合併号)が騒動になったのは記憶に新しい。 問題視されたのは、福島第一原発を取材した主人公が鼻血を出す場面だった。さらに、実在する人物が実名で登場して原発事故後は鼻血を出す人が増えているとの見解を述べる場面や、除染作業が終わっても福島には住めないのではないかと研究者が言う場面もあった。 これらの表現について、政府要人たちが「風評被害を与えることがあってはならない」と発言し、福島県も「人びとに不安と困惑を生じさせる」と声明を出したのである。 『ビックコミックスピリッツ』の編集部は抗議の電話が鳴り止まなかったという。『美味しんぼ』の原作者の雁屋哲は2015年の2月に反論『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』(遊幻舎)を出版し、健康被害に関する議論の継続を訴えている。 この騒動が明らかにしたのは

    核・放射線のイメージ史――3.11後の語りづらさをめぐって/山本昭宏 - SYNODOS
  • 低線量被曝を受け続けていた60年代からの20年 - 農と島のありんくりん

    ・2008年の1日分の事のセシウム137の摂取量・・・0.025ベクレル/㎏ ・同ストロンチウム90                  ・・・0.036 この原因は、カリウム40のような自然放射性物質ではなく、セシウム137、ストロンチウム90てすから人工由来です。 この時期から言って、チェルノブイリと中国核実験の影響だと考えられます。 チェルノブイリは欧州を広域に汚染しましたが、1950年代から80年代まで続いた核実験は北半球全域を地球規模で汚染しました。 これは地下核実験と違って、地上に据えつけて爆発させるために大気圏内の気流に乗ってしまうためです。(写真 ユタ州の小型核の大気圏内実験。) 1950年代からの大気圏内核実験の総数は500回を超え、放出された放射性物質はチェルノブイリ事故の800万倍に達すると言われています。 また1950~1960年代の10年以上にもわたる人工放射性核

    低線量被曝を受け続けていた60年代からの20年 - 農と島のありんくりん
  • 20:再説・「爆心地」の芸術(1) ルニット・ドーム、フクシマ、そしてラッキー・ドラゴン - ART iT(アートイット)

    2004年の夏、ちょうど蝉時雨が激しい今時分のこと、東京都立夢の島公園にある都立第五福竜丸展示館で、ある展覧会が開かれていた。『コラプシング・ヒストリーズ(崩落する歴史)』と題されたこの展示(キュレーター=アーロン・カーナー)には、日からヤノベケンジと中ハシ克シゲが参加していた。 主会場となった展示施設は名にあるとおり、1954年3月1日、太平洋マーシャル諸島ビキニ海礁で行われたアメリカによる水爆「ブラボー」爆破実験で、大量の放射性降下物「死の灰」を浴び、被曝した日のマグロ漁船、第五福竜丸の体を保存、展示している。同船は被爆後、焼津港に戻るも、乗組員は急性放射線障害を発症。無線長であった久保山愛吉さん(当時40歳)は同年9月23日、帰らぬ人となった。 しかし、ことの甚大さはひとりの犠牲者を出すだけでは済まなかった。直後より、太平洋から大量の汚染魚が水揚げされ、国内では放射能パニックが

  • asahi.com(朝日新聞社):「ヒロシマ」撮った90歳、最後の仕事は「フクシマ」 - 社会

    印刷 関連トピックス原子力発電所福島菊次郎さん=東京・九段、高波淳撮影原爆ドームの前で暖をとる人たち=1946年ごろ、福島菊次郎さん撮影津波に流された後、集められた墓石=9月17日、福島県南相馬市、福島菊次郎さん撮影  約65年前、広島を撮った写真家は福島を「最後の仕事」に選んだ。被爆者や「軍事大国・日」を克明に写した報道写真家・福島菊次郎さん(90)が東日大震災で被災した福島県を取材し、「遺作集」を作る準備をしている。福島さんの姿を追った映画の制作も進んでいる。  福島さんは震災前から「原発と原爆は同義語。事故が起きれば核戦争にも匹敵する被害が出る恐れがある」と、著書「写らなかった戦後 ヒロシマの嘘(うそ)」などで警鐘を鳴らしてきた。  これまでに胃がんや前立腺がんを病み、体重は37キロ。その体で9月、約半世紀使い込んだニコンFなど2台のカメラを持ち、津波に押し流された墓石が集められ

  • せめて、もっと人殺しの顔をしろ - 未来の蛮族

    TVでは、芸能人が我々に呼びかけている。「デマに騙されないようにしよう」ずいぶんと難しいことを言ってくれる、とおれは思う。デマに騙されようと思って騙される人間はいない。みな、正しいことをするつもりで間違えるのだ。 芸能人たちはこんなことも言っていた。「被災者の気持ちになって考えよう」確かにこれは大事なことだ。けれど、難しい。とりわけおれのような人間にとっては。おれは頭が悪いから、福島の原発について、土地を奪われた人間の気持ちをほんとうには想像することはできない。ただ、自分に置き換えて考えてみることしかできない。 もしも、自分の住む街に原子力発電所があったらどうだろう? 自分の故郷が、放射性物質に汚染されてしまって、二度と帰ることできなくなってしまったらどうだろう? しかも、その原子力発電所は遠く離れた東京に電気を供給するための施設なのだ。なぜ、自分たちだけが、東京の犠牲にならなければならな

    せめて、もっと人殺しの顔をしろ - 未来の蛮族
    laislanopira
    laislanopira 2011/04/16
    都民の選挙での選択は、原発を福島に置いてきたことをよしとする選択
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