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ブックマーク / www.j.u-tokyo.ac.jp (2)

  • コラム53:迷惑はかけてもいい|運営委員・相談員のコラム|学習相談室|東京大学大学院法学政治学研究科・法学部

    コラム53:迷惑はかけてもいい 日人ならたいてい子どものころから、親や学校の先生などから、「他人に迷惑をかけてはいけません」と言われて育ってきたのではないだろうか。そのため、「他人に迷惑をかけてはいけない」というのは、普遍的な道徳律だと思っている人も多いのではないかと思う。私も数年前までそう思っていた一人だった。しかし、どうやらこの教えはそれほど普遍的な規範とは言えないようだ。日語教師をしている私の知人によれば、中国ではこのような規範を子どもに教える親はほとんどいない代わりに、「困っている人を助けなさい」と教える親が多いという。私の友人韓国人によれば、韓国でも「他人に迷惑をかけるな」という人はいるものの、日ほど多くはないという。むろん、日でも「困っている人を助けなさい」と教える親もいるだろうが、「他人様に迷惑をかけてはいけない」と教える親に比べると、圧倒的に少数派だろう。 新約聖

    コラム53:迷惑はかけてもいい|運営委員・相談員のコラム|学習相談室|東京大学大学院法学政治学研究科・法学部
    laislanopira
    laislanopira 2023/07/14
    迷惑はかけてもいい
  • 帝国の民族政策

    帝国の民族政策の基は同化か?――一九九八年度大会「ロシア・ソ連の帝国的秩序」セッションの反省に寄せて 一九九八年度ロシア史研究会大会において「ロシア・ソ連の帝国的秩序」というセッションがもたれ、私は竹中浩、西山克典とともに報告者に指名された。報告自体は別に発表予定だが(報告そのものはA、関連する拙稿として@B)、ここでは、このセッションにおける議論がやや生煮えに終わったのではないかという観点から、議論の前提に関わるような事柄について、若干の反省を試みたい。この小論は、そうした意図から書かれたので、実証的歴史研究そのものではなく、一種の問題提起的エッセイだということを予めお断わりしておきたい。ロシア・ソ連史から離れた抽象論や、ロシア・ソ連史の中でも私自身が直接研究していないような事柄に触れるので、「研究」と称し得るような精度をもったものではない。そのような文章を『ロシア史研究』誌に掲載して

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