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ブックマーク / www.kokugakuin.ac.jp (3)

  • 科学データが見せる10世紀に社会が 大きく変化したわけ – 國學院大學

    科学データが見せる10世紀に社会が 大きく変化したわけ ヒトと自然、これまでとこれから(笹生衛 教授 前編) 神道文化学部全ての方向け Tweet 旱魃(かんばつ)、大雨、洪水。そして都市部への人口集中による感染症の大流行。古代の人々の姿と、現代に生きる私たちの姿はほとんど変わらないことが、古代の遺跡調査と文献史料、そして最先端の科学データを突き合わせたときに見えてくるという。 笹生衛・神道文化学部教授(國學院大學博物館館長)への前後編インタビューで伝わってくるのは、古代の話でありながらどこまでもクリアで、そしてリアルな歴史の肌触りだ。 10世紀に、何かが起きたのではないか――。これは私が20代の頃、古代の集落の発掘調査現場に身を置くようになって抱きはじめた疑問でした。古墳時代からの伝統的な集落のかたちが8・9世紀までは残っていたのに、9世紀の末期から10世紀にかけて、その集落が消滅・分散

    科学データが見せる10世紀に社会が 大きく変化したわけ – 國學院大學
  • 日本語を教えることと、日本語の研究をすること – 國學院大學

    語を教えることと、日語の研究をすること 日語を言語学的に分析する ー後編ー 文学部全ての方向け Tweet 日語の仕組みを追いかけてきた人だからこそ、日語を母語としない留学生にも、その仕組みをうまく伝えることができたのかもしれない。菊地康人・文学部日文学科教授が誠実な語り口で振り返る自身の歩みからは、日語学と日教育の幸福な関係が見えてくる。 1980年代から日社会で急増した留学生たちに、実際に日語を教えてきた日々。その一方で1990年代半ば、菊地教授が一般向けに執筆した概説書『敬語』は、好評をもって迎えられた。書を中心にした敬語研究によって、言語学の大家の名を冠した金田一京助博士記念賞を受賞。『敬語』は、その姉妹編である『敬語再入門』とともに後に講談社学術文庫より文庫化され、今に至るまでずっと、敬語に悩む現代人に愛読されている。インタビュー後編では、日教育と日

    日本語を教えることと、日本語の研究をすること – 國學院大學
  • 「私は作った俳句です」は、なぜ日本語としておかしいのか – 國學院大學

    「私は作った俳句です」は、なぜ日語としておかしいのか 日語を言語学的に分析する ー前編ー 文学部全ての方向け Tweet 母語ではない日語を学ぶ人が増えているなか、学習者たちにとっては、どんな点が難しいのだろうか。たとえば「は」と「が」の使い分けが難しいと聞いたことがあるんですが……と菊地康人・文学部日文学科教授に話を聞くと、こんな答えが返ってきた。 「『は』と『が』だけではないですけど、『は』と『が』もノンネイティブの人には難しいことのひとつですね。たとえば、かなり上達した人でも、『私は作った俳句です。見てください』みたいな文を言うことがあります。この『は』は、『が』じゃないとおかしいですね。ここまでは、日語を母語とする人なら誰でも直せると思います。でも、どうしてですか、と聞かれたら、説明できる人は専門の教育を受けた人だけではないでしょうか」 自分の日常にとけこんでいる言葉の仕

    「私は作った俳句です」は、なぜ日本語としておかしいのか – 國學院大學
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