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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/ced (4)

  • 本はどのように消えてゆくのか - 雑記帳

    とコンピューター』の次に出版されたで、その後1993年から1996年までに書かれたエッセイを纏めてある。『とコンピューター』のテーマがDTPだとしたら、『はどのように消えてゆくのか』のテーマはインターネット。日でホームページが広まり始めたその当時の空気が伝わってくる内容で、一編集者が見た日におけるインターネットの発展過程の年代記みたいなものとしても読めるかもしれない。気になった文章をメモ。 パソコン通信で対話できるか たしかに、だれでも書くことができるデジタル・ネットワークの世界では、作家も官僚も先生も、そうじて書くことのプロ - 文書をつくり、それを効果的に利用することの専門家が、これまでどおりのふるまい方をつづけるのはむずかしいかもしれない。 その生きにくさを専門家がすすんで経験し、他方、非専門家の側もそのことによって、たんに受け身ではない自分のあり方を発見してゆく。そこ

    本はどのように消えてゆくのか - 雑記帳
    laiso
    laiso 2006/08/06
  • ナウシカ解読 - ユートピアの臨界 - 雑記帳

    かなり以前に、UNIX的なユートピアを創れないかという話があって、少し物語の設定を考えたことがあった*1。その時にユートピア論の構築の難しさについていろいろと知ることができたから、「風の谷のナウシカ」の原作全7巻を読み終わったときの衝撃は強烈だった。宮崎駿の描くユートピア論は、ユートピアを否定することでユートピア論足り得たというちょっと特殊な構造になっている。それを私は自分なりに「きれいな嘘のつき方」*2と表現してみたことがあったけれど、哲学的にこの物語をまとめたがあれば是非読みたいと考えていた。そして、この、『ナウシカ解読―ユートピアの臨界』を見つけた。著者は哲学や社会学の理論を用いて詳細にこの物語を解説している。手元に置いてあるでもあるので、印象に残った部分のみメモ。ナウシカの原作と共に何度か読み返したくなる。 近代的な意味での「正義」の立場は典型的には従来の「勧善懲悪」の子供

    ナウシカ解読 - ユートピアの臨界 - 雑記帳
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    laiso 2006/07/30
  • 〈子〉のつく名前の女の子は頭がいい - 雑記帳

    『“子”のつく名前の女の子は頭がいい―情報社会の家族 (新書y (045))』は目を引くタイトルだけど、これは近頃話題の「バカ」の類ではない。著者もまえがきの1ページ目で早速そのことについて説明している。 はじめに誤解を解いておきたい。僕がこので主張しているのは「〈子〉のつく名前の女の子は頭がいい」ということではないのだ。個人の運命は名前で決まるわけではない。名前をみただけでその人の運命など予測できるはずもない。 目的を明確に述べておこう。書において、著者はマスメディアの副作用について解明している。テレビや新聞が完全に普及し、雑誌やインターネットがあらゆる言語空間を覆いつくすなかで、人々の行動はどのような影響を受けているのか、それを解きあかそうというわけだ。著者の判断ではそれに成功している。 (p5) このは、恐らく日国内の社会学の学会などでは受け入れられないのだろう。何しろ著者

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    laiso 2006/07/09
  • ダメな私を助けてくれる系 - 雑記帳

    以前坂啓一の主催するメールマガジンSurfin’に出てた文章*1。 こんな仮説を立てた。 現在、生活者・顧客に支持され、受け入れられている商品は、 「ダメな私を助けてくれる系」 ではないか。 そう気づいてみると、これまでの商品は、優等生を前提として設計されている。取り扱い説明書も、「**にはお気をつけください。**の場合には使用を中止してください」と「DO NOT」が大書してある。 航空会社から「安いよ!」というメールが届くが、そのような特別割引チケットは1ヶ月も2ヶ月も前から予約しなければならん。あまりに遠くて予想もできないよ。 人間、そんなにエラくないし、ルールなど、守れんのだ。 自分としてはこういった考えは好きではないが、でもマーケティングやってる人からしてみたら重要なことなんだろう。で、こういったアプローチを地で行くのがリクルート、だ。googleの日での競合の一つがリクルート

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    laiso 2006/04/30
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