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ブックマーク / mutronix.hatenadiary.org (85)

  • いろいろメモ - 焚書官の日常

    「メディアリテラシー」 メディアリテラシーという言葉が来の意味を離れて、一種の「俺は違うぜ」的知能テストになっている件。 いかにもありそうなことを鵜呑みにしてしまったとき、反省すべきなのは、「裏を取る」ことよりも「なぜ俺は信じてしまったんだろう?」と自分のバイアスに向き合うことではないのか。 「やられたー」「釣られたー」とか一生やってろと思った。 あーしかしあれだ 「いい加減うんざりだ!」「一生やってろ!」というのは、自分にとっては繰り返し現れているように見えているだけで、ネットで見てまわっていてそういう感想を抱くときの相手というのは、全然別の人として現れているものだ。 自分の側の問題として、そういうことが歳を取るということなんだなと(あ、週末で一つ歳が増えます)思い直すべきなのだな、というのが一つ。いい加減そういう話題に興味の針を動かさないようにしたい。 もう一つは「釣れた」とか「リテ

    いろいろメモ - 焚書官の日常
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    laiso 2007/03/23
  • バイソン, Kramer & Kiesling - 焚書官の日常

    http://www.gamers-jp.com/playgame/db_gamea.php?game_id=2196 http://www.boardgamegeek.com/game/21287 探検隊がバイソンや魚を獲って消費しながら移動を繰り返し、最後にその収穫量を競うゲーム。 というと、何をしているのかよくわからないが、所謂「陣取り」(エリア・マジョリティゲーム)。手番順に駒を地形に配置していき、4回ある決算でエリアごとの数を比較。各エリアで、最も駒を沢山置いた人が1位の得点、2位はその半額。…という、ありがちなスタイル。ラウンドが進むごとに地形が少しずつ増えていく。 途中で起きる決算の結果は、次のラウンドに使えるリソースになる。ゲームの勝敗は、最終ラウンドの決算の結果のみで決まる。 感想 インストを聞いている間は、派手な要素もないし、そもそも「ティカル」(1999)と同じような

    バイソン, Kramer & Kiesling - 焚書官の日常
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    laiso 2006/11/03
  • やわらか戦車について話す - 焚書官の日常

    これが何かで一位を取るとかいうのは相当なプロレスなわけだが、一日十分くらいしかネットしない人と話すときの話題として「やわらか戦車可愛いねー流行してるんだよねーなんかも出たんだってねー」と、つい無難な会話をしてしまう。オレは大して好きじゃないけど一般的には流行してるのか、という感覚の上滑りの上で、流行したことになってしまうという。そのあたりのキャラクターの選択が絶妙だと思った。こういうことは政治に活かせばいいと思ったが、既に活かされているような気がする。 追記 「オレは特に好きではないが一般的には流行してると言われたらそうかも」といえそうな隙間を狙うのは、その人の優越感のマージンに乗せて情報が流通しているとでもいうことかな。対象に批判的な事を言う人に対しては、その優越感を使って「お前は世界が狭いね」と言えるご褒美がついている。 追記:好きか嫌いか と、このへんまで書くと「そんなに嫌いか」と

    やわらか戦車について話す - 焚書官の日常
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    laiso 2006/11/03
  • 最近の本棚 - 焚書官の日常

    「関係の空気」「場の空気」 時間つぶしで流し読み。例が多くて読みやすい。 空気は日語の問題だ、として、スキルが高い人に対してきちんとした日語を要求する、というのはちょっと新鮮に感じた。みのもんたや小泉純一郎のような人の言葉遣いの特徴に、常体敬体を使い分けて文章に緩急を付ける=自分で空気を主導するテクニックがある、とのこと。それはこの日記のことですか。 などと最後を敬語疑問文で締めるのはオレはカザノさんの日記で身につけたような気がするがどうだったかな。いや考えたのはそういうことではなくて、自分の書き言葉と話し言葉の違い、コミュニケーション能力の問題をちょっと。 オタがオタ語彙で情報を投げ合うことに熱中してしまうのは、常体敬体や空気に関する配慮の不要な名詞が中心の会話だからってことかな。空気から逃れられるというか、自分がネタを出して話している間は興味関心という形でだけ擬似的に空気を作れるか

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    laiso 2006/10/22
  • 禁止って命令するなって命令するな!(どかーん) - 焚書官の日常

    http://d.hatena.ne.jp/REV/20061017#p1 「指図をするな」「指図をするなって指図をするな!」 「厨房!」「厨って呼ぶほうが厨房だ!」 といういつものパターンなのかな。 「禁止!」「禁止言うな!」「禁止言うな言うな!」…の言い合いが続いている間はある種の均衡が保たれていると思うのであんまり興味が沸かない(話題になってる記事もほとんど読んでない)。 ま、解らない人は解らないまま「土足で人の家に…!」とか言うだろうし、淡々と指摘する人は指摘を続けるだろうし。 自分の立場としては、えー勿論、無断リンク禁止、というのはナンセンスだと思うし、「無断」と「リンク」を並べるのは造語技に近いという感覚を持っています。 無断リンクしたら突然ブチ切れられて訴えられたり、サービスプロバイダに文句言われたりして、自分の享受しているサービスが制限を受けたりしなければいいなーと、思いま

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    laiso 2006/10/19
  • idの埋葬について - 焚書官の日常

    idを埋葬して日記を静的テキストにしてくれるサービスがあったら、いくら払うだろう。 わたしは、このidで、ここに、3年以上日記を書いている。毎日好き勝手に書いているつもりではあるが、過去に書いたものに無意識に縛られて、その人格や、人格にくっついた人間関係を破壊しないよう書いている部分も、あるだろう。そのことが自分の自由を奪っていると感じることもある。 日記を書くことじたいは、自分の業だと思うから、やめないだろう。はてな記法で日記を書くのにも、慣れすぎてしまった。ならば、はてなの中で、もう一度、idを取り直してしまおうか、と思ったりする。 しかし、アカウント登録を抹消すると、これまで書いた日記は消えてしまう。それは望むところではない。日記のURLにあった文書を消したいわけではないのだ。 「はてなダイアリー」には、サブアカウント制度というものがある。3つまでのidを同時に使って日記を書いてよい

    idの埋葬について - 焚書官の日常
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    laiso 2006/10/14
  • 最近の本棚 - 焚書官の日常

    名探偵 木更津悠也 「交換殺人」。話の前提や、こうしたらこうくる筈、という人間洞察の中に、何か間違ったものを含みながら展開する、論理的な悪ふざけだと思う。一見緻密な議論。しかし何かが隠蔽されている。可能性を次々にあげては潰すという、ミステリではおなじみの筋運びだが、ほとんど話が展開しないまま、対話上の仮説だけでどんどん立てられては消去される。なるほどなるほどと読み進むうちに、意外な真相にたどり着くのだが…これはかなり誘導されている気がする。 検索すると、「前提も展開も解決も、冷静に考えれば出鱈目だろう」という評価のページも見付かる。たぶんそれは正しい。これはつまり…作者による、じょ、情報操作だ! だがそこがいい。 二度目以降は、探偵の隠蔽、ワトスンの隠蔽、作家の隠蔽に八方気を遣いながら読めるじゃないか。 ふつうの格短編より密度が高く感じられるのは、書き方がそういう詐術を含んでるからだと思

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    laiso 2006/10/07
  • デトロイト・メタル・シティ - 焚書官の日常

    こ、これはすごい。ロックだ。童貞男がロックを聴くということが余すところなく漫画として描かれている。劇中の演奏はほとんど関係なく、根岸の煩悶とそこからのカタルシスがすべて。あーいや、だからロック漫画というかこれはメタロック漫画か。 ある意味18歳以上推奨。なぜなら高校を卒業して新入生歓迎コンパで「音楽とかなに系聴くのぉ」「あたし何でもぉ、強いて言えば**系?」「あぁ、いいよねぇ」みたいな内容のない会話を交わしているときの童貞男の屈折した感情がわかるかどうかで、この漫画への共感度が違うからだ。 ジレンマを味わうクラウザーさんがなんかおもしろい、というのは女子の読み方だ。 ロックを聴く童貞男の中にはもれなくクラウザーさんが住んでいて、この漫画はそれぞれのクラウザーさんの眠る扉をノックしてまわるのだった。おれもおれの内なるクラウザーさんのことを久しぶりに思いだした。 読み始めたときは「なんだこれ、

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    laiso 2006/08/24
  • 日記および非日記のリビルドを考える (1) - 焚書官の日常

    と言っても、IDを消したり過去ログをリセットしたりしてセクションの形だけ変えてみました、というのでは、おそかれはやかれ、今と同じ結果になってしまう。 最適なスタイルを取ることで自分にいい影響がでるはずだ、という思いこみを変える。動機からスタイルを選ぶ、と言えば当たり前だが。えぇ、わからないんですよそういう当たり前のことが。 あるスタイルを選んでうまくいかなかったときに(see.g:fragments)、「これでも自分にとって何かの意味はある」と頑なになってしまうか、「やっぱり疲れるみたいなのでやめます」と大雑把に切ってしまうか、という二択になってしまうのがおかしいのかな、と思った。身につけるべきはうまくいかないときにそれを認めて細かく調整する運転技術なのかも。 世の「ブログやめます」も、スタイルの選択に失敗したときの上手な運転の仕方を、書くプロセスの中に含めておけば、何割かは回避できるのか

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    laiso 2006/08/05
  • ライトノベルを読んでいたら - 焚書官の日常

    「そんなゴミみたいなものを読むなんて君はなんて無意味なことをしてるんだい?」 と、脳内の勝ち組志向のおれが言うのでそれへの答えを考えてみた。 確かに今おれが読んでいるこれは、人生の真理からはほど遠いし、芸術的な価値もほとんどない。まぁ、それはおいとこう。それどころか、エンターテイメントとしても不十分だとも、思う。 ラノベの文章は読者のラノベ常識に頼りすぎていて、それに乗れないと適切に情景を想像することすら難しい。 つまりどこかで読んだ設定・どこかで読んだストーリーに近づくほど受容しやすくなるが、どこかで読んだものならそもそも読む必要がなくなる。 いや…だからそれは問題ではないと言いたいのだ。 どこかで読んだような話を1時間で読み流すようなことを繰り返すと、「あそこの展開が弱いのではないか」「ここは説明が足りない」「折角こういう伏線が使えるのに勿体ない」といった不満が生まれるようになる。ほぼ

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    laiso 2006/07/24
  • ユージュアル・サスペクツの評価が高いのがよくわからん - 焚書官の日常

    わからん、というか、騙されたと思わなかったので、自分の中でそんなに面白いと思わなかった。最初に可能性のひとつとして考えて、あぁやっぱり、という。まぁこれはそこそこすれている感想かも知れないですが。しかしムニャムニャがムニャムニャしているという時点で考える…ムニャムニャ… …というか、「そうだったのか!」という事実じたいには、感心はするけど、それはあくまでワンアイデアなので、驚こうと思って構えている人は、驚きに対してかなり準備しているので驚かない。ミステリでなにトリックを使ってるとかいうことがわかっても嬉しくないのと同じで。「そうだったのか!」を話の中に組み込んで提示する手法がいろいろあって、その見せ方に驚かされることはときどきある(あんまり映画観ないけど)。 何度か観ればこっそり仕込んだ手法にいろいろ気づくのかも。廉価版DVDが出るそうなので買ってみようかな。

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    laiso 2006/07/09
  • コメントにリプライいたします - 焚書官の日常

    http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20060123/1138017958 mm2 『バカは新書もちゃんと読めねえんだ、哀れだね。』 (2006/07/01 03:58) 哀れんでいただき恐縮です。自分の頭の悪さ(とくに、を読む能力の低さ)には自分でも困っている次第です。 ところで(答えていただかなくても構いませんが)コメントの内容から (1)mutronix(この日記を書いている私)は馬鹿である (2)馬鹿は新書に書いてあることを理解することができない ということをおっしゃりたいのだと理解しました(2しか書いてないが、暗に1のことを前提としていないと私の日記に書く意味がない)。しかしそれを敢えて書くということはどういうことでしょうか。これについて考えてみました。 x. 不確かなのは、「(1)mutronix(この日記を書いている私)は馬鹿である」という前提の中

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    laiso 2006/07/01
  • いろいろメモ - 焚書官の日常

    Fedora Core 検索してみても手動で細かくパーティション切ってる例がない…。最近はパーティション切らずに/に全部入れるのが普通? バックアップとか考えたらそっちのが気軽でいいかもだが。理由がよくわからないです。 「叙述トリックを利用したPVが…」 叙述トリックとは語りの構造そのものなのであって利用するもなにもない! そうです私が叙述トリックです、と思ったがそれが目的の小説ではなく、話題づくりのためにそれを利用していた場合はやはり利用していると言うのかもしれない。 あと、敢えてあのPVを叙述トリックの作例として紹介することによって「なんだ**と同じじゃん、ミステリファンってつまんないものが好きなんですね」と格好きの人の肩身を狭くさせようとしている戦略の可能性も考えられる。

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    laiso 2006/07/01
  • 日記の生き方 - 焚書官の日常

    下の「メモ」に書いた考えに基づいてパフォーマンスをはじめるともうやめるわこんなサービス、はいはいさよなら、あ、ね、ほんとにやめちゃうよ? ほんとにほんとにいいの? ね、オレがいなくなってもみんな頑張ってね? と誰も気にしてないのに退会プレイを始めてしまう自分を想像して、彼はまた気分が悪くなった。 それでもいいかな、と思ったが、その可能性は別の自分がどこかで選択していることだろう、と考えることにした。ここにいる自分は残った何かで何かをなしたい自分だ。そのことは嘘ではない。 それに、書いているこの「わたし」は、この日記サービスに対して直接利害関係があるわけではない。何を書いても死にはしない。だから「わたし」は、どのようにしてか形を変えて、彼の日記を生きながらえさせることができるだろう。 年の初めからつけている手帳を見た。とてもくだらないことを書いていた。書きためて有意義なものが生まれるかも知れ

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    laiso 2006/06/21
  • いろいろメモ - 焚書官の日常

    全然面白くなくなった ちょっと面白かったので「うけた」とコメントを付けたがその後全然面白いと感じられなくなった。なんだろうかこれは。というか人のブックマークコメントに対して「うけた」とかいうコメントは無意味なのでもうしません。

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    laiso 2006/06/14
    q{人のブックマークコメントに対して「うけた」とかいうコメントは無意味}それクリr
  • いろいろメモ - 焚書官の日常

    グループ落ちてるのでこっちに g:fragmentsであんまりおれはけまらしい絡み方をしないのだけど、まぁあんまり読んでないから絡めないというのはおいといて、そういうの嫌ってるの? と訊かれたら、絡むのは苦手(下手)だがそこにいる人が嫌いというわけでもないと答える。「メインブログ」と「サブブログ」があってこちらはメインには書けないつぶやきを書きますSide.B! みたいなベタなことをあえてしてしまう(そしてしんどくなって失敗する)人に対して、日記のアカウント名を転々として過去ログを消してしまう人に対して、基的な部分でシンパシーを抱く。あーこの人も、どうしてこんなに不自由なのだろう、と思っているんじゃないかな、と推察する。不自由さの枠を所与のものとして受け入れ「サブ日記はチラシの裏です」と自嘲するのよりずっと好きだ。 松木さんの「勝つにきまってんでしょー」というCMを見て 言外に「おまえが

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    laiso 2006/06/11
  • いろいろメモ - 焚書官の日常

    エレベータの開ボタン あれはしまりかけたドアを開くときに押すものだけど、向こうからエレベータに乗ろうとしてくる人を見て開ボタンを押すときと、押しっぱなしにしているときは、ちょっと意味が変わる。気配りアピールボタンみたいなものか。

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    laiso 2006/06/09
  • 初心にかえるのがおれの中でも流行 - 焚書官の日常

    キーワードをたどって「はじめまして、**って素敵ですよね」とコメントする2003年の気分はどこまで再生可能なんだろう。 そこから作り得た価値の一部はどこかに行ってしまった。 基は「通時で全部読む」だなぁやっぱり。

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    laiso 2006/05/18
    いつの間にかメルカトルがいない(キミのいなくなった部屋は少し広くなにがしかの香りが)。rss脳の巨富。
  • 焚書官の日常 (5) - 私の頭の中のメモ帳

    さてオフ会のシーズンである。大学生になってmixiデビューして、え何君も熊なん、そしたら連休オフ会やろうやー、はいはいパルコ前に6時ね、などという待ち合わせをしてはせ参じる、といった一般的な例はおいといて、ブロガー同士のオフ会では人のアーティクルを読んでいることがかなり重要である。なぜってそれしか情報がないから。私などはほとんど他人の日記を読まないので、オフ会が開かれる時期になると、「そういえば**事件の時にですねぇゴニョゴニョ」「あーあれはねゴニョゴニョ」「あ、mutronixさん何か飲み物いりますか?」「あ、カルチューひとつ」と、3時間で自分の話した音節が20に満たないというような空想のオフ会を想像して背筋が凍り付くのである。今書いていても手汗がびっしょりだ。 そこで他人の日記を読もうということになる。ブラウザを開き、参加者(空想のオフ会なので、空想の参加者です)の日記を開いて上から

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    laiso 2006/04/22
  • 購読中のブログを「壁に投げる」機能の実装を要求する - 焚書官の日常

    ミステリなどで、今までこうかと思って読み進めていた話が、まったく違う斜め上の解決で終わり、自分の考えていた問題意識が梯子を外され宙ぶらりんになってしまうことがある。そういうとき、「壁にを投げたくなりました!」という人がいる。 ブログにおいても、今まで面白いと思って読んできたものが、実はある宗教団体の(元)信者によるものだった、という、ある意味驚天動地の叙述トリックに対して、「なんじゃそりゃー!」と、「壁にを投げる」と同等の機能を実装していただきたいものである。 社会的責任がどうとかいうのはよく知らんけど、人の書いたものを読み、それを受けて自分も書く、という世界では、とりあえず、読んだもののオチが気に入らなかった人は「なんじゃそりゃー!」と言っておけば、たいてい間に合うような気がする。

    購読中のブログを「壁に投げる」機能の実装を要求する - 焚書官の日常
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    laiso 2006/03/16