「認知的不協和」 「自己矛盾」と言い換えて差し支えないだろうか。 人は「自己矛盾」を抱えた生き物だ。 私は「それで良い」と思う。 だけれども、 その「自己矛盾」に苛まれて、 「こんなはずじゃなかった」って、 それで生きる気力を失う人が多いように思う。 そうなってしまったら「良い」とは言えなくなる。 「思い通りにならないことが当たり前」 人生がそういうものだということはわかっているはずなのに、 人はまた「自分の人生に期待をする」のだ。 そうやって擦り減っていく。 徐々に「希望」を「絶望」に置き換えて、 そうやって擦り切れていく。 大事なことはさ。 自分を気持ちよくさせてあげること、 それでいて、周りに度し難い迷惑をかけないこと、 人生というものは、 そのバランスの上に成り立っているのだ。 いくら擦り減ってみたところで、 縮んだ背丈に気が付いてくれる人などほとんどいない。 気が付いてくれたとこ
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