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ブックマーク / nme-jp.com (2)

  • ビートルズ、“In My Life”の作曲者について統計学を使って分析した研究結果が発表に | NME Japan

    ザ・ビートルズの“In My Life”について、ポール・マッカートニーが曲を書いたというのは「勘違い」であり、実際はジョン・レノンによる作品だったとする新たな研究結果が発表されている。 “In My Life”はザ・ビートルズによる1965年発表のアルバム『ラバー・ソウル』に収録された楽曲で、当初はジョン・レノンの曲と見られていた。しかしながら、楽曲の作曲者についてはその後何年にもわたって議論の対象となっており、ポール・マッカートニーはリリースからおよそ10年後にラジオDJのポール・ガンバッキーニに対して次のように語っている。「ジョンがあの歌詞を書いて、僕がそれに曲をつけたんだ。あれは素晴らしい曲だよね」 ジョン・レノンは1980年に、ポール・マッカートニーが作曲のパートナーとして書いたのはミドルエイトとハーモニーだけだと語っていた。 今回、ハーヴァード大学で統計学の准教授を務めるマーク

    ビートルズ、“In My Life”の作曲者について統計学を使って分析した研究結果が発表に | NME Japan
    langu
    langu 2018/07/31
  • エルヴィス・コステロ、かつて日本で行った路上ライヴが悲惨だったと語る | NME Japan

    エルヴィス・コステロが、10月21日夜に放送されたアメリカテレビ番組「コナン」に出演し、自身のキャリアの初期に日で行った悲惨なライヴを振り返った。日人は彼の音楽にまったく興味を示しておらず、レコードを配ることすらできなかったと語っている。 番組司会を務めているコナン・オブライエンに対して、エルヴィス・コステロは彼とバンドメンバーは日でスターになるために確実に成功するはずの計画を練っていたと語っている。彼らはザ・ビートルズがシェイ・スタジアムで着ていた立て襟の衣装を思わせるような日の学生服を購入し、平床式トラックを借りて銀座の繁華街へ繰り出し、そしてロックンロールを演奏したという。 エルヴィス・コステロは「俺たちは、『この方法だ。起きるとすれば2つに1つだな』と思っていた。夜通しで大評判を巻き起こして、俺たちのレコードがチャートインする。もしくは、逮捕されて国外退去になる。その騒ぎ

    エルヴィス・コステロ、かつて日本で行った路上ライヴが悲惨だったと語る | NME Japan
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    langu 2015/10/23
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