なにやら世間で「研修」をめぐって話題になっているようですが、特定企業の問題はともかく、「研修」というそれ自体世界共通であるはずの概念が、なぜ日本ではかくも極めて特異な形態を取るのかという観点から物事を見るくらいの余裕はあっても良いのではないかと思われます。 「研修」を和英辞典で引くと「training」とあり、これをもう一度英和辞典にかけると「訓練」になります。 ふむ、「研修」とは「訓練」であったか。 ところが、なぜかこの極東の一島国では、「訓練」にはアカデミックな「教育」様よりも格下の職業技能に関わる代物というイメージが付着している一方で、英訳すれば同じになるはずの「研修」には、人格を陶冶し、一騎当千の強者にして見せます、みたいな格上のイメージが付着しているんですな。 ジョブのスキルがないから就職できない若者を「訓練」して使い物になるようにしてやるという欧米の発想からすると、スキルなどと
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