おれたちはラジオ体操第二の「からだを倒す運動」を見るたびに後ろから飛びついてパロスペシャルを極めたくなる病に罹患している。 パロスペシャル参考リンク:http://www.kinniku.com/big2/index.html
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おれたちはラジオ体操第二の「からだを倒す運動」を見るたびに後ろから飛びついてパロスペシャルを極めたくなる病に罹患している。 パロスペシャル参考リンク:http://www.kinniku.com/big2/index.html
週末、通信についていろいろ考えていた。 たとえばここに一つの懐中電灯がある。50m先の誰かに向けてスイッチをつけたり消したりすれば多分何かの情報が送れるのだと思う。プロトコルとやらを決めておけば相手に何かが通じたり、あるいは通じずに誤解したりするのだろう。 ただこの通信やら情報やらはちょっと上等な気がする。 そうではなくもっと前の状態、懐中電灯の明かりが届いた瞬間のことを考える。 明かりが届いたとき、あるいは明かりが届いたことを知ったとき、その明かりがなんらかのシグナル(信号)を持っていなくとも、場合によっては送受信者に伝わることがある。 それはたとえば送受信者が「知らないことがあるのを知らない」状態から「知らないことがあったことを知った」状態に遷移するという類のことだ。 言葉を変えれば《無知》から《未知》に変わるということだと思う。そして無知というのが静止した状態だとすれば、未知というの
そういう女子の少ない学校に入ったから貴重な青春が……とかいうやついるけどさ、そういうやつは共学でも夢見ているような青春は送れないんだよ。中学を思い出せよお前、といつも思う。 高専は学校としてみればいいよ。自由の代わりに、ある程度は自分で判断してけつを決めなきゃずるずると落ちる場所だし、合う合わないが激しいから合わなかった場合悲惨だけど。合えば楽しいところ。まあ進学増加中でどうかとも思うけど、大学と高専で給料の差をつけられたら(仕事同じで)そら皆大学いくわ、て感じ。仕事に関しても、高専だとよっぽどでなければ開発・研究にはいけないし、それらを志すなら進学しなきゃならない。でも研究の一端に触れて自分の進路を考えられるというのはとてもいいよ。成績よくても「研究は合ってない。極めようと思わない」と就職する人もいるし。廃止論もあるようだけど、中学卒業の時点で分岐するルートがあってもいいと思う。大体学費
んー。 どっちの気持ちもわからんでもないけどさ。 そう白か黒かな結論を出さなくてもいいんじゃないかい? ヤクザやカルト宗教と、名前がちょっと変なんてレベルじゃあまりに程度が違いすぎるっしょ。 「子に全く友達の事で干渉しないのか、するのか」なんて白か黒か、なんて話じゃないっしょ、こういうのは。子育てってのはさ。 要するにさ。「名前が変」とかそんな程度で、「児童虐待するような人たち」くらいに妄想を深めちゃってる。でもさ。そんな程度のリスクっつーのかな、そんなのはゴロゴロ転がってるわけで、ヤクザやカルト宗教を避けるってんならまだしも、そんな程度のレベルでいちいち避けていたらそれこそ、家から外に出せやしない。そのくらいで子を守るのは最早過剰なレベルなんでないか、って話だと、俺は思ったんだが。そんなレベルで守っていたら、それこそ子がダメになっちまわないか?差別心が育ち、他人を見下す子になるし、そんな
これだけ世の中が腐女子腐女子と言っているのに、腐女子の代表格とも言うべきカリスマ腐女子の人が出てこないのは不思議だ。腐女子であることが当然であるBL漫画家やBL作家を除いて、純粋に腐女子であることをアイデンティティとして出てきた有名人がいない。オタクなら中川翔子がいるけど、あれは腐女子じゃなさそうだし。喜屋武ちあきも腐女子内では黙殺されてるっぽいし。三浦しをんがギリギリそうなのかな。カリスマ腐女子ネット有名人とかもいないよな。オタク界でいうところのゴルカムさんとか、かーずさんみたいな。 というようなことを腐女子の彼女に聞いてみたら、腐女子が表に「出てくる」ということじたいが禁忌なので、そんな身内を売るような人がカリスマ扱いされるわけがないんだそうです。有名な腐女子系サイトもあるにはあるが、そういうサイトさんは管理人さんがあまり表に出てこないようにしていると。 そもそも腐女子界のカリスマとは
横の席が小学校低学年くらいの男子とそのお母さんの二人連れで、それはどうでもいいんだけど、その子供がずっとDS触ってる。お母さんガン無視。お母さんが買ってきてくれたチキンフィレオセット(全く同じものを私も食べていたので覚えている)もガン無視。ひたすらポテト掴んで口に入れて、手を服で拭いて、DSピコピコ。お母さんは慣れているのか躾ける気がないのか何も言わない。男の子はゲーム機から全く眼を離さない。 なんて躾がなってないガキだろう。死んでしまえ。 と思って同席していた友人を見たら、微妙な顔をして「同じこと思った気がする」と言われた。ちょっと救われた。 逆隣の席には幸せいっぱいな家族が座っていて、そっちを眺めることで癒された。 ああいうガキがいずれ同席している人間がいても平気で携帯をいじり続けるような不愉快な大人になるのだろう。その時私は結構な年寄りで、最近の若い者は。。とでも言うのだろうか。あの
私は国立大学を出て上場企業の人事部で働いていますが、高卒だからといって馬鹿にしたり見下すことはしていません。 人の才能は文部科学省の教育機関によって査定されるものではありません。 しかしながら、日本の古い体質の中にはやはり「学歴社会」の名残があるのも事実です。 行政機関などは特にそうですが、民間企業でも財閥系の企業になると才能をなかなか認めてもらえないなどの不利を蒙ることも屡あります。 逆にクリエイティブな世界においては学歴など関係なく、アクティブに評価されることがほとんどです。 学歴だけで採用を左右する企業であれば、それは「才能を見抜けないので学歴で落とそう」ということなので 逆にそういう企業は入社するべきではないです。 学歴をコンプレックスに持つのではなく、重要なのは自分を評価してもらえる場所を探すこと、そして、そのための努力を惜しまないことです。
ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…
何かの「良さ」を人に伝えようとするときに、「好き」という言葉を選ぶことが多くなった。もしくは「良いと思う」とかね。 この「良さ」の判断基準は「私」にありますよー、ということを示しておきたいとき、好き、という言葉はとても便利だ。 例えてみる。 「私は焼肉が好き」 これはあなたにとっての焼肉がどうであるかは含まない。私は私の焼肉を好きだ、っていう、それだけ。しかし、 「焼肉は良いものだ」 これだと、私だけでなく、世界にとって焼肉の良さをアピールしているようになる。なりませんか? 少なくとも、「おまえも良いっておもうだろ、な?」というような、迫ってくる感じがある。強い気がする。そこで、 「焼肉は良いものだと(私は)思う」 としてみると、「良さ」は再び私に結びつけられる。 → しかし、そうやって安易に「好き」という言葉を選ぶのは、何か違うような気がしている。言葉の手綱を握っていたい気持ちはあるけれ
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