謎と論文に関するlepantohのブックマーク (6)

  • 男が少女漫画を読むということ。 - Something Orange

    はてな匿名ダイアリーで少女漫画の話が盛り上がっている。 「俺、少女漫画好きだよ」と言う男に、好きな作品や作家を聞いて24年組の名前があがってくるとげんなりする。心底がっかりする。24年組は私も大好きだし、素晴らしい作家さんだと思うけども、臆面も無く萩尾望都・大島弓子の名を挙げる人のほとんどが、それ以外の少女漫画を読んでいないんだもの。それどころか、その24年組作家さんの最近の作品も読んでいない。せめて「バルバラ異界」ぐらい読んでから言ってもらえませんかね。 「少女漫画を理解する心の広い俺」 極論である。 この書き手の経験則としては正しいのかもしれないが、一般論としては、「臆面も無く萩尾望都・大島弓子の名を挙げる人のほとんどが、それ以外の少女漫画を読んでいない」とはとても思えない。 しかし、この意見に対し、id:msknskさんは「最近まで、24年組以降の少女マンガについての評論はあまりに少

    男が少女漫画を読むということ。 - Something Orange
    lepantoh
    lepantoh 2008/12/11
    まったくもって謎。少女漫画を読み24年組を読んで一体何故「男が」「女が」という一般概念に左右されるのだ。/わたしは自称24年組の研究者だが大島理解不能、舞姫大嫌い。女性である事は関係ない。100字では書ききれん
  • 賀茂街道から2: 源氏写本発見というエセ新聞報道に異議あり

    eoblogは 2017年3月31日(金)15:00 をもってサービスを終了いたしました。 長年にわたりご愛顧いただき誠にありがとうございました。

    lepantoh
    lepantoh 2008/11/01
    この人おかしい。責めるなら、大内論文が人の目に触れない状況、教授が意味不明な発表をした事実、千年紀にあわせて話題づくりできない自分。マスコミ叩きに転化すんな。マスコミは文学はいつだって外注。変な期待。
  • 『テレプシコーラ』の千花から連想した『アルゴノオト』の井亀あおい - マダムNの覚書

    Link 山岸凉子『テレプシコーラ』最終回の感想 ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆ 『テレプシコーラ』第1部が完結した。この先、この物語がどのようなふくらみを見せるのか、想像もつかない。山岸凉子は凄い……当に凄い! 同じ作者の同じバレエ漫画であっても、鋭さの中にも少女漫画らしいあまやかさを持った『アラベスク』に比べ、『テレプシコーラ』は現代日を舞台とし、時事的な事柄を随所に織り込み、バレエという華やかな世界の裏舞台を容赦なく曝け出した、息詰るほどにリアリスティックな物語だ。 そうした厳密な物語の構成の中で、コリオグラファー(バレエの振り付け師)としての才能に目覚めていく主人公六花(ゆき)が果たす役割は、とてつもなく大きい。物語の舞台が現実的であればあるほど、六花にそれと拮抗できるくらいの内面性が要求されることになるからだ。 そして周到な山岸凉子は、それだけの内面性を六花に与え

    『テレプシコーラ』の千花から連想した『アルゴノオト』の井亀あおい - マダムNの覚書
  • 永久保陽子『やおい小説論―女性のためのエロス表現』 - Eskandar d’Esfahan

    博士(文学・専修大学)学位請求論文。 やおい小説研究にまがりなりにも入りかけた人間として、やおい小説研究はついに博士号が出るまでになったかという感慨をいだかざるをえない。しかも書は、これまで多々出版されてきた読者と作者をめぐる社会学的分析、クラスタ的分析ではなく、テキスト分析の方法による論文である。これまでの作者・読者をめぐる社会的コンテクストに準じての議論の多くは、当にやおい小説=テクストを読んだのか?という疑問を抱かせるものであったし、読んでいたとしても安直な思いつきじゃないか?と疑わせるような結論に失望せざるをえなかった。そして文学的な視角からはほとんど無視されてきたのがやおい小説であり、やおい小説をめぐる研究は、社会学の独壇場であったといえよう。論文は浅薄な社会批評とは一線を画し、方法としてのテクスト批評にかなり自覚的である。当然、やおいマンガとやおい小説の差異についても考慮

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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  • 竹内一郎サントリー学芸賞受賞問題の〈起源〉・承前 - 宮本大人のミヤモメモ(続)

    『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』は、著者の「あとがき」によれば、「日下(翠)さんの助言と励ましによって成った学位論文を平易に書き改めたもの」であり、「当初のプランから文は約三分の二、図版は約二〇分の一に削ってある」と言われます。そしてその後に竹内氏はこう付け加えています。「だが、研究の精神は削っていない」。 前回のエントリでは、元になった学位論文もまた、博士論文の水準にはほど遠いものであるという前提で話を進めてしまいましたが、もし『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』と元の学位論文の間にかなりの違いがあるとすれば、出版されたヴァージョンがいかにひどいものであれ、博士論文の方はそれほどでもなかったのでは、という疑問を持たれた方もおられるのではないかと思います。今回は、その点について検証していきたいと思います。 このを通読して上記の「あとがき」に接したとき、私が抱いた淡い期待は、この

    竹内一郎サントリー学芸賞受賞問題の〈起源〉・承前 - 宮本大人のミヤモメモ(続)
    lepantoh
    lepantoh 2006/11/24
    引用部のひどさには同意しますが、先行研究に触れていない博論を他に知っているので保留です。
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