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もにょもにょに関するlever_buildingのブックマーク (2)

  • 小熊英二さん『<民主>と<愛国>』を語る(下)

    ――小熊英二さん『〈民主〉と〈愛国〉』を語る(下) 度量の広さは大切なこと ■60年安保の全学連と68年の全共闘 ――60年安保闘争の全学連に関する記述は好意的ですね。 ★まあ好意的といってもいいでしょう。ただし、彼らが賢かったとは思いません。冷たい言い方に聞えるかもしれませんが、全共闘運動や60年代の新左翼も含めて、20歳かそこらの人間が上の年代と縁を切って運動をやっても、思想的ないし政治的に賢いものが出てくる確率は少ないと思う。 ただ60年安保闘争の全国民的な――あえてこういう言い方をしますが――盛り上がりをもったときに、全学連主流派はそれなりの役割を果たした。つまり若者の純粋さというか、直情径行な直接行動が、一種の起爆剤の効果をもった。 国会突入を繰り返す全学連主流派のデモを、回りの大人たちは半分あきれて見ていたようですけれど、その純粋さや真摯さに刺激されて、運動が広がっていったわけ

  • 小熊英二さん『<民主>と<愛国>』を語る(上)

    ――小熊英二さん『〈民主〉と〈愛国〉』を語る(上) 『七人の侍』をみて、「これが戦後思想だな」と思った ■「つくる会」に対抗したかった ――小熊さんにこれだけの大著を書かせた動機はなんだったのですか。 ★前著の『<日人>の境界』で戦後沖縄の復帰運動を書いたこととか、いろいろありますけれど、一つには90年代に「新しい歴史教科書をつくる会」が出てきたり、加藤典洋さんの『敗戦後論』をめぐる論争が盛り上がったりしたことです。私にいわせれば、あれは「戦争歴史認識を論じる」というかたちをとって、「戦後という時代をどう考えるか」を論じていたといってよいと思う。「戦争」は「戦後」のネガであるわけですから、「あの戦争をどう位置付けるか」は、「戦後日をどう位置付けるか」とイコールであるわけです。 しかし当時の私の知っている範囲から見ても、議論の前提になっている「戦後」の認識が間違いだらけだということが、

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