ひめゆり学徒隊として沖縄戦に動員され、戦後その悲惨な体験を語り部として伝え続けた宮城喜久子さんが12月31日午前6時16分、卵巣がんのため那覇市内の病院で死去した。86歳。うるま市勝連出身。告別式は4日午後4時から5時、浦添市勢理客、フェニックスホール玉泉院で。喪主は次男淳(じゅん)さん。
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「もう一度、弾の落ちてこない空の下を、大手を振って歩きたい」。1945年6月、沖縄本島の南端、荒崎海岸で沖縄戦の犠牲になったひめゆり学徒隊員の一人が悔しそうに叫んだ言葉だ ▼学徒隊の生き残りで、2014年12月31日に亡くなった宮城喜久子さん=享年86=が戦争体験をつづった『ひめゆりの少女 16歳の戦場』(高文研)に記されている。沖縄戦の実相を伝える語り部だった宮城さんは「あの無念さを忘れてはいけないし、私にとってはそれがすべての原点」と語っていた ▼10年余り前、イラク戦争勃発後に宮城さんを取材した。爆撃で亡くなった学友らの記憶がよみがえると嗚咽(おえつ)し、「痛みが分からない人たちが愚かな戦争を起こしている」と怒った ▼「戦争で犠牲になるのは弱い立場の人」と繰り返すとともに、有事法制成立やイラク派兵などが続き、日本が戦争をできる国になると危惧していた ▼03年1月の本紙インタビューで「
毎年、年の初めに発表される天皇陛下の所感。戦後70年となる今年は、戦争がもたらした多くの犠牲に触れ、「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」と述べられた。 過去にしっかりと向き合い、そこから教訓を学び、2度と悲惨な戦争の当事国とならないよう、この機会にしっかり考えていこうという呼びかけと、私は受け止めた。ただ、新聞によっては、なぜか「歴史を学び」という言葉を見出しから割愛し、「日本のあり方考える機会」(読売)「日本のあり方考えていくこと極めて大切」(産経)としたところもあった。 ふと思い立って、今上陛下が天皇となられて最初に迎えた平成2年(1990)から今年に至る26回の年頭所感をすべて読んでみた。 これまでの26回で「経済」という言葉が15回も使われているのは、意外だった。「厳しい経済状態」を案じ、人々を励ます発言が多い。
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