不妊手術などについて定める「母体保護法」を巡り、健康上の問題や配偶者の同意がなければ不妊手術が受けられないのは憲法違反として、20〜30代の女性5人が国に損害賠償を求めて訴訟を起こし、争っている。原告の訴えに耳を傾け、同法の歴史をたどると、女性の自己決定権がないがしろにされてきた実態が浮かんだ。(太田理英子)
不妊手術などについて定める「母体保護法」を巡り、健康上の問題や配偶者の同意がなければ不妊手術が受けられないのは憲法違反として、20〜30代の女性5人が国に損害賠償を求めて訴訟を起こし、争っている。原告の訴えに耳を傾け、同法の歴史をたどると、女性の自己決定権がないがしろにされてきた実態が浮かんだ。(太田理英子)
「生物学的」な性別であるセックスに対し、社会的・文化的に構築された性別として説明されるジェンダー。しかし、その説明を聞いてもいまひとつピンとこない、という人も多いのではないでしょうか。それは、おそらく多くの人が、「性別」とは生まれつき備わったものだと捉えているからだと考えられます。ではなぜ、そう捉えてしまうのでしょうか。そしてそのことは、私たちの生き方に、どのような影響を及ぼしているのでしょうか。ジェンダー研究を専門とする江原由美子先生にお聞きしました。 ――ご著書『自己決定権とジェンダー』で書かれていた、妊娠して子どもを産むか産まないかという「女性の自己決定権」を、「身体の自己所有」という論理で正当化するのではなく、できる限り社会的文脈の中に戻していくべきだという議論にはすごく納得させられました。私たちは今当たり前のように「自分の身体は自分のものだ」と思っていますけど、この発想はそもそも
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く