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2017年9月9日のブックマーク (2件)

  • 日本人の「競争嫌い」を逆手にとった「ZOZOTOWN」の異色さ | 文春オンライン

    終身雇用、年功序列が実質的に存在し続ける現状は、質的に「競争が嫌い」という日人の特質に根ざしていることを前回書いた。私自身、「毎日が競争」である実力主義の外資系企業での“しんどさ”に嫌気がさして日企業に転職した経験があるが、日人のそうした特質を生かした雇用を戦略的に行い、「競争力」として生かしている企業を紹介しよう。 そもそも日人の「競争嫌い」は昨日や今日始まったものではない。7世紀に成立した日最初の成文法といわれる十七条憲法。その第一条は「和を以て貴しとなす」だ。何よりもまずは“和”だったのである。飛鳥時代から日人は、争うことを忌避してきたのだ。 その後、15世紀に応仁の乱で初めて下剋上が起こり、続く戦国時代は実力主義の争いの時代となるが、それは長い日歴史の中では例外的で、最終的には17世紀に天下統一を成し遂げた徳川支配による平和が300年間続いた。徳川幕府は士農工商と

    日本人の「競争嫌い」を逆手にとった「ZOZOTOWN」の異色さ | 文春オンライン
  • 英国人捕虜、友情の1枚 戦後、福岡の少年と撮影 遺族が手掛かり求め来日 - 西日本新聞

    人の少年(右)と肩を組む英国人のバーソロミュー・ゲイソンさん(遺族提供)写真を見る捕虜収容所跡地周辺を訪ね回るバーバラ・モターショーさん(左)と夫のデニスンさん=6日、福岡市東区写真を見る 捕虜だった英国人兵士と日人少年の2人が仲良く肩を組んだ写真がある。1945年8月の終戦直後、米軍が福岡市内で撮ったとみられ、英国人の遺族が所有。「捕虜だった頃、この少年にとてもお世話になったと聞いた。ぜひ感謝を伝えたい」。名前も分からない日人を捜すため、遺族たちが来日し、支援者たちと一緒に手掛かりを求めて歩き回っている。 英国人は、2004年に81歳で亡くなったバーソロミュー・ゲイソンさん。元英海軍2等水兵で、42年3月、ジャワ島北方のスラバヤ沖海戦で撃沈された重巡洋艦の乗組員だった。 漂流中に日の駆逐艦に救助され、捕虜として日へ。長崎市香焼町にあった福岡捕虜収容所第2分所に入れられ、終戦時

    英国人捕虜、友情の1枚 戦後、福岡の少年と撮影 遺族が手掛かり求め来日 - 西日本新聞