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織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
専攻を頑張っていたけど才能がないとわかった二十歳頃。 家庭を作る能力もなく何も出来るとこがないから奨学金を返済して30歳で死のうと決めた。 就職して働いていれば何かしら励みになることがあるかもしれないという甘い考えもあった。 数十社面接落ちなんとか内定もらって就職後、うつ発病。 なんとかやってきたが休職と復職を重ね仕事も居場所もなくなり退職。 声の大きい人に仕事も注目も集まるのはどこでも変わらないと分かった。 気がつけば29歳になっていた。 このまま生きていくというには何もない。 プログラムもかけないし資格も持っていない(とれなかった)、 新卒時の面接でさえなかなか通らない位コミュニケーション能力に欠けている。 友人とも恥ずかしくて疎遠だ。家庭を作るなんて夢のまた夢。 再就職の面接でも「うつじゃないですよね?うつならどこもはいれませんよ」と。 一方、奨学金はなんとか返済できた。 死ぬ準備は
処女厨についての話し合いは基本的に無駄である。 なぜかというと、「存在しないもの」について語っているからだ。 それこそ、林医師の出番が必要な世界なのである。 現実には厳密な意味で処女厨は存在しない。 厳密な意味とは「処女でなければ人を愛せない」という人のことだ。 そういうことは不可能なのだ。そういう風に装うことができても、だ。 愛してしまった後に、非処女であることがわかって愛を失うなんてのは論外だ。 そんなのは処女厨でも何でもない。最初から相手を愛していなかっただけのヘタレというのだ。 ヘタレごときに、わざわざ「処女厨」などという言葉を与えて議論してやること自体時間の無駄である。 それでもあえてここで取り上げるなら、世間にいる「処女厨もどき」というのは、 現実を知らずにそう思い込んでいるだけのぼうやである。 処女であることに多少高めの「点数」をつけたり、 処女でない人間を「便器」などと呼ぶ
浅野はこの漫画がすごいに選ばれた作者だし世間では人気があるようだ。 mixiなどでも彼が中高生から絶大な支持を受けている様を観察できた。 だが僕は浅野の漫画が大嫌いだった。 自分でもその理由がわからなくてなぜこんなに嫌いなのか不思議だったのだが 先日雑誌で彼の新刊のレビューを読んでその理由がストンとわかった。 その雑誌のレビューには「昔の彼女とヤってしまったような、若者なら誰でも持っている憂鬱さ」 が浅野の漫画に通低してるという趣旨だった。あぁ、僕はこういうファッショナブルな憂鬱さが大嫌いなのだ。 こういう憂鬱さを感じられる若者は彼女をつくることができるという、人格が壊れない程度の安全な範囲で悲劇を消費している。 といっても僕は30で彼女いない暦年齢といった危険な範囲の悲劇を経験しろ、といってるわけではない。 そんな経験ができるのはある意味限られた人間だけだし、不幸なら不幸なほどエラいとい
フィクション内のキャラクターに処女性を求めることと、現実の恋人に求めることはちがうよ、全然ちがうよ、という話。 現実での性について まず前提として、現実的な性についての自分の考えは以下のような感じ。 ・処女、童貞であるかどうかは人間の価値に一切影響しない ・妊娠を回避した、愛情表現・コミュニケーション・快楽を目的とした、互いの合意に基づいたセックスを肯定する*1 ・セックスには「穢れ」「汚れ」「悪」といった意味は付随しない。 現実の女性に対し、処女でないことが何らかの負の意味合いを持つ、という考えは、嫌い。 童貞、素人童貞、非童貞、処女、素人処女、非処女、セックスワーカー、セクシャル・マイノリティ、成人同士の合意に基づく変態さんは、それを理由として差別されず、また貧困や他の理由によって、自由意志に基づかないセックスを強制されない世界になってほしい、と考えています。 ちなみに個人的に交際する
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