と注記しています。 すっきり分けにくい場合も 動詞の下に付けて補助的に使えば漢字の意味が意識されないと考えられるわけですが、形だけでわかるとは限りません。 動詞の下に付いていても 「傘を学校に置いて来てしまった」「子供を家に置いて行く」 などは、「来る」「行く」にも意味があって漢字で書いてもよさそうです。 同じ「しれない」でも 「彼ならあんなことも言うかもしれない」 「あんなことを言う彼の気が知れない」 ――と、後者は漢字で書いてもよさそうです。 「意味が薄れた」かどうかは微妙で難しいものがあります。毎日新聞用語集は「言う」「いう」の書き分けをこのように例示しています。 「大家といえば親も同然」という例が挙がっていますが、「といえば」でも 「気にならないと言えばうそになるが……」 のように使う慣用句では、実際には言わないけれど「口に出して言ってしまうと」という感じなので「言」を使ってよさそ
1970年代から80年代前半にかけて日本のマンガは時代の最先端を突き進んでいた。映画やアニメとは異なる独自の表現が進歩しただけではなく、その内容の多様性においても傑出した作品が続出していた。山岸凉子、竹宮惠子ら「花の24年組」、池田理代子、大友克洋ら。その中でも特に抜きんでた高い嶺が、萩尾望都だ。 長山靖生『萩尾望都がいる』は、同時代の熱気を再現しつつ、ジェンダーやSF、そして親子関係などに新たな観点を切り開いた萩尾の革新性を丁寧に論じている。萩尾が『ポーの一族』などで少年たちを主人公に据えたのは、少年の方が何をしても「自由」が認められるからだという。つまり女性はいちいちその行動に「理由づけ」を読者から求められてしまう。そのような社会的制約から主人公たちを解放するための工夫だった。 萩尾の全作品が、社会の同調圧力からの自由を求める闘いを描いている。主人公たちの闘いはその意味で孤独だ。萩尾の
結論 【結論:誤り】 英国において、国葬の際に国会の議決が必要とされているのは、君主以外の者の国葬が行われる場合であり、君主の国葬が行われる場合ではない。実際に英国議会に確認したところ、エリザベス女王の国葬について国会の議決や動議がなされた事実は存在しない、との回答であった。 石破茂元幹事長の発言 自民党の石破元幹事長の発言は、安倍元首相の国葬を決めた手続きに異論を述べる中でなされたものだ。 朝日新聞(参照)などが報じ、SNS上でも、安倍元首相の国葬の決定に国会の関与がないことを批判する文脈で拡散している。 では、石破元幹事長の発言どおり、エリザベス女王の国葬について、英国議会での議決はとられたのだろうか。 「君主」の国葬に議会の決議は不要 英国での国葬に関しては、2013年に「House of Commons library」(英国庶民院図書館)が、過去の事例を基に国葬を行う手続きをまと
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く