2009年9月2日のブックマーク (3件)

  • 竹熊君、“紙”はもう、ダメだよ…(前編): たけくまメモ

    須賀原洋行氏との“論争”ですが、須賀原氏の最後のエントリでは、お互い言いたいことは言い尽くした感があるので、これでいったん打ち止めにしましょうとのご提案がなされました。自分も賛成です。 http://uaa-nikki.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-fd59.html ↑竹熊さんから反論をいただいた 派手なバトルを期待していた人がいるとすれば残念でしたが、自分ははじめから事を荒立てるつもりはなく、ただ自分の主張がどうもご理解いただけないので(そして、そういう方は他にも多いと思われるので)、須賀原氏に対する返答という形で、他の人も読むことを想定しながら、日頃の主張を再度説明したものです。 ただしこの問題、現時点ではいくつかの予兆的事実に基づく「未来予測」に類するものであることは確かです。同じ事実をもとにしても、解釈の幅が相当に広く存在するので、自分が

    llill
    llill 2009/09/02
    炭鉱のカナリア
  • 法律よりも強い強制力:Geekなぺーじ

    昨日「ネットでは「誰もが有名人」である」という記事を書いたのですが、その後さらに色々と考えました。 私が書いた「各自が自発的にネット上での発言内容に注意すべき」という話は突き詰めて行くと、見えない圧力によって法律の枠を超えた恐ろしく強い強制力が働く社会が出来上がってしまうのではないかと思いました。 以下、私の妄想の中身です。 誰もが「有名税」の束縛を受ける世界 有名人と言えば有名税という束縛があります。 何かをすると非常に注目を集めてしまい、行動も通常の人よりも慎重に行わなければなりません。 例えば、未成年アイドルなど芸能人は喫煙や飲酒が全国的なニュースになってしまいます。 未成年の喫煙や飲酒が良い事だとは言えませんが、日全国(もしくはインターネットを介して世界中)に対して晒されるほどの犯罪行為かと問われれば、そこまでの罪でも無い気がします。 街を歩いていれば制服姿で喫煙している人を目に

  • ネット上では「誰も有名人である必要はない」: 不倒城

    まあ理想論なんだろうけど。 ネットでは「誰もが有名人」である 先日、Twitter上で有名人 vs 自称非有名人という構図のバトルが発生しました。自称非有名人であるユーザが有名人に対して批判的な意見を「個人的なつぶやき」としてTwitterに書き込んだ事が発端でした。この批判的な意見は有名人に届き、有名人はTwitterで反論を行いました。 反論された自称非有名人は「テレビに出てる人に文句言ってる感覚」という感想とともに謝罪を行いつつ、有名人が反論するのは「大人げない」と不満をTwitterやブログに書き込みました。それらの推移を多くのネットユーザが見つつ、様々な意見が様々な人々によって様々な媒体を使ってネット上に吐き出されました。 今回の件のように「引っ張り出される」という状況は、ネットのフラットさが生んだ現象なのかも知れません。現在のWebの世界は善くも悪くもフラットな一面を持っていま

    llill
    llill 2009/09/02
    ステージに上がる自由があってそれがメリットというのは同感。ただ降りる自由はなさげというのがポイントじゃないかな