2017年11月15日のブックマーク (4件)

  • 元赤軍派議長・塩見孝也さん死去 獄中生活後に評論活動:朝日新聞デジタル

    元赤軍派議長で評論活動もしていた塩見孝也(しおみ・たかや)さんが14日、心不全のため東京都小平市の病院で亡くなった。76歳だった。葬儀は近親者で行う。 京大在学中に活動家となり、武装闘争を主張して1969年に赤軍派を結成して議長に就任。「よど号」ハイジャック事件(70年)など一連の赤軍派事件を首謀したとして、懲役18年の実刑判決を受けて東京・府中刑務所で獄中生活を送った。出所後、赤軍派時代の自らの武装闘争路線は誤りだったと総括。都内の市営駐車場に勤める傍ら時代を振り返るトークショーなどに出演した。2010年には生前葬を営んで話題になった。15年4月には東京都清瀬市議選に無所属で立候補し、落選した。

    元赤軍派議長・塩見孝也さん死去 獄中生活後に評論活動:朝日新聞デジタル
    locust0138
    locust0138 2017/11/15
    むしろこの昭和の遺物がまだ生きていたことに驚いた
  • 山尾志桜里衆院議員が倉持弁護士と1泊2日の大阪出張 | 文春オンライン

    山尾志桜里衆院議員(43)、倉持麟太郎弁護士(34)の2人が1泊2日で大阪出張していたことが「週刊文春」の取材によって明らかになった。 11月12日、2人は、彼らの後見役を自任する漫画家・小林よしのり氏が主催する言論イベント「関西ゴー宣道場」に参加。イベントでは、倉持氏が「日で最も有名な弁護士です」と紹介され山尾氏が爆笑するなど、終始、和気藹々とした雰囲気だった。 左:イベント終了後の山尾氏と小林氏/右:イベント会場に到着した倉持氏 ©文藝春秋 山尾氏は11月7日に倉持氏を政策顧問として起用することを発表。今回の大阪出張は、2人の動向に注目が集まっている矢先のことだった。 大阪でのイベントが終了後の午後6時頃、2人は別々に会場を離れた。「週刊文春」取材班は、翌朝の新大阪駅で時間差で帰京する2人の姿を確認している。 直撃に山尾氏は…… ©文藝春秋 山尾氏の事務所は、大阪出張について、次のよ

    山尾志桜里衆院議員が倉持弁護士と1泊2日の大阪出張 | 文春オンライン
    locust0138
    locust0138 2017/11/15
    これだけでは弱いだろう。まだ何かネタを隠しているのかも知れないが。/小林よしりんは小保方晴子も擁護していた。逆張りと「男たるもの若い女を守らねばならぬ」みたいなおっさんマッチョ主義だろうな。
  • サービス終了のお知らせ

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    locust0138 2017/11/15
    良記事。/母乳至上主義は「ミルクのない時代に育児した姑などの高齢者の迷信」と「天然嗜好、人工忌避の擬似科学」と「女は妊娠・出産・育児で苦労して初めて一人前、みたいなマッチョ主義」の側面があると思う。
  • 川中島の戦いでの協力依頼する上杉謙信の書状 | NHKニュース

    戦国武将上杉謙信が「川中島の戦い」に関連して現在の茨城県にあたる常陸の佐竹家に送った書状が新潟市で保管されていたことがわかりました。書状は川中島の戦いに向けて協力を依頼する内容で専門家は「当時の上杉謙信の戦術がわかる外交文書の原と見られ価値が高い」と話しています。 書状では川中島の戦いに向けて覚悟を述べたうえで当時、武田信玄と同盟関係にあった小田原城の北条氏康の動きを抑えるよう依頼しています。書状には上杉謙信を意味する「輝虎」と記されています。 この書状の調査をしている上越市公文書センターの福原圭一上席学芸員は「この書状の原は明治時代ごろまでは佐竹家に伝わっていたが、その後行方がわからなくなっていた。今回みつかった書状には戦国時代に上杉謙信自身が使っていた花押が押されており保存状態も非常によく驚いた。当時の上杉謙信の戦術がわかる外交文書の原と見られ、歴史的な価値が高い」と話しています

    川中島の戦いでの協力依頼する上杉謙信の書状 | NHKニュース
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    locust0138 2017/11/15
    遠交近攻