仮に、今そういう差別が見られない、考え付きもしないという人が多数派だとしたら、それはかつてあったその抑圧に対して多くの人々が少しでも一歩でもと、圧力と屈辱の中で戦い続けて来た結果である。 私の子供のころはむろん、社会に出たころの企業社会においても「おーい、お茶」と呼びつける権限をもっているのは男だけであり、それに「はーい」と応じるのは女だけだった。もちろん、世の中は少しずつ進んでいたから、都会や田舎でも私の知らないところにそうではないところも出てきてはいただろう。しかし、私の知る限り、家族、親戚、近所、職場、その他すべてのコミュニティにおいて「そこに女性がいるところで」自らお茶を淹れる男性は皆無であり、男性を呼びつけてお茶を淹れさせる女性も皆無だった。お茶を淹れる仕事は最初から女性に割り振られていた。 この30年で大きな変化があったのは事実であろう。私の周りにも今はお茶を淹れることに男も女