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  • 船の科学館展望台から 2 - 都市徘徊blog

    東京新旧写真比較(1994/2010) No.053 船の科学館展望台から 2 船の科学館展望台から フジテレビ方面 所在地:品川区東八潮3-1 Photo 1994.6.11(マウスオフ) Photo 2010.3.10(マウスオン) (画像にポインターを重ねると画像が切り替わります。) 1994年の写真で、4のクレーンが立つのはフジテレビ社屋の建設現場。台場界隈にはまだオフィスも商業施設も全くない。当時、ゆりかもめの建設が大詰めの時期だったが、船の科学館駅にはまだ駅舎へ上る階段ができていなかった。 諸々の施設の完成年等は以下。各項のリンク先はWikipediaの記事。 首都高速湾岸線 臨海副都心付近は1984.12開通 台場フロンティアビル 1995.10竣工 ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線 1995.11開通 有明清掃工場 1995.12完成 テレポートブリッジ 1996完成 シン

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    lonelyman 2015/03/26
  • 赤城神社 - 都市徘徊blog

    以前の赤城神社 拝殿 所在地:新宿区赤城元町16 建設年:1959(昭和34) 構造・階数:RC・1F 備考 :2008年解体 Photo 2008.3.15 赤城神社は鎌倉時代創建の古い歴史を持つ神社。江戸時代末期に壮麗な社殿が造られたそうだが、戦災で焼失してしまい、戦後の1951(昭和26)に殿を再建し、更に1959(昭和34)に写真の拝殿などを再建したという。 境内で幼稚園経営をしていたが、拝殿その他の建物の老朽化と収入確保のため、新しい社殿の建設と、RC造の共同住宅(6F・B1F)の建設が行われた。 現在の赤城神社 拝殿 所在地:新宿区赤城元町16 建設年:2010(平成22) デザイン監修:隈研吾 構造・階数:S・1F Web Site:赤城神社 Web Site、Wikipedia Photo 2011.6.30 新しい拝殿は素木の開放的な造り。屋根は瓦ではなく、金属板で葺い

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    lonelyman 2015/02/17
  • 丸子橋 - 都市徘徊blog

    あちこちに寄り道して16時頃にたどりついたら超逆光だった。。。 丸子橋   Wikipedia 所在地:大田区田園調布町・川崎市中原区上丸子八幡町 建設年:2000(平成12)年 Photo 2014.9.28 多摩川の丸子橋は2000年に架け替えられている。新幹線に乗っていると、東京都に入る時に進行方向左手に見える印象的な橋だ。 1935年に架けられた初代の橋は、一部が御茶の水の聖橋に似た上路式アーチ橋だった。この時代の丸子橋も好きだったのだが、近くで写真を撮らぬうちに架け替えられてしまった。 丸子橋詰めで護岸の土手から川岸へ下る階段 段数 :最大38段(上端部・下端部の位置が場所によって異なる) Photo 2014.9.28 階段でもあり、ベンチや腰掛け的なものでもある護岸。 ひなたぼっこして寝てる人あり、ノートパソコンで文章をパコパコ打ってる人あり、ぼんやり水面を眺める人あり。

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    lonelyman 2014/12/28
  • 特殊な抜け道2 - 都市徘徊blog

    とりあげたものかどうか、迷う場所。つづき 所在地:新宿区 Photo 2014.7.1 で、2Fデッキ上に建つ建物の隙間を抜けると、まだ先がある。。どちらかというと問題はこの先。 段数 :上段部 29段(下から・13・15・1段) ようやく、デッキ上に建つ2階建てアパートの1Fに到着。いやはや、なかなか大変な場所にあるアパートだ。。アパートの2Fへは奥の階段を上って2F外廊下へ。 アパートの2F外廊下に上ると、そこから崖上へ上る階段が。つまり高台側からもアクセスできるようになっている。 ただ、すぐそばに坂道もあるので、このルートは通り抜けをするために造られたわけではないはず。 上りきった場所からの見下ろし。 地元の方は日常生活の一部として通り抜けたりしているようだ。 「ここ抜けられますか?」と、地元の人に尋ねたとき、「階段を上がっていけば抜けられるよ、地元の人は使ってるよ」と言われたことも

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    lonelyman 2014/10/08
  • 特殊な抜け道1 - 都市徘徊blog

    とりあげたものかどうか、迷う場所。 所在地:新宿区 段数 :下段部 32段(下から2・13・15・2段) Photo 2014.7.1 斜面から張り出したデッキの上に2階建てアパートが建っている。 デッキには鉄製の階段を上って行く。一段階上ると、2Fフロアーの中間デッキに到達。更にもう一段階上るとアパートの1Fに至る。 右:2Fフロアの中間デッキからアパート1Fデッキへ至る鉄製階段。手摺が一部壊れている。 左:道路沿いの建物の3Fへ上る外階段。 アパートが建つデッキの下には半地下の別の部屋も。。 前写真の階段の途中からの見下ろし。 2F建てアパートが建つデッキの下にはピロティ状のフロアがあって、そこへ直接上る鉄製の細い階段もある。 なんだかかなり複雑で、クラクラしてくる。 鉄製の階段を上ってアパートが建っているデッキに到達。 振り返って見下ろす。 右側の階段は、右上の建物の3Fへ至る外階段

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    lonelyman 2014/10/06
  • 慶応大学 図書館旧館 - 都市徘徊blog

    慶応義塾大学 図書館旧館 玄関内部 所在地:港区三田2-15   Google Map 構造 :煉瓦・石造 階数 :3F・B3F、塔の部分は4F、書庫は6F 建設年:1912(大正元) 設計 :曽禰中條建築事務所 備考 :国重要文化財 Photo 2013.1.18 震災と戦災で被災したというが、戦後、復旧されて現在に至る。赤絨毯が敷かれた玄関室も良い感じ。キャンパスが開いている時なら、階段室の手前までなら入って見ることができる。 階段室のステンドグラス Photo 2013.1.18 階段室にある「ペンは剣よりも強し」を表すステンドグラス。馬を下りた武将が下方に描かれ、ペンを手にした自由の女神を見上げているようなのが印象的。女神には後光も射している。ただ見ようによっては、西洋文明が進んでいて、日文化が劣ってるという感じに見えなくもないし、西欧文明的な聖人と野蛮な日武士という構図にも見

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    lonelyman 2013/04/01
  • 慶応大学南校舎 - 都市徘徊blog

    慶応大学南校舎 所在地:港区三田2-15   Google Map 竣工年:2011(平成23) 構造 :RC・SRC・S 階数 :7F・B1F・R1F 備考 :慶應義塾大学 南校舎|日建設計 Photo 2013.1.18 新校舎ができてからもう一年になるそうだ。中央部を階段でくぐり抜けてキャンパス中庭に至る構造は、昔と同様で変わっていない。 階段上部の空きが大きくなったので、中庭と正門の間のつながり感は前よりある。ただ、トンネル状になって違う空間にたどりつく感じや中庭側の囲まれ感は、前よりわずかに薄くなったかもしれない。 Photo 2013.1.18 あたりまえだが、今の校舎は真新しくてきれいだ。 Photo 2013.1.18 大きな階段はキャンパスへの入口を意識させるものになっている。 下写真は昔の校舎の様子。 建て替え前の旧南校舎 建設年:1959(昭和34) 構造・階数:RC

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    lonelyman 2013/03/30
  • 日比谷三井ビル - 都市徘徊blog

    日比谷三井ビル 所在地:千代田区有楽町1-1 建設年:1960(昭和35) 構造 :SRC 階数 :9F、B5F 2011年解体 Photo 2010.9.15 モダンな大規模オフィスビル。 こういう建物ってむずかしい。様式建築的な装飾が全くないので、建築にさほど関心のない人にどう説明したものか困る。ネガティブに言えば、なんの変哲もない、退屈なビルだ。無機質で冷たい印象とか、機能優先とかいうことになる。 でもそれらの言葉を全てひっくり返しに言うと、良い方にも言える。一見、地味だが、派手に装飾されておらず、街並みに調和した、洗練されたモダンデザイン。冗長でなくクールで合理的な建物。 建物を見るとき、多くの人は目立つ装飾などに目が行きがちで、この手の渋いデザインにはあまり目を向けない。かくいう私も、この建物のディテールなどは結局撮らなかった。建築設計をやっている人なら、ディテールの収まりとか、

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    lonelyman 2013/03/16
  • 慶応大学病院別館 - 都市徘徊blog

    慶応大学病院別館 所在地:新宿区大京町30 建設年:1932(昭和7) 構造・階数:RC・3F(一部4Fに増築) 備考 :2009 解体 Photo 2006.2.19(記事内の写真全て) 見に行こうと思えばいつでも見ることができたのに、結局いちどだけ外から見て、それきりになってしまった建物。Eの字型になった建物で、3F建て(一部4F)だったが、正面約70m、奥行き約65mと比較的規模の大きい建物だった。 信濃町の駅から線路沿いに西へ行き、慶応大学病院の西側の裏に回り込むと、3棟の近代建築が並んでいた。別館はその中で最も南側、中央線の近くに建っていた建物。この北側には北里記念医学図書館と、予防医学校舎がまだ残されている。 建物正面中央の玄関部分 昭和初期に完成した建物だが、モダニズム系のデザインと言ってよいのだろうか。外観にはいわゆる様式的な装飾がない。後年の改築で窓はアルミサッシに替え

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    lonelyman 2011/05/06
  • 有楽町駅前 - 都市徘徊blog

    東京新旧写真比較(2001/2009) No.43、No.44 千代田区有楽町 東京交通会館2Fデッキから JR有楽町駅 東口駅前 Photo 2001.9.16(マウスオフ) Photo 2009.1.18(マウスオン) 有楽町駅前の風景は、有楽町イトシアができて大きく変化した。 有楽町駅前には闇市の名残とおぼしき一角がずっと残っていた。2〜3F建て程度の小規模な建物が建ち並び、堂や喫茶店などが軒を連ねており、庶民的な駅前飲街となっていた。JR有楽町駅は駅ビルや駅前広場がなく、いつも雑然としていたが、有楽町イトシアの建設に伴い駅前空間は一変した。 駅の南側でガードをくぐっていた道が廃止され、駅東南側に大きな広場が現れ、地下の入口も一新された。自由に歩ける歩行者空間が駅前にできたため、雑然とした少し薄暗い印象が消え、賑わいはあるがきれいで穏やかな空間になった。有楽町駅はだいぶん前から車

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    lonelyman 2010/06/10
  • 学習院大学 ピラミッド校舎 1 - 都市徘徊blog

    半世紀近くにわたり、学習院の一つのシンボルでもあった異形の教室建物。 学習院大学 中央教室・ピラミッド校舎  左奥東2号館、右)南1号館 所在地:豊島区目白1-5 建設年:1960(昭和35) 構造・階数:RC・1F 設計 :前川國男 備考 :2008年解体 Photo 2008.1.13 学習院大学のキャンパスは奥の方に校舎群がある。だから目白駅のそばにある門からは校舎の様子をあまり見ることができない。 十数年前は、学習院も比較的自由にキャンパス内に入ることができた。学生時代、友人とキャンパスの奥の方にまで入り込んで、ピラミッド校舎を見た記憶もある。写真を撮らなかったのでおぼろげに記憶していたそのピラミッド校舎は2008年に解体された。 解体直前に見学会があったのでその際の写真を少し。撮ってからすぐに出せば良かったのだが、写真の整理を怠っている内に2年も経ってしまった・・・。 もちろんエ

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    lonelyman 2010/05/22
  • 慶応大学 三田キャンパス 南校舎 - 都市徘徊blog

    慶応大学 三田キャンパス 南校舎 所在地:港区三田2-15 建設年:1959(昭和34) 構造・階数:RC・5F・B1F 解体年:2009年 Photo 2005.10.02 創立100年記念建設事業の一つとして、西校舎と同時期に建設された建物だったが、創立150年記念事業によって建て替えられることになった(未来先導館(仮称)を含む南校舎建て替え)。 横長でプロポーションが良く、モダンな校舎。ルーバーが反復する立面、斜面に差し掛けられてピロティやバルコニーを持つスタイルは、いかにもモダニズム建築という感じ。正門を入った後、校舎をくぐりつつ階段上ると、丘の上のキャンパス中庭にたどり着くという空間体験もとても魅力的だった。 新校舎はRC・7F・B1F。2009年12月に地鎮祭が行われ、現在建設中で、2011年3月に竣工の予定。教室や設備が充実するようだが、教室数が倍増する訳ではなく、36室(2

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    lonelyman 2010/03/14
  • 写真と人物 - 都市徘徊blog

    階段写真を撮るときに考えること。 もう2年ぐらい経ってしまって、かなり前の事になるが、忘れないように書き記しておこうと思う。 タモリ倶楽部のロケの合間に、タモリさんと個人的にお話することができた。それだけで当に光栄なことなのだが、そこで坂道写真について興味深いお話を伺うことができた。 何気なく、今でも坂道写真を撮りに行かれるんですか?とお聞きしたところ、今でも夏場のお休みの日の午前中などに一人で行かれるとのこと。超有名人なのにフットワーク軽いんだなぁ。最近は次々と周りの建物の様子が変わってしまうので、昔行った坂道を改めて訪れたりもするとのこと。こういう話は、結構あちこちを歩いて撮り歩いている方ならではの発言だ。しかも、思い通りの写真を撮るのはなかなか難しいと仰る。 そして「人や車が写るのはキライ」と妙にハッキリと仰ったのが印象的だった。モノとして坂道の写真を撮りたいので、人が写るのはイヤ

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    lonelyman 2010/03/14
  • 朝日生命ビル その1 - 都市徘徊blog

    東京新旧写真比較(2001/2008) No.35 新宿区西新宿 Photo 2001.10.21(ノーマル時)、Photo 2008.12.23(マウスオン) 朝日生命ビル(左) 所在地:新宿区西新宿1-7-3 建設年:1963(昭和38) 構造・階数:SRC・9F? 解体年:2006(平成18) モード学園コクーンタワー低層部(左) 建設年:2008(平成20)末 朝日生命ビルは全景を撮らずじまいになってしまった。戦後、昭和30年代〜40年代頃までの中層大規模モダニズム系オフィスビルは、そんなにすぐには無くなったりするとは思っていなかったので、あまり撮りためていなかった。また、近代建築のように、外観に際だった特徴が無いため、なんとなく写欲を掻き立てられなかった、というのもあった。だが、最近はこのてのモダニズムオフィスの解体が相次ぐので、俄然、気になりだしている。 モード学園コクーンタワ

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    lonelyman 2009/04/29
  • 回る展望台・回るレストラン - 都市徘徊blog

    前回、ラシントンパレスで、回るレストランについて触れたので、ついでに回るレストランや回る展望台について、少し調べてみた。 昭和40年代頃は、回るレストランとか展望台というのが流行った時期のように思う。私の田舎には無かったが、東京には回るレストランや展望台がある。有名なのは、ホテルニューオータニ館と、有楽町の東京交通会館の二つで、これらは現役。 ニューオータニの回転台は、戦艦大和の砲塔の仕組みを利用したという話を聞いたことがあるが、ホテルのHPにもそれは記載されていた。小学生の頃、父と「はとバス」で東京見物をしたことがあり、その際、ニューオータニのラウンジでお茶をした。当時はまだ周辺に高いビルがなく、遠くの方まで見渡すことができた記憶がある。・ホテルニューオータニ館(千代田区紀尾井町・1964竣工) 17F「VIEW & DINING THE Sky」 ・東京交通会館(千代田区有楽町・1

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    lonelyman 2009/01/28
  • 中銀カプセルタワービル - 都市徘徊blog

    既に文化財級ではないかと思われるこの建物も、老朽化等の問題のために解体されようとしている。 中銀カプセルタワービル 所在地:中央区 銀座8-16 構造 :SRC・一部S 階数 :11F・一部13F 建設年:1972(昭和47) 設計 :黒川紀章 Photo 2008.7.22 建物の老朽化とアスベスト問題、改修にかかる費用の面から、解体、建て替えが決まったのだという。(注1) もともとかなりアクの強い建物なので、住むためにはそれなりの覚悟が必要だと思う。だから、てっきり入居者はこの建物を愛して止まない人たちなのだろうと、私などは思っていた。その意味では、意外に大人の対応?がなされたのにはちょっと驚いた。しかしこの建物の部屋を所有している人、住んでいる人の中に、投資目的の人は少ないのではなかろうか。そう考えると、やはりぎりぎりの線だったのかなぁとも思う。 確かにアスベスト問題は、住人にとって

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    lonelyman 2008/12/27
  • 広尾食品デパート - 都市徘徊blog

    広尾品デパート 所在地:渋谷区広尾5-17 構造・階数:木2 Photo 1995.5.27 広尾の商店街を西へ向かい、突き当たりの一つ手前の道を左折して南下すると、右側にあった料品店。店内は西側へ通り抜け可能になっていて、八百屋さんや、肉屋さん、魚屋さんが建物内にあった。 1階は間口一杯に開口していて柱だけだが、2階は縦長の窓が開けられ、頂部は三角形で洋風。両側にダクトが煙突状に突き出しているのが面白い。 95年当時は結構賑わっていたのだが、いつのまにかビルに建て替わっていた。周辺住民が減ったり、店主が高齢化したりといった理由なのだろうか。この手の個人経営の店が集合して入居するマーケット型の店舗も都心では急速に減っている。 Photo 1995.5.27 結構間口が広い洋風看板建築といった趣。拙ブログでも、中野区の上高田マーケットや、南長崎の山政マーケットなどを載せたことがあるが、建

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    lonelyman 2008/09/20
  • 新宿松竹会館 - 都市徘徊blog

    新宿松竹会館 所在地:新宿区新宿3-15-15 建設年:1958(昭和33) 2006年5月に閉館・解体。 Photo 1996.11.10(ノーマル時) 新宿ピカデリー建設中の様子 Photo 2008.1.20(マウスオン) 新宿ピカデリー 構造・階数:S・11F 2008年7月オープン Photo 2008.8.11(Click) 記憶があまりはっきりしないが、新宿松竹会館は4つのスクリーンがあり、ファストフードなどのショップも入居していた大型建物だった。ここで映画を観たのは数回。釣りバカとか文芸系の映画を見たことがある。内部に入ってしまえば何のことはない普通の映画館だった。 調べてみると、最大のスクリーンはかなり大きく820席、一方最小は44席という小ささだったという。 ただ私は、歌舞伎町の側からこの建物を見たときのこの無骨な外観(特に上部)がずっと気になっていた。建物の足下を歩い

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    lonelyman 2008/08/14
  • 渋谷・マークシティ2 - 都市徘徊blog

    地形に依拠する建築的階段 所在地:渋谷区道玄坂1-12 Photo 2008.2.22 この階段は渋谷マークシティ南側に接する道路沿いにある。階段自体はマークシティの敷地内で、つまり公開空地内のものだ。道路の方には歩道はなく、路側帯があるのみ。 マークシティ建設以前、ここがどうなっていたかはよく知らない。昔の住宅地図を見ると、井の頭線の車庫の脇だったようだが、階段の有無は不明。現在の階段はマークシティ建設時に外構として造られたものである。建物付属の階段なので、きちんと計画されているのだが、地形とも関連があるので、屋内階段のようなわけにはいかない。数段上っては平らになり、また数段上る、というように断続的に続く長い階段になっている。マークシティのメイン階段ではもちろん無く、南側エリアへの地域貢献という位置づけなので、階段沿いに店舗が建ち並ぶこともなく、建物の白い壁が延々と続く。しかもあまり幅は

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    lonelyman 2008/03/15
  • 桂屋旅館 - 都市徘徊blog

    タカシマヤタイムズスクエアそばの旅館は昨年取り壊されたようだ。 桂屋旅館 所在地:新宿区新宿4-1-8 構造・階数:木2 備考 :2007年に解体 Photo 1996.12.9 屋根上に高く組まれた鉄骨組広告塔が取り付けられ「桂屋旅館」という赤いネオンサインが妙に目立って異彩を放っていた。昼間はまわりの派手でキラキラした建物の中で木造二階の建物は埋もれてしまっているのだが、夕方から夜になると、そこだけ暗く沈み込んで見える一角の中に赤いネオンサインが浮かび上がり、妙に目立つ。タカシマヤからの買い物帰りのカップルなどがたまに気づいて「ねぇあれ何?、なぜこんなところに旅館があるの?、かなり怪しいよね。」と話しているのも時々見掛けた。 Photo 2005.12.24 10年近くが経っても状況はあまり変わっていなかったが、いつのまにか屋根上の広告塔は撤去されていた。その一方で前面の塀の一部が切り

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    lonelyman 2008/03/06