- 人をみて法を説けで、ぼくは十九世紀のロシアに生まれたら、あまり思想の証なんていいたくないんですよ。(中略)しかし、日本では、一般現象として観念にとりつかれる病理と、無思想で大勢順応して暮して、毎日をエンジョイした方が利口だという考え方と、どっちが定着しやすいのか。ぼくははるかにあとの方だと思うんです。だから、思想によって、原理によって生きることの意味をいくら強調してもしすぎることはない。 −−丸山眞男 対談「民主主義の原理を貫ぬくために」、『新日本文学』1965年6月号、152頁。 - 変則的なのですが、千葉の短大で担当する「倫理学」は前期のみ開講科目なのですが、2年生の最終講義日は9月になってからの設定になりますので、本日無事終了。 特に何かという訳ではありませんが、大学で「倫理学」を学ぶとは……そして、これは授業のなかで何度も言及した点ですが……どれだけ「柔軟に発想」できるかという