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ブックマーク / ujikenorio.hatenablog.com (23)

  • 覚え書:「(安全保障を考える)同盟の歴史に学ぶ 東大名誉教授・三谷太一郎さん」、『朝日新聞』2014年06月10日(火)付。 - ujikenorio’s blog

    - (安全保障を考える)同盟の歴史に学ぶ 東大名誉教授・三谷太一郎さん 2014年6月10日 「敗戦直後、日が負けたのは国民の努力が足りなかったからだと言った指導者を、忘れられません」=早坂元興撮影 政治を考えるとき、歴史に学ぶことは欠かせない。近代日は三つの同盟を結んだ。戦前・戦中の日英同盟と日独伊三国同盟。この二つはいずれも戦争の導火線となった。そして、戦後、現在に至る日米同盟といわれる日米安保。これらの歴史から、今日の集団的自衛権論議は何をくみとるべきか。日政治外交史が専門の三谷太一郎東大名誉教授に聞いた。 ――政府与党が集団的自衛権の行使に向けた議論を進めていますが、歴史の文脈の中で、この問題をどうとらえたらよいのでしょうか。 「最初にお話ししたいのは、戦後も68年が経過して、日人の戦争観が、敗戦直後とは大きく変化したということです。憲法9条の前提となっていた日人の戦争

    覚え書:「(安全保障を考える)同盟の歴史に学ぶ 東大名誉教授・三谷太一郎さん」、『朝日新聞』2014年06月10日(火)付。 - ujikenorio’s blog
  • 研究ノート:朝鮮人が来るなら来てみろ(和辻哲郎)、関東大震災下での知識人たちの反応から見えてくる人種主義の原像 - ujikenorio’s blog

    - 酒井 …… 今回、『思想』の関東大震災の特集号を読んで、学ぶところが実に多かった。人文科学系の人は、ほとんど朝鮮人襲撃の話をしています。ということは、ほとんどの人がその風評を聞いて憂慮していたということだと思います。朝鮮人の襲撃は東京の火災から二日ぐらい経ってから拡がってきたようです。ただ野上豊一郎は、震災の直後に、すでに宇都宮でその話を聞いたと言っていますから、すごい勢いで風評が拡がった。和辻哲郎も、この風評を信じてしまったことを正直に書いています。和辻は、この風評にのせられて「朝鮮人が来るなら来てみろ」と準備したと書いている。しかし風評にのせられて行動してしまったということについての自責の念が彼にはなかった。これはいくつかの意味で象徴的です。関東大震災で起こった朝鮮人虐殺は、日の人種主義の原点の一つです。これ以前に日に人種主義がなかったとは思いませんが、その後の日の人種主義の

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  • 日記:中村元先生の「ドイツ語」を介して - ujikenorio’s blog

    - 中村が、一高でペツォルトと出会ったのは、一九三〇年のことだから、ペツォルトが仏教の個人授業を受け始めて十三年経ったころである。ペツォルトの授業は、小学校の教科書をドイツ語に翻訳するという内容だった。その授業の中で、ペツォルトはよく仏教についてドイツ語で語った。 日では漢訳の仏教用語がそのまま用いられて、意味がすぐには読み取りにくい。ところが、ペツォルトがドイツ語で語る仏教用語は、言葉の解釈が施され、意味を理解した上で翻訳されていて分かりやすくなっていた。それによって、中村は、分かりやすい言葉で仏教を語ることの必要性を痛感したといえよう。そして、仏教用語を分かりやすい言葉で説明した『佛教語大辞典』の編纂へとも発展していった。また、仏教を思想としてとらえることも、ペツォルトとのやりとりの中で培われたものといえよう。 日は仏教国といわれるが、公教育の場で仏教について触れることはなく、大学

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  • 覚え書:「ロシア文化人、勇気の異論 ウクライナ紛争の陰で=沼野充義」『朝日新聞』2014年09月23日(火)付。 - ujikenorio’s blog

    - ロシア文化人、勇気の異論 ウクライナ紛争の陰で 寄稿・沼野充義 (写真キャプション)推理作家のアクーニンさん(左)とエリカさん 最近の緊迫したウクライナ情勢については、日でもかなり報道されてきた。しかし、それと並行してロシア国内で進行しているもう一つの憂慮すべき問題については、まだほとんど知られていない。それは、ロシアの対ウクライナ強硬政策に反対の声をあげる心ある少数派が「非国民」呼ばわりされ、攻撃されているという事態である。 ■「敵国のスパイ」と罵倒 「無知の病」と批判した作家 プーチン大統領の支持率は80%以上という異様な高さで、民衆の間には好戦的な気分とウクライナに対する憎悪が広がっている。見逃してはならないのは、その背後に、政府の完全な統制下に置かれたロシアのマスコミによる強力な反ウクライナ宣伝があったということだ。ウクライナでの虐殺映像と偽ってチェチェンやシリアの写真が使

    覚え書:「ロシア文化人、勇気の異論 ウクライナ紛争の陰で=沼野充義」『朝日新聞』2014年09月23日(火)付。 - ujikenorio’s blog
  • 拙文:「書評 『アジア主義 その先の近代へ』 中島岳志著 潮出版社」、『第三文明』9月、第三文明社、2014年、98頁。 - ujikenorio’s blog

    - 書評 『アジア主義 その先の近代へ』 中島岳志著 潮出版社 定価1900円+税 「思想としてのアジア主義」の可能性 アジア主義とは国家を超えたアジアの連帯を模索する戦前日の思想的営みと実践のことだが、日思想史においては、これほど罵倒にみまれた対象は他にはない。なぜなら、連帯と解放というスローガンが、大東亜戦争という最悪の結果を招いたからだ。しかし、日の未来はアジアとの友好的な連帯なくしてあり得ない以上、その思索の軌跡を尋ねることは必要不可欠だ。どのようにアジアを眼差し、何に躓いたのか。その精査によって未来への前進は可能になる。アジア主義の限界と挫折を腑分けし、可能性を掬い上げる書は、その最良の導きになろう。 出発点は西欧列強の帝国主義の「覇道」を打破し、アジアの連帯という「王道」の確立だ。しかし王道を掲げる連帯には、常に日の帝国主義という「覇道」が深く影を落とす。支援は介入と

    拙文:「書評 『アジア主義 その先の近代へ』 中島岳志著 潮出版社」、『第三文明』9月、第三文明社、2014年、98頁。 - ujikenorio’s blog
  • 書評:水島治郎『反転する福祉社会 オランダモデルの光と影』岩波書店、2012年。 - ujikenorio’s blog

    水島治郎『反転する福祉社会 オランダモデルの光と影』岩波書店、読了。働き方と社会福祉に関するオランダの取り組みは、社会的「包摂」の理想とされるが、同時に「移民排除」と「移民統合(同化)」を強固に推進している。書は対極に見える現象の背景に目を向け、社会変容を浮き彫りにする。 書は冒頭で建国以来の伝統(「身軽な国家」と中間団体による扶助)とオランダ型福祉国家の形成を概観する。その上で、「光」(大陸型福祉国家の限界からワセナール協定、そして現在)と「影」(不寛容なリベラルというパラドクス)の経緯を追跡する。 労働や市民生活への積極的参加を要求する「参加型社会」は同時に、参加「見込みの薄い」移民を排除へと動いた。「権利」の前提としての「義務」「責任」の高調がその背景に存在する。勿論、移民・難民排除はオランダだけではない。光と影から何を学ぶのか−−。 注目したいのは「あとがき」。ポスト近代社会と

    書評:水島治郎『反転する福祉社会 オランダモデルの光と影』岩波書店、2012年。 - ujikenorio’s blog
  • 覚え書:「ナショナリズムを考える B・アンダーソンさんに聞く」、『朝日新聞』2012年11月13日(火)付。 - ujikenorio’s blog

    - ナショナリズムを考える B・アンダーソンさんに聞く(ナショナリズム研究の第一人者) 「排外主義や人種差別は、ナショナリズムとは来、別のものなのです」=米ニューヨーク州イサカ、増池宏子氏撮影 ベネディクト・アンダーソンさん 米コーネル大名誉教授、ベネディクト・アンダーソンさん (ナショナリズム研究の第一人者) 急に燃え上がったり、刺激し合ったり、ときに暴走して好戦的になったり。扱いを誤るとたいへんなことになるのがナショナリズムだと思っていた。国民とは「想像の共同体」であると唱えて世に衝撃を与えた、米コーネル大名誉教授のベネディクト・アンダーソンさんに聞いた。私たちは、これをどう扱えばいいのでしょうか。 ■来は社会つなぐ欠かせない接着剤 差別的思想とは別 ――日で、いや中国でも韓国でも近頃、国家の誇りやナショナリズムを強調する言葉が目立ちます。 「確かに、みんな大声を張り上げています

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  • 覚え書:「書評:官僚制としての日本陸軍 [著]北岡伸一 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2012年10月21日(日)付。 - ujikenorio’s blog

    - 官僚制としての日陸軍 [著]北岡伸一 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家) ■明治の政軍関係、解体の過程描く 著者は冒頭で、書が「近代日における政軍関係の特質を、さまざまな角度から明らかにしようとするもの」と語る。日陸軍の誤謬(ごびゅう)を昭和のある時期を起点に明治の建軍期にさかのぼるという手法に対して、著者は「明治国家において確立された政軍関係」がいかに解体されたのかを確認したいとの姿勢を明確にしている。 この論点を浮きぼりにするために、書は序章を含めて5章から構成される。1979年(第3章)、85年(第2章)、91年(第1章)にそれぞれ発表された論文に、今回新しく序章「予備的考察」と第4章「宇垣一成の一五年戦争批判」が書き下ろされた。序章では、明治憲法の不透明さが政治家や軍人によってどのように克服されていたか、なかんずく政党と軍の協調関係が一定のバランスを保っていたこ

    覚え書:「書評:官僚制としての日本陸軍 [著]北岡伸一 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2012年10月21日(日)付。 - ujikenorio’s blog
  • 覚え書:「ひと 『戦争柄の着物』を収集し、研究する=乾淑子さん」、『毎日新聞』2012年11月03日(土)付。 - ujikenorio’s blog

    - ひと 「戦争柄の着物」を収集し、研究する 乾淑子さん(60) 軍艦旗や大砲の間を縫って「占領」の文字が躍る絣(かすり)、満州建国を伝える新聞記事を染めた羽織の裏地−−。戦争をモチーフにした柄の着物を収集・研究して12年。コレクションは500枚を数えた。「これだけの枚数を集めた人も、研究しているのも相当珍しいでしょう」と苦笑いする。 民族芸術研究のため古い布を探していて、ネットオークションで一枚の着物が目に留まった。日の丸を振る唐子人形を御所人形が見下ろす図柄。 「母親の愛情を感じさせる可愛らしい着物」と説明されていたが、明らかに題材は日中戦争。平和な場面と解釈され、それが子どもの着物であることに衝撃を受け、探し続けた。日清、日露、東郷元帥……次々見つかった。 「これだけの史料を放ってはおけない」。私財をつぎ込み、落札した。 軍事史研究家の助言を受け一枚一枚読み解いた。集めた戦争柄の着物

    覚え書:「ひと 『戦争柄の着物』を収集し、研究する=乾淑子さん」、『毎日新聞』2012年11月03日(土)付。 - ujikenorio’s blog
    lotus3000
    lotus3000 2012/11/07
    カジュアルな戦争協力の記録。
  • 個人がなし得ることは小さい。世界全部を変革することを個人は要求されているのではない - ujikenorio’s blog

    - 個人がなし得ることは小さい。世界全部を変革することを個人は要求されているのではない。世界全部を変革するのでなければ思想でないという考え方は、有効性をテコにとって簡単に自分が転向してしまうか、あるいは非常に残虐な思想に向かわせます。 残虐行為をした人もいる。これも昨年だが、私は仁木靖武という人の『戦塵』というを読んだ。私は偶然、ここにそのを一冊もっていますから、欲しいといわれる方は最初の方に差し上げます。(申し出た方にあげました)軽くして京都に帰りたいので……。この人は徳島の生まれです。彼は中国戦線に行ってこの戦争の空気の中で捕虜虐殺をする。そのことをすらっと書いている。ふつう、この虐殺のことを書く人は、自分がすまなかったとか、人道にもとるとか、今の思想に立っていろいろな言い訳を書く、その記憶が何となく、文章として具合が悪くなるんですが……。この人は自分のしたことをすらりと書く。 な

    個人がなし得ることは小さい。世界全部を変革することを個人は要求されているのではない - ujikenorio’s blog
    lotus3000
    lotus3000 2012/11/07
    ”世界全部を変革するのでなければ思想でないという考え方は、有効性をテコにとって簡単に自分が転向してしまうか、あるいは非常に残虐な思想に向かわせます。”
  • iPS細胞に関する「騒動」について - ujikenorio’s blog

    iPS細胞に関する「騒動」については、ほとんど論点が出てきたみたいだけれども、自分自身もそれについて、少しだけ言及しておこうと思う。 まず、最初に渦中の氏自身がトンデモなことをやったことを「スキャンダル」として受容することには関心がない。 私の関心は、彼の「暴挙」がいわば必然だったと思われるからだ。 その「暴挙」を必然させた要因とは何か。はっきり言ってしまえば、この国のアカデミアを巡ると環境とエートスに他ならない。 先に“「スキャンダル」として受容”と言及した。最初に注目されたのは「成功」の発表が事実なのかどうかという点である。それがボロボロとなし崩しになってきた。そうするとメディアは、渦中の人物の身辺動向まで「のぞき見」“趣味”であばき出すことにしのぎを削るようになって来た。 前者は必要だとしても、後者は必要な筈はない。そこで出てきたのが、職歴が転々としたあやしい奴という人物像だ。しかし

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  • 次代を担う子供や青年たちに、どのような価値を引き継がせるのか、それは、本来国家の仕事ではない。 - ujikenorio’s blog

    - 詳しいことは、文にゆずるとして、問われているのは、単に宗教にとどまらず、一つの文化現象を、国家の意志にあわせて都合よく分断し、変形して怪しまれない精神そのものである。教育に対する国家の、過度ともいうべき干渉を例にあげれば、読者もすぐに納得されるであろう。次代を担う子供や青年たちに、どのような価値を引き継がせるのか、それは、来国家の仕事ではない。市民の広範囲なコンセンサスによって決められるべきことであろう。だが、日は、近代以来、道徳的価値にいたるまで、国家が面倒をみてきたのである。そしてそうした国家の関与を当然とする風潮が日には存在したし、今もある。いったい、これはどうしたことなのか。 もちろん、問題は日に限らない。国民の統合を前提とする近代国家は、人々の生活や文化のすみずみにまで関与し、そこに国家の意志を貫徹しようとする。それは、近代国家の宿命なのかもしれない。だが、そうした

    次代を担う子供や青年たちに、どのような価値を引き継がせるのか、それは、本来国家の仕事ではない。 - ujikenorio’s blog
    lotus3000
    lotus3000 2012/10/14
    急速な近代化で様々な知識を権威主義的に注入せざるえなかったため、合意形成のコンセンサスの下手さというツケを支払うことになったのだろうか。
  • 歴史的・政治的現実に規定されているから、つまり、現実に政治が優位してるから、政治が優位すべきであるというんじゃなくて、政治が優位してるからこそ - ujikenorio’s blog

    - 人間の価値とは来的に政治的人間ではない。(中略)〔それゆえ、政治にかかわる決断にさいしての〕価値基準は芸術とか学問とか、つまり政治的以外の価値基準の上に立って政治的選択をして行くという、パラドクシカルなものです。その意味で、政治の優位ってのを認めない。だけど、現実にかかわっている時に、認識として学問や芸術が政治と別に存在していると思うならば、現実にとりこになっている学問や芸術を肯定することになる。それが良識的知識人の盲点だとぼくは思う。つまり、芸術の自立とか文化の自立と言うことを実体化してる、ところがそういうものはないんだよ。そういうものは基的に歴史的・社会的制約をもってるもんだ。芸術とか学問とかいうものは、深く歴史的・政治的現実によって規定されている。歴史的・政治的現実に規定されているから、つまり、現実に政治が優位してるから、政治が優位すべきであるというんじゃなくて、政治が優位し

    歴史的・政治的現実に規定されているから、つまり、現実に政治が優位してるから、政治が優位すべきであるというんじゃなくて、政治が優位してるからこそ - ujikenorio’s blog
    lotus3000
    lotus3000 2012/10/02
    あとかなりプラクティカルの問題として一度政治戦略をきめるとなかなか変更がしにくくなるし、かといって柔軟な対応はコストがかかる部分をどうするのかという問題もありそう。
  • 覚え書:「引用句辞典 不朽版 反日暴動=鹿島茂」、『毎日新聞』2012年9月26日(水)付。 - ujikenorio’s blog

    - 引用句辞典 不朽版 反日暴動 鹿島茂 中国が日並みのおとなしい国になる日 市庁舎へやってくる……今や私は目撃者だ。……彼[パリ市総監ペルチエ・ド・ソヴィニー]は尋問される。(中略)階段の踊り場にやってきたところで、せいぜい三十人ほどの一群れが囚人を連行する国民軍兵士に襲いかかり、捕虜を引き離す。彼らは捕虜をつかまえ、引きずりまわし、殴りつける。十五歳のちんぴらが街灯の鉄棒に馬乗りになって、待ちかまえていた。綱を張るのが見えた。……(中略)諸君、おお、同国人よ! その効用によっても正当化されないあの蛮行の数々を嫌悪をもって直視するがよい。あのような行為を許しうるのは必要のみだろう。だが、果たしてそれは必要だったのか。私には判断しかねることだ。 (レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ『パリの夜 革命下の民衆』上田祐次編訳、岩波文庫) 今日では、足フェチの元祖として知られているレチフ・ド・ラ・ブルト

    覚え書:「引用句辞典 不朽版 反日暴動=鹿島茂」、『毎日新聞』2012年9月26日(水)付。 - ujikenorio’s blog
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    lotus3000 2012/10/02
  • 「思想の証なんていいたくない」けれども「毎日をエンジョイした方が利口だという考え方」でもありたくない - ujikenorio’s blog

    - 人をみて法を説けで、ぼくは十九世紀のロシアに生まれたら、あまり思想の証なんていいたくないんですよ。(中略)しかし、日では、一般現象として観念にとりつかれる病理と、無思想で大勢順応して暮して、毎日をエンジョイした方が利口だという考え方と、どっちが定着しやすいのか。ぼくははるかにあとの方だと思うんです。だから、思想によって、原理によって生きることの意味をいくら強調してもしすぎることはない。 −−丸山眞男 対談「民主主義の原理を貫ぬくために」、『新日文学』1965年6月号、152頁。 - 変則的なのですが、千葉の短大で担当する「倫理学」は前期のみ開講科目なのですが、2年生の最終講義日は9月になってからの設定になりますので、日無事終了。 特に何かという訳ではありませんが、大学で「倫理学」を学ぶとは……そして、これは授業のなかで何度も言及した点ですが……どれだけ「柔軟に発想」できるかという

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  • 敵味方と分れても、彼我の交争を超越する最高の原理を共同する所から、互に尊敬し合ふといふのは、昔からの日本民族の誇りとした精神ではないか。 - ujikenorio’s blog

    - 且つ亦、仮令国法を蹂躙し、正面から我々に反対するものでも、之を無下に敵視するのは古来の武士道の精神でもない。敵味方と分れても、彼我の交争を超越する最高の原理を共同する所から、互に尊敬し合ふといふのは、昔からの日民族の誇りとした精神ではないか。昨年の十二月帝劇に於て「安宅の関」といふ芝居があつた。義経弁慶は頼朝に取つては不倶戴天の敵である。富樫左衛門は時の政府の命令を受けて国賊を逮捕するの任務を負ふて関を守つて居る。其処へ義経弁慶の一行が飛び込んで来た。富樫は行政上の職責として、此の国賊を是非とも逮捕すべき責任のあるのに、臣として義経に対する弁慶の忠誠に感激して、遂に之を免してやつた。其上諸国の関所に対するパツスさへ贈つた。今日の乾燥なる法律論から云へば、飛んでもない不都合な役人と云はねばならぬが、富樫左衛門彼自身は、其の間に何等の煩悶をも感じない。見物人も亦寧ろ富樫に同情して居る。何

    敵味方と分れても、彼我の交争を超越する最高の原理を共同する所から、互に尊敬し合ふといふのは、昔からの日本民族の誇りとした精神ではないか。 - ujikenorio’s blog
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    lotus3000 2012/10/02
  • 南方は集合名詞として人々をとらえなかった。あらゆる職業の人々と、個人としてのつきあいを重んじた - ujikenorio’s blog

    - 第一に、「地域」または「地方」に対する双方の感覚の差である。 南方は、定住者の立場から、地域を見た。柳田は、農政学者として、農政役人として、そして旅人として地域を見た。南方は、地方にいて地方から中央を見、柳田は中央にいて中央から地方を見たともいえる。 第二に、南方は、世界の、そして地球の一部としての地域(エコロジーの単位)を考えたのに対して、柳田は、日国の一部としての(政治的単位)を考えた。 第三に神社合祀反対運動において、南方が、地方官憲に対して、対決をおそれぬ精神でぶつかっていったのに対して、柳田は正面衝突をなるべく回避して隠微にことをはこぶように忠告した。 第四に、南方が、外国の学者へも檄をとばして、国外の世論を結集しようとしたのに対して、柳田は、そのような行為は国辱を外にさらすものだと激しく反対した。南方は、今日のことばでいえば、国をこえた民間交流を射程に入れていたのである。

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    lotus3000 2012/09/20
  • 書評:吉田敏浩『赤紙と徴兵―105歳、最後の兵事係の証言から』彩流社、2011年。 - ujikenorio’s blog

    一兵事係が密かに残した記録から実体を精査する一冊。村役人の兵事係は赤紙配達だけでなく、対象の資質・技能も平時から調査し、死後は戦死報告も。末端の苦悩から浮かび上がる恐るべき生−権力。決して過去の話ではない。 著者が取り上げる兵事係の西邑さん(105歳で逝去)。敗戦時、軍から資料の焼却命令が出ていたにもかかわらず処分を拒否。にもその事実を知らせることが出来無かった。百歳を向かえ公開。その貴重な資料を著者は丁寧に読み解き、現代への教訓として伝える。 赤紙は恣意的な抽選によって「選抜」されるわけではない。軍が周到な計画(だから平時からの調査がある)のもとで発行し、人々を戦地に送った。そして兵事係は、戦死公報の伝達だけでなく葬儀なども担っていた。余儀なくされた職員の苦悩は戦後もなお続く。 いったいどのような仕組みのもとに日の民衆は日常の生活から切り離され戦場に送りこまれたのだろうか。書の分析

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  • 書評:藤原聖子『教科書の中の宗教 −−この奇妙な実態』岩波新書、2011年。 - ujikenorio’s blog

    「教科書が、意図的ではなく結果的に、特定の宗教的信仰を受け入れさせようとしてしまっている」、「教科書がある宗教を他の宗教より優れているとしたり、逆に宗教にある宗教に対して差別的な偏見を示している」問題について 藤原聖子『教科書の中の宗教 −−この奇妙な実態』岩波新書、2011年。 - 宗教について中立的に語ることはできるか。 ここまで書を読んでくださった読者は、筆者が「宗教について中立的に語ること」を求めていると思っているかもしれない。たしかに、諸宗教について、一方的な優劣の判断をせず、多角的な見方を教えることの必要性を説いてきた。しかし、そのような教育は「中立的」といえるだろうか。 問題は、「正しい宗教は一つだけだ」と自分の宗教を絶対的と信じている人たちにとっては、それは少しも中立的ではないことである。諸宗教を平等に扱うというのは、それ自体が一つの価値である。それを共有しない人にとって

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    lotus3000 2012/09/05
    中立という価値について考えさせられる本。今度読む。自称中立問題とは違う中立とは何か?
  • 「人々に差別されつつ、人々を差別し返すという性格を刻印された小社会」の複合汚染 - ujikenorio’s blog

    - 近代の知識人はみな「官」を志した。「官」になるべきだと世間にも考えられていた。「官」たりえないものは政客をめざし、または学者になろうとした。それが普通の道だと信じられていたなか、明治二十年頃「官」たるの道を余儀なく、また意図してはずれ、そして政客でも学者でもなく実業家でもないなにものか、一般に社会の埒外にあるものとして見られた文人あるいは言語による表現者となろうとした一群の青年たちが出現した。彼らは「官」にはなり得なかった負いめを感じつづけ、その一方で「官」の道を選ばなかった若年の誇りを思うというアンビバレンスのただなかを生きた。しかし、いまだ未熟な出版業界は、消費化する社会にある彼らの生活を容易には安定させなかった。 彼らは、一種の反社会的な生きかたと、その結果ゆえに「世間」に差別された。しかし彼らは、技芸を研いて精神の自由を得、また社会的な束縛からも自由であるという点に誇りを持ちつ

    「人々に差別されつつ、人々を差別し返すという性格を刻印された小社会」の複合汚染 - ujikenorio’s blog
    lotus3000
    lotus3000 2012/09/04
    日本の文学における差別の脇の甘さの起源。同じ差別されたものであるサブカルや物語に淫するオタクにとってもまったく他人事ではない。カジュアルな差別がひどいのはオタクの責任でもある。