かつて左翼が既存のシステムに対抗して生み出した戦術や表現の中には、それこそ「そこでしか生み出せなかった美/快楽」が存在しているのだと思います。68年のパリ五月革命然り。ウッドストック然り。セカンド・サマー・オブ・ラブ然り。 アビー・ホフマンやKLFの痛快さは、それこそ彼らが対抗する「権威」や「権力」があってこそ際立つものです。そうした文化に触れる機会をつくること、そうした視座を失わないことこそ、「左翼」に求められていることではないかと思います。 足りないのはKLFとアビー・ホフマンなんじゃないの? - 想像力はベッドルームと路上から 「2006-03-20 - モジモジ君の日記。みたいな。」関連。このあたりは考えどころだと思ってる。 まず、カウンター・カルチャーと呼ばれるものがなぜ魅力的なのか。あるいは本当に魅力的なのか。たとえば僕の場合、カウンター・カルチャー的なものがあまり好きではない