今日は、id:kmizusawaさんの「「理解」するのも「興味を持つ」のも「参加」するのもヒマ人の娯楽」が頭から離れず、ずっと考えていました。 勉強が好きな人やその案件に問題意識や興味を持ってる人にとってはなんでもない、もしくは必要だと感じられる知識の収集や興味の持続や「考える」ことが、「わかりたくない」人にとっては「もうたくさん」なことなのではないだろうか。すべての人がそういうことに興味を持てるだけの知識や情報や教養やモチベーションやキャパシティを得られるわけでも、学習のための時間や機会や気持ちの余裕を得られるわけでもない。興味の向きとか立ち位置とかもぜんぜん違う。共謀罪や教育基本法の「改正」は大変なことだが、それよりもバイトのシフトに穴を空けないほうがとりあえず緊急的な大問題だという人もいるだろうし、とにかく疲れて休日はひたすら寝ていたいという人だっている。デモに行かない=政治意識がな